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第7章 亡霊は第二書庫に
「よッ、お疲れっ!」
そういう風に声をかけられたのは図書館を出てすぐの踊り場だった。
「神田くん……お疲れ様」
意外な場所で会うものだなぁ、と内心思っていた。
野球部のTシャツとズボンを身にまとった神田くんはたぶん部活上がり。普通なら最終下校時刻を目の前にしてこんなところに来る理由もなさそうだけども。とはいえ右脇に挟んでいるモノを見れば理由は一目瞭然か。珍しいは珍しいけどね。
「ところでもう図書館って閉まってる?」
「もう閉めると思うよ。私は最後じゃなかったから」
「そっかぁ……これ返そうと思ってさ」
脇に挟んでいたモノを両手に持ちこちらへ見せてくる。
少々厚みのある本。タイトルを見るからに自己肯定本とかそういう類のやつ。
「へぇ~、自己啓発本なんて読むんだ」
「おれの意思っていうか、野球部の課題。メンタルコントロールの一環だそうで。明日の練習試合、一発目の先発だから今日は練習軽めでこれ見てろって渡されたんだ。渡してくるくせに返しとけよってどんなだよって話だよな~」
自己肯定本でそんなメンタルって楽になるだろうか?
少なくとも個人的な感想だと自分が上手く言ったケースを他人に押し付けてるようにしか思えなくて、あんまり好きじゃない。何でもプラス思考が救ってくれると思ったら大間違いだ。
そういうのを読まなきゃいけないって、大変なんだな……部活って。まぁ、社会順応能力はそこそこ程度育ちそうだけどね。
「大変なんだね、野球部って」
完全に他人事の言い草。でもしょうがない。これ以上に言えることなんて他に何があるって話で。
「そりゃな。特にピッチャーは精神状態に左右されやすいらしいから」
「らしいって……」
当事者までまるで自分事じゃないような言い方をする。
「まぁ、おれには細けーことなんてわかんねーけどなっ!」
気にしない精神かぁ。ある意味最強のメンタルのような気がするし、それを持ってる神田くんにメンタルトレーニングなんて必要ないんじゃないかってすら思えてくる。そりゃあ野球のことなんてよくわからないけれども。
「そういうところ、神田くんっぽいよ」
「だろっ!」
一体全体何の自慢だか。ニカッと笑い飛ばす神田くんを見てるとこっちまで思わず笑ってしまう。
「あ、そうだ。せっかくここまで来てもらったんだし、本貰ってくよ。どうせ明日も図書館来るから」
ことはついでだし、次に来るのを待つよりは自分でやった方が確実だ(別に神田くんを信用してない訳じゃないけど)。
その提案に神田くんは「神~! 感謝感謝だわ~」と本を抱えていない方の手で拝み倒す。「そんなでもないよ」と小さく笑いながら本を受け取った。それでも彼はまだ続ける。
「いやいや、やっぱ神様、仏様、アカ様ですわ」
「っ⁉」
ちょっと……というかだいぶ動揺した。
神格化はときおりされるのでこの際どうでもいい。自分の名前をアカで区切って呼ぶ人、今までいなかったから――アオを除いて。
「ん? どうした?」
さすが神田くんだ。一瞬のつもりだったけど、些細な表情変化も見逃さない。
「あ、いや……なんでも。ただ、随分久しぶりに(アカ)って呼ばれたものだから、何だか懐かしいなーって」
半分嘘、半分ホント。いや、やっぱり8割くらいホント。だってアカって呼ばれなくなっておおよそ3年くらい経ってるから。じゃなかったら神田くんを誤魔化すことなんてできなかっただろうな。
「おぉ、そっか」
納得する彼に「うん。それじゃあね」と残してこの場を去る。最後に「ういーっす」と気の抜けた声が背中に帰ってきた。
アカ……かぁ。アオ、元気にしてるかな?
アオとは物心がついたときから一緒だった。
一緒に育って。
一緒の世界を眺めて。
一緒に未来を夢見た。
私の隣にいつもいてくれて、これからもずっと一緒なんだろうって何の確証もなく信じていた。
けれどその関係はあまりにもあっけなく崩れ去った。
通称・日立家10億円事件。
あれのおかげで一時的に私の周りに人が増えた。どうじにそのあたりからアオは笑わなくなった。それから一定期間経って、周りから人が去るとまた笑ってくれるようになったけれど……。 その笑い方は今までと全く違った。
「え?」
街灯が暗闇を照らす帰り道で、そんな問いをしてきたアオは確かに笑っていた。でも今まで見せてくれた無垢なそれではなく。
「確かにアオにはいて欲しいけど、それって……」
「できない? アカにとってアオって何なの?」
再びアオの表情が陰ったとき、私はどの言葉を選んだらいいのかひどく困惑した。ただ、前みたいに無垢な笑みを向けてもらうにはどうしたらいいのか。
「いやそれは……アオは親友だけど……」
もし言葉と感情がパズルみたいに単純な物だったら、きっとこの答えが最適解だったはず。
「それだけ?」
けれどそれはハズレだった。
「それ以上のものってあるの?」
「そっか、そっか」
一応の納得? でも違うピースを無理やり押し込んだような違和感。
「アオ……今日のアオ、ちょっと怖いよ」
「何言ってんの、いつものアオだよ」
「そ、そうだよね……」
このやり取りを交わしたのは親が蒸発して私の転校が決まった直後。
やっぱりあのときのアオは怖かったし、確実に私は言葉の選択を誤っていた。
それから数日後――彼女は「もうこの顔もいらない」と吐き捨て、硫酸で自らの顔を焼こうとした。
全部……私が悪いんだ。私さえいなければアオはきっと今も――アオ、ゴメンね。
翌朝、預かった本の返却手続きと調べ物の為に学校へと足を運ぶ。
さすがに土曜日の学校だけあって、登校しているのは部活動勢ばかり。私みたいな一般人は希少種だ。
グラウンドに目をやると硬式か軟式の野球部が貸切りで練習試合をしていた。
それを見て「あ~やってるな」くらいに思いながら校舎に入る。
下足室で上履きに履き替え、廊下を歩く。
グラウンドからの掛け声や校舎内に反響する楽器の演奏を耳にするとどうもいつもの平日の登校時と同じような錯覚に陥ってしまう。強いて違うところを挙げるとすれば懐中時計が9時を示しているくらいで。
図書館の鍵を拝借するためにまず職員室へと立ち寄る。
職員室に詰めている先生の大半が服装はTシャツやジャージ姿で部活絡みの打ち合わせや何やらで忙しそうだ。それもそのはずが。6月に入って大抵の部が大きな大会を迎える時期になった。事務手続きやメンバー選出、選手の最終調整……やることは多そうだ。
そんな中で最初に目が合ったのは三条先生だった。
ツカツカと歩いてきて開口一番――。
「あなたは……確か朱鶴のクラスの?」
「はい……日立です」
「そうそうヒタチさん。この間はごめんなさいね」
「いえ別に……」
「それで今日はどうしたの?」
「文化委員の当番なものですから」
「文化委員?」
ちょっと聴きなれ無さそうな表情をされたので「の図書係です」とつけ加える。するとどこか腑に落ちたのだろう、「そうなの。じゃあ、ちょっと待っててね」と職員室の奥にある鍵入れから図書館関連の鍵の束を持ってきてくれた。
「これで良かったかな?」
「ありがとうございます」
「それじゃあね」
前回と違って今日は穏やかで優しかった。多分三条先生の根はこういう人なんだと思う。それを豹変させてしまうくらいだから松風文香との間にひと悶着、ふた悶着くらいあったんだろうということは想像に難くなかった。
鍵の束を持って廊下を歩くとジャラジャラとなってそこそこうるさい。
キーホルダーに束ねられた鍵は全部で4本。一番長くて大きいのが図書館本体の鍵で、次いで長い鍵2本がそれぞれ第一書庫と第二書庫のもの。最後に一番小さい鍵が司書室の鍵。
基本的に生徒が使うのは図書館本体と司書室だけ。第一書庫や第二書庫にはよっぽどの理由がなければ入る必要に駆られないし、万が一必要になったとしても、大概それは司書の仕事だから。
当然私は入ったことない。というか今の文化委員でも入ったことがあるのは雫先輩くらいじゃないかな。一応その当人から聞いた話だと、雑誌や新聞のバックナンバー、歴代の卒業アルバムなんかが保管してあるらしい……あ、卒アルならあるいはヒントがあるかも。
図書館の鍵を開けると、まずは窓を全開にして軽い掃除をする。といっても軽く箒で掃くくらいで、うちの学級委員みたいに机や黒板の水拭まではしない。それでも本棚の下や机の下に溜まったほこりなんかは私なりに意識して入念にはやっている。それをせっかく集めてあとちり取りで回収するだけってときに限って風のイタズラでほこりが宙に舞うものだから少し腹が立つ。とまぁ、風に怒ってもどうしようもないんで、散らばったほこりをもう一度箒とちり取りで回収する。後はごみ箱に放り込んで掃除はお終いだ。
箒とちり取りを片付け、カウンターのところに置いていた荷物を持って司書室に入る。腕章を安全ピンで左袖に……新品の半袖だとなかなか刺さりにくいな。まだ穴の開いていない袖の生地に苦戦しつつも腕章を付け、カウンターの古代パソコンを起動させる。今日は比較的機嫌がよくて、すぐに動いた(ちょっとローディング中画面が長かったのはいただけないけど)。
パソコンが完全に立ち上がって、貸出返却処理が行えるようになると一番に神田くんから預かった本の返却をする。
「うわぁ……神田くんもよくこんな本読み切ったな」
本の帯には『あなたも強くなれる7つの法則』とか書いてあって、だいぶ合わないなって気がした。自分の成功談を他人に押し付けてる感がかなりあったもので。私だったら部活のために少なからず自分を否定されるようなものなんて読めないな……。
この本にはさっさと元の居場所に帰っていただこう。
「どこも汚れたり破れたりなんてしてないよね……ん?」
ページをパラパラめくって破損汚損のチェックをしていると四つ折りのA4紙が出てきた。結構綺麗に端を揃えて折ってあるけど……。
折り目を開いてみると『春季東海地区高校野球大会』という文字と一緒にトーナメント表が姿を現す。さらに結果も手書きで記してあって……そっか、東濃飛騨は決勝で負けたんだ――ってそうじゃない。また神田くんの忘れ物。しょうがない、当番ついでの調べ物が終わったら届けに行くかな。
なかなか人の来ない図書館のカウンター番をしていてふと思った。「2日続けて図書館のお守り当番なんて、ずいぶんとタイミングよくなったものだ」と。この学校の図書館は授業がない土曜日でも午前中だけ開いている。それで土曜日当番は平日当番とは別で寮生の文化委員が持ち回りでやっているから、その結果として2日続けて当番ということが稀に起きる。
今回に限って言えば書庫に用事もあったし、かなりありがたかったかな。
ただカウンター番をしているうちは誰か来て当番がいないってなると困るんで、さすがに今はここから離れられないけど。行くとしたら閉館時刻の12時くらいが狙い目だろう。
なかなか次のページにたどり着けない小説と、懐中時計を交互ににらめっこしていると珍しく来客が。
「お邪魔しまぁす」
控えめな声で入ってきたのはさっき鍵を貸してくれた三条先生。
「あ、どうも……」
軽く会釈をして再び読書タイムに戻る。
『銀河鉄道の夜』――先々週借りてから、「また読もう、また読もう」って思い続けて2週間が経ってしまっていた。さすがに貸出期限の延長に2度目はない。だからさっさと読み切ってしまわないと。そのためにもまずは早く『ジョバンニ』と『カムパネルラ』には列車に乗ってもらわないと困る。
一度耽ると案外捗るものだ。
次に読むのをやめたのは作中で主人公が(※それにこの汽車石炭をたいていないねえ。)と言ったあたり。具体的には6番目の章のほぼ終わりだ。全部で9つの章があるうちの6番目だから、かなり進んだ方になる。
懐中時計も1時間ほど進んでいて、こんなに集中できたのは結構久しぶりな気がする。
「日立さん」
そんなことを考えていたら三条先生がカウンターの前までやってきて2冊ほど本を差し出してきた。そこそこ厚みのある参考書でおそらく教員採用試験に向けた勉強用の本かなと。
「この本借りたくて、手続きしてもらってもいいかな?」
少し困惑した。
一応教育実習生は内部の人間の扱いではないから本が借りられるかどうか。それがわからなかったから。
「えっと……許可とかってあります?」
「あ、うん。許可は取ってあって、『教員その他』で貸出してもらえれば大丈夫だって」
「わかりました。それじゃあ、手続きします」
背表紙のバーコードをパソコンにつないだ読み取り機に読ませようとした瞬間、ブラウン管のディスプレイがフリーズした。気まぐれな彼がまた機嫌を損ねたみたいだ。
「すみません、ちょっと待ってくださいね」
彼は暴力には弱い――雫先輩が言っていた言葉を思い出し、思いっきり脳天に平手打ちを加える。すると大きな唸り声をあげて元通り動いてくれた。
その様子を見ていた三条先生がクスクスと笑う。
「相変わらずなんだね、彼」
「先生のときからこうでした?」
「うん。よく委員会の人が引っ叩いてたよ」
もう5年以上も前から叩かれ殴られしていたのか。逆にそれが原因で壊れていそうだけど。でも実際動くんだからいいのかな。
その後一言、二言交わして先生は帰っていた。
出会いは最悪だったけど、こうやって見ると普通の先生なんだやっぱり。
それから三条先生以外に誰か来るわけもなく。手元の懐中時計が12時を示した瞬間、校内にチャイムの音が鳴り響いた。それと同時に本日の図書館は業務終了。パソコンの電源を切り、窓の鍵を閉めるといった閉館作業を済ませて帰り支度を済ませると図書館の鍵を閉めて隣の北棟へ。
この学校は書庫がなぜか2つある。聞いた話だと一般的な本や雑誌のバックナンバーは図書館併設の第一書庫、学校関連の資料を北棟1階の第二書庫と使い分けているそう。今自分が求めているのは卒業アルバムだから、後者の方がある可能性は高い。そう思ったからだ。
しかし実際に北棟まで行ってみると、それがどこにあるのか迷った。第二書庫なんて札がどこにもなくて、どれがそれなのかわからなかったからだ。
でもなぜ見つからなかったのかすぐにわかった。『資料室』と札が掲げられていた部屋と第二書庫の鍵がぴったり合ったからだ。
長らく使われていなかったみたいで、室内は木とほこりの香りが充満していた。
そういえば……松風文香ってここで自殺を図ったんだっけ――。
分厚いカーテンで閉め切られた第二書庫の中は思った以上に暗くて、まず蛍光灯のスイッチを探すの段階から一苦労だった。手探りでようやく見つけてスイッチを押してもすぐにつかず、何秒かのタイムラグを待ってようやく各々の蛍光灯が光始める。それでもやっぱり陽の光が入らない分どこか薄暗い。
幽霊とか祟りなんて別に信じてないんだけど。とはいえ死人が出た場所に居座りたいと思うほどの酔狂でもない。それに(たぶん)神田くんの忘れ物も今日のうちに届けておきたいし。
本棚の端っこの方に擦れた文字で『卒業アルバム』と書かれているのを見つけた。このどこかに5年前の……平成24年度の卒業アルバムがあるはず。
「えっと……『明治27年3月 卒業記念 飛騨高等女學校』って戦前のもあるのか……」
この学校の開校は明治21年にまでさかのぼる。そこから県立の高山家政高校時代を経て今の東濃大学傘下になっているから、約130年分。多くてちょっと手間だな。
でも、こういうのってだいたい年度順に並んでくれていそうだし、言うほどでもないか。入口から見て手前に戦前のがあるのなら、反対側にあたる窓に近い方に平成以降のだってあるだろう。
ちょっとでもそんな風に考えた自分は浅はかだった。
一番窓に近い場所に置いてあったアルバムの背表紙はどういうわけか昭和54年度になっている。じゃあその隣はと視線をずらすと平成3年度、続けて昭和61年度、昭和47年度――全く法則性を持って並んでいなかった。
これじゃあピンポイントで探すのは無理だ。とりあえず平成のものだけ片っ端から出してみるか。そうすればいずれ出てくるだろうし、たぶんそれが現状一番手っ取り早い手段だ。
「平成3年、平成9年度、平成26年度、平成15年度……」
引っ張り出した年度を片っ端からメモ帳に書き、窓側から入り口に向かってしらみつぶしにあたる。
手元のアルバムが9冊目を数え、次でちょうど10冊目というとき事件は起きた。
手に取ろうとしたアルバムにつられて左右のアルバムまで出てきて――結果小規模な雪崩が発生する。
雫先輩の声がしたのはそれとほぼ同時だった。
「ひーちゃん! もう、本はもっと慎重に扱ってちょうだい!」
駆け寄って来る先輩に思考が停止して小声で「すみません」としか言えなかった。
「何か探し物?」
その問いに「平成24年度の卒業アルバムを探してまして」と返すと「なるほど!」と察した様子。
「平成24年だともっと窓側になかった?」
「いえ、順番通りに並んでなかったもので」
「おかしいわねぇ……前来たときは年度順に並んでたわよ?」
雫先輩が来たのがどれくらい前なのかはわからないけど、少なくとも年度順に並んでいて然るべきみたいだ。だすれば――。
「誰かイタズラですか?」
それくらいしか思い浮かばない。
「どうだかねぇ。とりあえず探しましょ! わたしも手伝うわ」
「……ありがとうございます」
考える間もなく促され、再び探し始める。
それから並べ直しも含めて30分くらい探した。
結局見つからなかった……というか全て整理して平成24年度分だけ欠落していることがわかった。順番がバラバラになっていたのもどうやら東濃飛騨になって以降の分、年度にして昭和32年度以降の分だけで、それ以前のものは全く手つかずになって――。
やっぱり色々おかしい。
平成24年度だけ無いの不自然だし、そもそもバラバラに置くのがスタンダードだったとして、にもかかわらず東濃系列になる前のアルバムは整然としているのもどうにも腑に落ちない。それに年度ごとに新しいのができるんだから普通に置いていけば年度順に並ぶものじゃないだろうか。
「色々変ねぇ」
雫先輩も顎に軽く握った拳を当てながら唸る。
「まぁ、とりあえず卒アルの件は任せて」
「当て……あるんですか?」
「まぁね。それにしてもよく覚えてたわね」
「え?」
「卒アルの場所。第二書庫にあるよーなんて多分去年言ったんじゃないかな」
「それなら雫先輩こそ、よく第二書庫に来ましたね」
「わたしのは完全に消去法かな。補習終わりに図書館寄ってこうって思ったらもう鍵閉まってて。今度職員室行ったら「まだ返却されてない」って言われちゃったから……残るその鍵の束で行ける場所はここしかないじゃない」
この人も大概だ。図書館の鍵の束で行ける場所をほぼ正確に記憶してる人なんて、歴代文化委員でもそんなにいないと思う。現に私も雫先輩に教わってなかったら第二書庫の存在なんて知らなかった。
廊下に出て今一度扉に封印をかけようとスカートのポケットに手を突っ込む。すると鍵と一緒に懐中時計まで引っかかって出てきた。
また同じことしてると我ながら呆れつつ施錠をする。
「前から思ってたけど、今どき懐中時計を持ってるなんて珍しいね」
確かに雫先輩の言うよう、今どき懐中時計を持ってる人ってそんないないよね。でもこれはアオがくれたものだから――アオを忘れないために肌身離さず持っているんだ。
こんなことまで先輩には話せないけど。だから「友達がくれたんです。誕生日プレゼントだって言って」程度に留めておく。
「へ~、大切にしなきゃね。あ、わたし図書館寄って帰るから、ひーちゃん先に帰ってて大丈夫よ」
「そうですか。じゃあ、鍵お願いします」
鍵を預けて雫先輩と別れた。
帰っていいよって言われたけど、まだ帰れない。これから野球部のグラウンドに行って忘れ物を渡してこなきゃいけないから。
※引用:青空文庫 『銀河鉄道の夜』 作:宮沢賢治 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html#midashi60
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