第6章 私にくれたもの

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 半袖からのぞく右肘の包帯。  これはこれで目立った。  陰でヒソヒソと言っている声も聞こえたし、清水くんにいたっては「大丈夫ですか!」と本気で心配された。  けど、目立っても直にケロイドを晒すよりは幾分かマシというか、むしろ精神状態は安定していて。ちょっと隠すだけでこうも変わるものなんだなと。私自身、包帯効果に驚いた。  その日の昼休みの教室――。  昼食を食べ終わると次の授業の準備をしてその後、普段なら暇を持て余してる時間にあの古便箋を改めて読み直す。少しでも松風文香のことがわかればと最初から最後まで何度も何度も。 『自分には人間の営みというものが見当もつかないのです。』  私の素直な意見――やっぱりわからなくていいんじゃないかな。知りたくないことを知って傷つくということを私は知っている。だから知らないままでいる方が幸せなことだってある。そんな困ることかな……っと、ついつい自分の主観が入ってしまって整理が進まない。  まず、松風文香の苦痛は感情の共有ができないこと。それでもオバケは人を好きになりたい、人でありたいからお道化を演じる。  これらの無限ループにはまっていて身動きが取れなくなっていた。  そんな中でただ1人、自分のお道化を見抜いていた可能性のある人物がいた――それがS²だ。  S²は恐ろしく聡明な眼差しを持っていて、オバケと人のわずかな差異を見抜き、真実と核心を突いた問いを投げかける。おそらく内容はオバケが人間を殺してしまったことに関することだろう。全てを見抜かれたオバケはそこで破滅し、死んだ。  新聞記事では自殺で断定されていたし、やっぱり……お道化と人殺しの罪の意識から絶望して死んだのかな? もともと不安定だったはずだし、わざわざS²が登場する理由がわからない。  謎を解くと意気込んだものの、早速躓いたな。  荘川(しょうかわ)先生や藤原(ふじわら)先生、三条(さんじょう)先生は明らかに何かを知っている雰囲気だった。  けどまず話してはくれないだろう。  とすると調べるには――。 「よッ、日立(ひたち)! ラブレターでも貰ったのか?」  どこからともなくフラッと現れては能天気なことを言ってくれる。それでもどこか憎めないのが神田くんクオリティ。 「残念だけどハズレだよ。私がそんなの貰えるわけないじゃん」  言葉選びをマズった。  教室の対角線上から鋭い視線が突き刺さる。もうちょっと違う言い方をしないとクラスの女子の大半を敵に回しかねない。  ところが言葉選びを失敗したのは彼の方も同じで。 「そりゃそうだよなぁ」  完璧に私に対する宣戦布告だ。  いくら自分で否定したからって、恋愛とかに興味ないつもりだからって、堂々とそれを人に言われるのはとちょっと辛い。ちょくちょく地雷を踏んでくれるなこの男は。  ただそのお陰で鋭い視線が失笑に変わったからとりあえずよしとする。 「それはちょっと失礼じゃない?」  「あ、ごめんごめん。ラブレターじゃないんだろ? だったらぁ……松風(まつかぜ)文香(ふみか)の手紙だったりして……」  驚愕のあまりに言葉を失う。  だってあてずっぽうにしては出来すぎてるから。  たぶん……神田くんにも全部お見通しだったんだ。  普段からひょうきんなキャラクターでいる神田くんだけど、実は人の変化については清水(しみず)くんより敏感ところがある。それが意識的なのか俗に言う野生の本能なのかはわからないけど。 「どこから気がついてた?」 「この前屋上でおれと千明(ちあき)と話したろ? あのときに何となくまだあるんじゃないかなって、それもアヤノ先生たちに関することじゃないかって思ってた。ほら、アヤノ先生、日立見てびっくりしてたし、「文香」って言ってたじゃん? まぁ、でも確信がなかったから深入りしなかったんだよなぁ。とはいえ、そう言うんならやっぱりそうなんだな?」  絶対自分が嘘をつくのが下手なだけじゃない。周りができすぎてた。こんな中で嘘をつき通そうなんて自分でもよく考えてたものだ。  それでも、その鋭さをしばらく頼らせてもらいます。 「じゃあ、単刀直入に訊くよ。過去の事件とかを調べてもらおうと思ったらどういう手段がありそう?」 「うーんそうなぁ……」  神田くんは少し首をひねって唸る。  いや、さすがにこれを訊いたのは間違いだったか。 「あ、ごめん。やっぱいい――」 「弁護士とか?」  あ、弁護士ね……ちょっと思いつかなかったな。弁護士だったら当てがないことはなくて――ちょっと当たってみようか。ナイス神田くん! 「いいね! ありがとう!」 「誰か知り合いでもいるのか?」 「まぁ、ちょっと縁があってね」 「へぇ~じゃあ、アルティメットギガホットドッグ奢りな」 「ははは……価格見たけどあれちょっと高いんだよね」 「じょ、ジョーダンだよ! アハハハッ」  神田くんの知恵にも助けられたけど、それでも彼にはいつも自分の横でこんな風に笑っていてほしい。もちろん、それは清水くんも同じだし、(しずく)先輩もそうだから、少しずつでも前進していくよ……私なりのペースで。  あ、今日は文化委員の当番日だっけ。  それを思い出したのは放課後になって職員室前の公衆電話に足を運んだときのことだった。便箋や弁護士についてばっかり考えていて危うく忘れるところだった。  じゃあ、さっさとこっちの要件を済ませて図書館に行きますか。  学生手帳に挟んでいた小さな紙きれを手に取る。  広げると058と岐阜(ぎふ)市周辺の市外局番から始まる電話番号が綴られていて。番号の下には岐阜(ぎふ)中央総合法律事務所・糸井(いとい)と記載してある。  この糸井という弁護士は祖母の伝手で私の未成年後見人になってくれている人だ。今高校に行けているのだって糸井さんと祖母が二人三脚で私を支えてくれたおかげだから言ってみれば恩人になる。  それで神田(かんだ)くんが弁護士と口にしたとき、真っ先に糸井さんの顔が頭に浮かんだ。  ん……? 待った待った。冷静になって考えてみたら弁護士って事件の調査とかできるのかな? それに糸井さんは確か専門が民法だったような……。  でも悩んでも進まない。  ちょっと強引だけど可能性がありそうなところから当たってみなくては。  ここに設置された古い公衆電話はテレカを受け付けてくれない。だからとりあえず100円玉を3枚放り込み、メモ書きの番号を左から右へ順番に押して行く。  っつっつっつーという音がして2秒ほどの沈黙。繋がらないと思って切ろうとしたその瞬間、呼び出し音が鳴り始めた。  やっぱりボロ……母体の東濃(とうのう)大学からくる支援と生徒から搾り上げたお金があるハズなのに、こういう所に限ってケチるのがこの学校あるあるだ。  昔は校内あちこちに同じタイプの公衆電話が設置してあったみたいで、今でもその痕跡は伺える程度に残っている。ところが携帯電話の普及であっという間に数を減らし、現在稼働しているのは職員室前のこの1台のみ。携帯電話を持っていない私にとっては結構生命線だったりするから少なくともあと1年半は壊れて欲しくないというのが願望だ。  そんなことを考えているうちに電話が繋がった。 「はい、こちら岐阜中央総合法律事務所でございます」  受話器の向こうからは女性の高い声。 「あの……わたくし、日立(ひたち)と申しますけれども、糸井さ……あ、糸井先生、いらっしゃいますでしょうか?」  緊張してかつられてか自分まで声が高くなってしまう。  そういえば電話とかで見ず知らずの人と話すのに声が高くなるのは、自分を人畜無害なものに見せようと身体が本能的に行っているんだとか。 「糸井ですか、少々お待ちください」 (そ~ら~も~みなと~も~ よははれ~て~)  通話状態から保留状態に変わり受話器の向こうからは童謡をアレンジしたメロディが聞こえてくる。ただそのメロディの原曲は海なし県の岐阜とは縁もゆかりもなそうなもので、選曲をミスしてる気がするけど。 (よせく~るな~ ガチャッ) 「はい、お電話代わりましたー、糸井です」  保留音の曲がサビに達したところでぶつっと切れ、再び通話状態に。今度聞こえてきたのは低い男性の声。やっぱり電話越しで高めになっているとはいえ、さっきの女性と比べたらこっちの方が断然に低い。 「お久しぶりです糸井さん」 「日立さん! ご無沙汰してます。お変わりはありませんか?」 「おかげさまでまぁ、ぼちぼちと言った感じですが」 「高校の入学以来ですかね?」  あ、糸井さんの声聞くのってそんなに久しぶりだったっけ? 自分ではそんなに時間が経ってるとは思ってなかったけどそれくらいになるのか。 「今日はどういったご用件で? あ、とうとう携帯電話を買う気になりましたか?」  またこの話か。糸井さんはやたら私に携帯電話を勧めたがる。「緊急の要件があるときにすぐ電話できるから」というちゃんとした理由があるみたいだけど。まぁ、理由が何であれ携帯は今のところ持つつもりはないし、そもそもそういう要件じゃないんで。 「いえ、そうではなくて……」 「それは残念ですね。まぁ、また携帯電話の契約したくなったらいつでも言ってくださいね~」 「本題……いいですか?」  こっちは公衆電話なんで、財布の中の小銭(ただし、10円と100円限定)のストックが切れたら通話できなってしまう。 「メモの用意はできてるのでどうぞ!」 「実は少し調べていただきたいことがあって……」  糸井さんに松風(まつかぜ)文香(ふみか)とそれにまつわる事件の概要。メモを見ながらそれを要約して伝える。  話しながらやっぱり専門が違うよなぁと、この人に聞くのはやっぱり埒外だったかなぁと。そんな風に思えてきた。  それでも糸井さんは文脈ごとに相槌を打って最後まで丁寧に聞いてくれた。 「――ということなんですが……」 「あー大変申し訳ありません。どうしてもその手のことを調べるのは弁護士よりも探偵さんになってくるんですよね」 「やっぱりそうですよね。何となく話してみてそんな気がしました。無理言ってすみません、お手数でした」  次はどうしようかなと考えつつ受話器を置こうよしたとき、糸井さんはまだ会話を終わらせなかった。 「でも日立さんのためですから、ぼくの方から探偵さんに依頼してもいいですよ? お金もいいです」 「そんな! 悪いです。例え糸井さんがよくても私の良心が咎めます」  今のところそれ以外当てがないっていうのにどうしたものかな。頼る人の数が増えれば増えるだけその分のためらいが生じてしまう。  そんな自分に内心呆れつつ糸井さんの返事を待つ。糸井さんは「うーん」と唸ってから「でしたら」と続けた。 「日立さんがそうおっしゃるなら出世払いということにしておきましょう。これならいいでしょう?」 「……わかりました。それならお願いします」 「あと時間の方ですけどとりあえず1週間ほどいただきますね。ですから……来週の土曜日に事務所に来ていただく形でいいですか? 高山(たかやま)からだとかなりの長旅になると思いますが」 「わざわざありがとうございます。もうどうお礼をしたらいいか……」 「いえいえ、ぼくとしても日立さんの声が聞けて嬉しかったですし、それでは土曜日の元気な顔を見せてくださいね」 「はい、それでは失礼します」  受話器を置いた後、無意識のうちに私は右手をギュッと握っていた。  それは多分、本能的な申し訳なさよりも希望が見えてきた安堵の気持ちの方が上回っていたからだろう。  悪いことが続けばいずれ良いことも起きる。止まない雨はないんだ。  この後の文化委員の業務は森川(もりかわ)先輩とペアだけど、なんとかやり過ごせそうな気がする。  図書館に入るとも既に森川先輩がカウンターに座って業務を始めていた。 「お疲れ様です、遅くなりました」 「ホントに遅かったじゃん。もう始まってるよ?」  相変わらずあたりキツイな。  この人はそういう人だし、適当におべっかでも言って誤魔化しとけば終わるんだ――自分にそう言い聞かせてから行動に移す。 「すみませんでした。ちょっと割かし大事な要で電話してまして」 「ふーん、委員会より大事なんだ」 「まぁ、甲乙つけがたいところではありますね」 「でも実際甲乙つけたんでしょ? で、委員会が乙だったわけでしょ?」 「ご迷惑おかけしました。次はないようにします」 「別にいいけどさ」  あたりが強いのはいつものことにしても、今日は最初っから臨戦態勢なんですけど。私は森川先輩に恨み買われるようなことしたっけ?  あ、よく(しずく)先輩を心配させてるから、幼馴染として許せないとかあるかな?  それから無言のままずっとカウンター番が続く。  意気込んできたものの、気まずいなぁ。  スカートのポケットに忍ばせた懐中時計を取り出し、そちらに目をやる。  まだ15分しか経過していなくて少しがっかだ。  残り時間25分――ここはただ耐えるだけ。   絶妙な気まずさに支配された図書館。  お互いに口を開かず、時間だけが明確な悪意を持ってゆっくりと流れていく。それも1分1秒の長さ確実に身体に覚えさせようとしながら。  おかしいな。放課後になるまでは一瞬で過ぎ去って行ったはずなのに。体感的には今の方が長い。 「あのさ」 「はい?」  沈黙を先に破ったのは森川先輩の方だった。 「この前、アンタのクラスメイトが散々悪口言ってたけど、何か恨まれるようなことしたの?」  思い出したように訊いてくるかと思えば……白々しいな。あのとき全部言ってたじゃん。 「は? え、いや……まぁ、どこか私に至らないところがあったんでしょうね」  こういう場面に出くわしたら自分のせいにしておくのが一番争いが起きなくて楽だ。例え自分に自覚のある非がないとしても。 「うん、間違いなく至らないね」  即答。それもちょっと薄ら笑いを浮かべてて……うーん、正直腹が立つ。じゃあ、あなたは非の打ち所がない完璧超人なんですかって問いただしてやりたいけど、喧嘩は何も生まないんで我慢我慢。  いつ噴火するかわからない活火山・感情山(かんじょうさん)を押さえつけながら再び懐中時計に視線を落とす。  あと10分――ここを凌げば今日は森川先輩と話をしなくて済む。  ところが森川先輩は自分の予想だにしなかった言葉を口にする。 「もっと自信持ちな! なよなよしないでさ。あの子らの悪口も基本的に逆恨みだし。日立は自分で何でもかんでも背負いすぎ。だから雫だって「もう、心配で心配で仕方がない」って言ってるんだよ。ま、アンタは知らないだろうけど、悪口大会あったのここでさ。あんまりの言われ様だったから。悪口を止められなかったのはアタシのせいだけど、アンタ自身どうなのかなってちょっと気になってね。今日のペアもアタシが雫に無理言って頼んだんだ」 「……先輩は悪くないです」 「え?」 「だって先輩は悪口言わなかったじゃないですか」 「え、知ってんの?」 「はい、あのとき図書館に入ろうとしたらちょこっと会話が聞こえたもので」 「聞いてたんなら怒ってもよかったのに」 「無理に争うこともないです」 「なるほどね。通りで雫がかわいがるわけだ」 「何ですかそれ?」 「いやなんでも。さて、業務終了。アタシ鍵返してくるから先に帰りな」  今まで森川先輩のこと誤解してたな。  口が悪くて、思ったことをハッキリ言うけど、でもドがつくほど真面目で優しかった。  苦手は苦手だけど森川先輩ってこんな人なんだ。やっぱり接点が少ないと尖った部分しか印象に残らないないね。  夏服にようやく袖を通せて、謎解きが少し進展し、森川先輩の印象が変わった今日の空はまだ厚い雲に覆われていたけど。その陰惨な空模様の片隅で太陽がわずかに顔を覗かせている。やっぱりときには人を信頼して見るのも悪くない――雲の隙間から差し込む一筋の光が私にそう言っているように見えた。
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