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第9章 オバケの写真
夜、雫先輩に「これ以上詮索をするな」と荘川先生に釘を刺されたという話をした。
「そう、わたしも釘を刺されたのよ!」
不満気の雫先輩。
どうやら私と全く同じことを荘川先生に言われたらしい。
「それにしてもどうして荘川先生は調べてること知ってたのかしら?」
「どうでしょう……」
もしかしたら一昨日藤原先生に松風文香について尋ねたのが祟っただろうか。藤原先生からその話を聞いた荘川先生がわざわざ釘を刺したってこともあり得る。どういう流れで雫先輩までバレたのかは謎だけど。
「やっぱり深入りすべきではないのかもしれませんね。真相を知ったってやっぱり……誰も幸せにはならないんじゃないでしょうか?」
謎を解くために見たくないものを見せられた。その上副産物で知りたくもない野球部の闇も知ってしまった。
不合理でも今は謎を解く――そんないつぞやの決心がいとも簡単に揺らいでしまう。けど自分はもう引き返せないところまで知ってしまった。
「S²はもしかしたら荘川先生かもしれないわね」
「まさか!」
しばらくの沈黙の後、いきなりと突拍子もないことを言いだすと思った。それでも雫先輩はこう自身の推理を語る。
オバケの特性故に疲弊してしまった生徒が殺人を犯し、いよいよ精神バランスが崩壊が崩壊してしまったがためにそのとどめを先生自ら差す。S²のSは荘川のSと史郎のSとったものである――と。
「――なんてね」
最後は冗談めかしに括っていたけれど、言われてみたら妙につじつまが合う。本当に荘川先生がS²なんだろうか? だからこれ以上調べるなと。
「あ、そうそう、一昨日言ってた卒アルの件なんだけど、代わりになりそうなもの見つけてきたよ」
差し出されたのは日焼けしたA4サイズの冊子。厚みはそこまでないがカラー印刷でそこそこ手の込んだ作りだ。
「『委員会広報』ですか」
委員会広報――その年の各委員会の集合写真と所属する生徒の名前が網羅してある冊子で今年も写真撮影があった。
「そうそう、平成23年度前期のに3人とも名前あったよ」
丁寧に名前と写真が載っているところに付箋が貼ってある。
最初に開いたのは学級委員のページ。
「学級委員――普通科2年A組、藤原朱鶴、普通科2年D組、松風文香……」
名簿欄の上に当時の集合写真が載っている。
「……ッ!」
写真を目にして絶句した。
笑顔で写っている写真の中でただ1人だけ笑い方の性質が異なる人物がいて。笑ってはいるけれどどうにも心底からは笑っているように見えない。私と瓜二つの子がそんな表情をして紛れ込んでいた。
「びっくりしました。よく似てますねホントに。合成じゃないかって疑いたくなります」
これなら出会いがしらで藤原先生や三条先生が驚くのも無理はない。自分が逆の立場でも間違いなくそれなりの反応をしていただろう。
「ね。わたしも最初借りるの間違えたかと思ったわ」
気味が悪いと思いながらもう1つの付箋が貼ってあるページも開く。
「図書委員……普通科2年A組、三条綾乃」
図書委員? 三条先生の名前や写真よりもそっちの方が気になった。
「図書委員なんてあったんですね」
「あーそっち? まぁね、実はひーちゃんが入学してくる前の年まで図書委員あったんだよね。でも委員会整理で広報委員と合併して今の文化委員体制になったのよ」
だから三条先生に文化委員って言ったとき、訊きなれないって顔をされたのか。
「クラスも委員会も3人の共通ってわけでないんですね」
写真は見られたけど別段3人の関係を特定するにはちょっと情報が少なすぎる。もし23年度後期や22年度の分なんかでクラス、あるいは委員会が被ることはしてないだろうか?
「ちなみになんですが、他の年度や期でも3人ともクラスや委員会が被るってことはなかったですか?」
念のため訊いてみる。
「見てきた中だと3年次のクラスが同じだったみたい。普3Aの前期学級委員が松風文香で後期が藤原先生になってたし、同じクラスの図書委員が前後期通して三条先生になってたから……」
じゃあ、やっぱり3年次だけか。藤原先生の言い草からもっと昔からの関わりはありそうだけど。
「あとその冊子の中からこんなの出てきたんだ」
遅れて差し出されたのは例の古びた封筒。封は切ってあるから多分雫先輩ももう中身は知っているはず。
「……読ませてもらいます」
封筒の中に入っていたのはたった1枚の便箋。しかも分量は4行とかなり少なかった。その代わり――。
『高科竜次という人間は……松風文香というオバケによって殺されました。
そしてその松風文香というオバケの最期はS²によっても
たらされたのであります。
――これはどれだけ至福なことでありましょうか』
ここにきてまた新しい登場人物が現れた。
これで便箋における登場人物は3人目。でもその人物はすでに故人のみたいだ。なぜなら松風文香によって殺されたから。そして後に自身はS²によって最期を迎えたと語る。
「前回の便箋に綴っていた『自分は人を殺めました』ってこのことなんでしょうか?」
「そうすればつながるわよね。でも、どうして高科竜次を殺さなくちゃいけなかったのか、そこが納得できないわ」
雫先輩の懸念事項はもっともで、『殺した』というのが文面上つながっても、動機までは見いだせない。
S²を恐れていたと言っているからS²を殺すとしたらまだ頷ける。それでも高科竜次にSという文字は『科』の部分にしなく、S²をイニシャル関連とするならそれには果てしなく無理がある気がする。仮にイニシャルじゃなかったとして高科竜次をS²としても、松風文香より先に死んでいることになるから、どうにも矛盾が起きてしまう。
「少なくとも委員会名簿に『高科竜次』という名前はなかったし……東濃飛騨の生徒として死んだなら松風文香の前後に少なくとも取り上げられるはずよね?」
「じゃあこの人は一体……」
おそらく――というかほぼ断定できることは藤原先生の言っていた4人のうちの1人だってことくらいだろう。
「他校の生徒、あるいは高校進学前に死んだと見るのが妥当じゃないかしら。私は当時の部活動の方をあたってみるわ。確か当時の部活動の記録が第一書庫の方に残ってあと思うから……あとは、ひーちゃんの頼んだ人からどれだけの情報を得られるかね」
どうやらこの謎、事件の実態は思っていたよりも数段複雑なものになりそうだ。
火曜日、水曜日と何ごとも起こらず、進展もなく過ごし迎えた木曜日。
この日は森川先輩と当番日だった。
「森川先輩は硬式野球部の芝草先輩って知ってます?」
ふとそんなことを尋ねてみる。
藤原先生は温厚だと言っていたけれど、初見があれなものだから私にはとても温厚だと思えなかった。
それで芝草先輩は家政科だし、その家政科は2クラスしかない。だからひょっとしたら森川先輩なら知ってるかなって。
「硬式野球部の芝草って……あー、春也? 知ってるよ。同じクラスだし、何なら小学校時代からのつき合いだよ」
「そんなになるんですね」
クラスどころか幼馴染だったのか。これなら信憑性のある話を訊けそう。
「それがどうかした?」
「いや……その」
ところがどう説明するか迷った。他人様のことをペラペラと喋っていいものだろうかと。それでも森川先輩に「アンタが訊いたんでしょ? ハッキリ言うッ!」って言われて、それに威圧される形で話し始める。
「この前、クラスの野球部員と揉めてたのでどうしたものかなと」
「へぇ~、アイツ揉めるんだ。普通に良い奴だけどね」
「普通……ですか。結構怒鳴ってましたけど」
「そうだよ。なんつったら良いかなぁ。少なくともアタシは春也が怒声を浴びせるようなところ見たことないな。小学校でも中学でもそうだったような気がするけど。何なら虫も殺せないような奴でね。『国分寺中のエイル』なんて呼ばれてたっけ」
そんな感じなんだ。にわかに信じがたいけど2人も温厚だと証言して、うち1人は小学校のときから見ていると言うのだから真実なんだろう。
じゃあ、芝草先輩はどうして神田くんにだけ当たりが強かったんだろう?
いやいや、これは本筋じゃない。
私が調べるべきは松風文香であって硬式野球部の闇じゃないんだ。
あれは……間が悪かったということにしておこう。
そんなこんなで気がつけば土曜日。
もう糸井さんとの約束の日になっていた。
朝8時高山発の特急に揺られて飛騨川沿いに一路岐阜を目指して南下する。
山と川ばかりで代わり映えのしない景色にうつらうつらしていると、いつの間にか次が下車駅になっていた。
岐阜まで来たのはいつぶりだろう?
高校入学直前に糸井さんとそれ絡みの相談をした時以来だから……かれこれ1年半くらいか。
駅前のロータリーの改修工事が進んでいて駅前がだいぶ綺麗になっている印象だ。
休日の岐阜駅は人手で賑わっていた。
車社会の地方都市と言えど、名古屋にほど近く、中京都市圏の一角を成す岐阜駅周辺はさすがに鉄道の往来も多く、JRと名鉄合わせてそこそこな利用者規模を誇る。
そんなわけで名古屋方面へ出かける人や逆にそっちから来る人がいるわけで。休日を謳歌する親子連れや学生で溢れかえっていた。
私は人ごみを避けるように近くの公衆電話に入り、糸井さんに一報を入れ、事務所に向け歩き出す。
駅を出てすぐ、繁華街裏手の細い路地に入る。一方通行になっていて車は後ろから自分を抜いていくだけ。ここを運転するのは少々億劫だろうなとか考えながら乱立する雑居ビル群を見渡す。その一角に3階建てくらいの小さな建物が見えた。糸井さんの事務所が入る建物だ。
駅から徒歩で7分弱。鉄道しか移動手段を持たない自分にとっては良心的な距離で助かる。
「失礼します」
ドアを開けて事務所の中に入ると、糸井さんがちょうど受付の人と話しているところだった。
「あ、来たね日立さん。みっちりと調べてもらったから、とりあえず奥で話そうか」
そう糸井さんに案内されたのは事務所の奥の仕切りに囲まれたスペースだった。
「ささ、座ってください」
糸井さんにそう促され、私は軽く会釈をしてから用意されたパイプ椅子に座る。
「それじゃあ、早速だけど調べてもらったことについて話すので。覚悟はいいですか?」
「はい」
「今回調べる対象として依頼を受けたのは5年前に亡くなった松風文香さんと同人の身辺関係で間違いないですか?」
「はい」
簡単な確認事項の後、これからいよいよ本題。
「それじゃあ、出生地から――
生まれは岐阜県飛騨市神岡町……昔、鉱山で栄えた町ですね。
幼少のころから人当たりが良く、とても優しい子として近所でも評判だったみたいです。また面白い冗談を言い、人を笑わせるのが上手かったともありますね。
この性格から小学校に入学して以降も友達は非常に多かったものの特に親しくしていたのは藤原朱鶴、三条綾乃、高科竜次の3人だったようです」
おべっか、へつらい……ありとあらゆる手段を駆使して人に好かれようとしていたのはこの情報からもわかる。けど藤原先生や三条先生、そして高科竜次は別格の存在だった。それがどうして高科竜次を殺すことになり、ひいては自死につながったのか。
糸井さんは私がメモを取るのを待ってから続ける。
「リーダー格の藤原、良識派でフォロー役の三条、何事にも一直線な高科、そしてトラブルメーカーの松風。良くも悪くもアクションを松風が起こし、高科が追従、三条がフォローを入れ、藤原が場を収めるという一連の流れがあった構図になっていたらしいです。その性質上怒られ役を松風文香が、怒り役を藤原朱鶴が演じていたことになりますね。
ただ、この関係に異変が生じたのが小学校5年生のときで。
三条が家業の兼ね合いで郡上市の学校へ転校。一応、三条を含めた交友関係は続いてはいたものの、実質的には三条抜きの3人での関係になってしまいます。
この頃から高科は松風に惚れていたようで、周囲にはいつ告白をするという相談をしていたようです」
「その相談は藤原先生にはしなかったんでしょうか?」
「どうでしょう……そこまではハッキリと書いていないので。でも個人的には十二分にあり得る話だとは思いますよ」
藤原先生に相談をしたんだろうか? 今までの関係を壊すかもしれない相談を? でも小学校5年生でそこまで意識するかどうか。
これはわからない以上続きを聞くしかない。
「それからさらに4年後、松風と周囲を取りまく関係に強烈な事件が起きます。
高科竜次の事故死です。
事故現場は神岡町内の国道471号線|江馬町《えまちょう)交差点付近で線形は見通しの良い直線。路側帯内に停車していた車の陰から突然高科が飛び出したところへ運悪くトラックが突っ込み跳ねられてしまったようで……即死だったみたいです。
トラックのドライバーは当時の自動車運転過失致死、今で言うところの過失運転致死の疑いで駆け付けた警察に逮捕されましたが、後の裁判で「何かに押されたようだった」という証言をしていています。でも結局は車両にドライブレコーダーが搭載されておらず、決定的な証拠を欠くことからこの証言が事実認定されることはなかったようです。
それから3ヶ月が経ち、松風、藤原が東濃大飛騨高校に進学。奇しくも転校して行った三条も戻る形となり、高校生活は再び3人となったようですね。
それから2年半後、松風文香は同校の第二書庫で割腹自殺を図り、意識不明の状態で倒れているのを藤原が発見し、担任が消防と警察に通報、病院に搬送されるもそのまま容態は回復すことなく次の日の夕方に息を引き取った――。
と言うのが松風文香の生涯になります」
「松風文香の死は他殺という線は無かったんでしょうか? 当時の記事を読みました。けれど警察が自殺と断定したのが妙に早かったような気がするんですけれど」
話を聞きながら疑問に思ったことがまずこれだ。仮に自殺だとしてなぜ割腹自殺なのか。ナイフで刺されたという線はなかったのか。雫先輩の仮設が正しければ、荘川先生が刺したってこともあり得る。
「ナイフには松風文香の指紋しかついていなかったそうです。それに加えて『高科竜次を殺したのは自分です。自分にはその罪を背負って生きていくことができません。だから自分は死をもって償うことしかできないのです』って書き記された遺書が見つかったので、警察も早い段階で自殺と断定したようです」
遺書? 遺書が見つかったってことはあの便箋とは別で用意していたんだ。その割には内容にズレのようなものを感じてしまう。高科の死で精神バランスが崩壊したことは便箋と同じだが、そこに罪悪感で死んだというのはどうにも疑わしい。S²によってもたらされる死が至福であったのが真相なら、そこには贖罪の念はないんじゃないかと。それにそもそも根本は松風文香が人の感情がわからないオバケだったということを思慮すれば、やっぱり発見された遺書はダミーと見るのが妥当か。
何にしても、たった1週間でよく調べられたものだ。糸井さんも相当敏腕な探偵に依頼してくれたんだと思う。まずはそこに感謝だ。
「そうですか……わかりました」
登場人物の中でSのイニシャルが入るのは藤原先生、三条先生、そして荘川先生の3人。名前に荘川先生S²仮説が一歩リードだけど、その他の可能性も否定できないとメモに記しておく。
一通りメモをまとめ、筆記用具と一緒に鞄へ入れる。それから深々と頭を下げて、「糸井さん、何から何まで本当にありがとうございます」とありきたりなお礼の言葉を口にする。なんだか企業面接さながらって気もしなくもない。
「いえいえ、僕の方こそ子供が帰ってきたみたいで本当に嬉しいんです。だから気にしないでください」
「失礼ですがお子さん……いらしたんですね」
糸井さんにはよくお世話になっていたけどそれは知らなかった。
「えぇ、実の娘が1人と養子の息子が1人。まぁ、どっちも居なくなってしまったんですけどね」
少し寂しそうに笑いながら携帯電話の画像フォルダのから写真をいくつか見せてくれた。
そこに写っているのは糸井さんと2人の子供。1人は女の子で無邪気そうな笑みを浮かべている。そしてもう1人は男の子。この男の子も同じように笑顔で写っているが、よく見るとどこかその笑顔が引きつっている。そして拳を強く握りしめているという何とも不思議な光景だった。
糸井さんはこのことに気づいているのだろうか?
でも愛おしそうに写真を眺めてるこの人にそんなことなんて訊けない。
結局、私はそのことを訊かないまま事務所を後にした。
それにしてもあの摩訶不思議な顔をした表情とポーズ、つい最近どこかで見たような――。
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