5人が本棚に入れています
本棚に追加
第10章 オバケへの復讐
往復で特急に乗ったはずなのに、糸井さんの事務所に滞在した時間よりも、往路と復路合わせて列車に揺られてる時間の方がはるかに長かった。それだけ飛騨地方と岐阜市内が離れているんだってことを痛感する。それは物理的にもそうだし、それ以上に過去と現在との乖離という要素をはらんでいたようにも思う。
せっかく岐阜まで行ったんだし、アオにも会ってくればよかったかな。
いや、今のアオが私を受け入れてくれるはずもないか。
私は一体、いつになったら許してもらえるかな?
いつになったら……ちゃんとアオに会いに行けるだろうか?
雲の合間から顔を覗かせる太陽。その光を反射し、キラキラと輝く飛騨川の水面を眺めながら、そんなことばかり考えていた。
寮の自室の前まで戻って来ると、ネームプレートの下の表示が不在になっていた。
それもそのはずで、雫先輩は志望大学のオープンキャンパスで今日から岩手に行っている。移動日込みで2泊3日の予定で、戻って来るのは月曜日の夜だそう。
それでもあの人は気になって仕方がないらしく、時間があるときに電話するようにとの書置きがしてあった。
午後6時30分――早めの夕食とお風呂を済ませて、共用部の公衆電話に今日のメモと105度のテレホンカード3枚を持って向かう。いくら携帯電話にかけるからって10秒×105/60だから1枚で約17分ほど話せる。それが3枚あれば概ね50分。もし足りなければ……そのときはそのときだ。
学校と駅以外ではすっかり見なくなった緑の電話にテレカを入れてダイヤルを押す。3~4コールくらいでつながった。
「お疲れ様です。日立です」
『あ、お疲れ~』
「もうホテルですか?」
『ええ、5時前くらいに着いてさ。ちょうど外でご飯食べて帰ってきたところ。それでそれでひーちゃんの方はどうだった?』
前置きのやり取りをほんの1往復で済ませ、もう話題は松風文香の話題に。
「じゃあ話しますね――」
自分自身、糸井さんに聞いた話を整理しながら順に雫先輩に伝える。
松風文香の生まれ育ちは飛騨市神岡町に始まり、優しくユーモアのある子として評判が良かったことや、藤原先生、三条先生に高科竜次を加えた3人と特別親しかったこと。他にも中学で三条先生が転校して高校で戻ってきたことや、その間に高科竜次が交通事故で死んでいたこと。そして最期は高科竜次の死が自分に起因するものだったと遺書を残し、第二書庫で割腹自殺を図って意識不明のまま自らも死を遂げ……ん? ちょっと待って――。
糸井さんに話してもらったときは何も思わなかったのに、いざ自分の口で説明してみると最期に矛盾があることに気づく。
『ちょっと待って! じゃあ、松風文香は病院に運ばれた後一度も目を覚まさないで死んだってこと?』
雫先輩も同様のことを感じた様で声色が変わった。
一度も目を覚ますことなく死んだのならおかしい。だって――。
「2枚目の便箋は誰が書いたんでしょう……?」
2枚目の便箋には確かに自分の末路について綴ってあった。それでも疑問に思わなかったのはナイフが刺さった状態で発見されてから病院で死亡が確認されるまでにラグがあったことだ。その間に死期を悟って書き残したと勝手に思い込んで疑ってなかった。それが根本から覆ることになるから……。
『それを含めて全部知っているのはS²だけじゃないかな?』
S²が誰かわからなければこれ以上先に進めない。藤原先生、三条先生、荘川先生――この中の誰かだろうけれど、全部憶測の域に留まるばかりで決定的な証拠が見つからない。
そうやって私が袋小路に迷い込んだとき、出口へのヒントをくれるのが雫先輩。『あ、そうそう。部活のことなんだけどね、調べたわよ』と別のアプローチ方法を打ち出す。
『それも結構面白い事実がわかったわ。バックナンバーの新聞記事なんだけど、ちょっと渡すタイミングがなくて司書室に置きっぱなしになってて……悪いんだけど月曜日に自分で見てきてくれないかな。たぶんわたしが口頭で伝えるよりもそっちの方が良いはずだから』
あくまでくれるのはヒントだけ。決して答えまでは教えてくれないんだ。今回もきっとそういうことだろう。「え、それどういうことですか?」と訊いてみても、『とりあえず司書室に置いてるから。それじゃあ、また何かあったら電話ね』と返してくるだけで内容まで教えてくれなかった。
でも部活のことを調べればきっと答えが見えてくる。それぐらい重要な事実を雫先輩は見つけてくれたんだと思う。
月曜日――この日に不在なのは雫先輩だけじゃなかった。神田くんも対外遠征で公欠になっていた。
いつもより静かな隣に寂しさを覚えながら午前中の授業を受け、お昼休みになると雫先輩に言われた通り司書室へ行った。
長机の上に置かれたクリアファイルには雫先輩の文字で「ひーちゃんへ」と書かれた付箋紙が貼ってある。中には新聞記事のコピーが1枚入っているだけだった。
発行日は2012年7月28日発行のもので、写真付きの少し大きめな記事にはこんな見出しがついていた。
『東濃大飛騨、昨年の覇者・恵那西高を振り切り、6年ぶり4回目のV』
確かに藤原先生はOGだと言っていたけども……一体うちの野球部が甲子園出場を決めたことと松風文香と何の関連があるんだと内心呆れつつ記事を読み進める。
『0対0の投手戦で迎えた6回、東濃大飛騨は安打と失策で1死二、三塁のチャンスを作り、迎える打者は4番の――』
淡々と書き記された試合経過にやっぱり関係ないじゃないかと雫先輩の言葉を疑ってしまう。しかし、それを読み進めていくと思いもよらないところで結びつく。
試合内容、選手監督のインタビューと続いて最後に選手のお守りについて綴ってあった。そこには当時のマネージャーの名前とコメント、そして同部を襲った悲劇について短いながらに紹介されていて。
『部員1人1人の持つお守りを作ったのは野球部マネージャーの藤原朱鶴さん(17歳)と三条綾乃さん(18歳)。藤原さんは(それぞれ選手の顔を思い浮かべながら作った。甲子園でも勝ち上がって、天国の文香にもこの気持ちが届いてほしい)と先月亡くなった同部のマネージャー、松風文香さんへの思いを語ってくれた』
3人とも硬式野球部の所属だったんだ――記事になっているんだからそれは紛れもない事実だけど。だとしたら神田くんはこの話をどこまで知っているんだろう?
いくら大所帯の部だからって4、5年前のOGなら名前くらい知っていても不思議じゃない。それどころか部員が死でる上にその当時を知る同期が2人も教育実習生として帰ってきているんだ。本人たちが話さなくても噂にくらいなるだろう。
でも神田くんはそんなこと一言も言ってなかった。
彼に尋ねたくても不在だ――でも今日、仮にいたとしても話してくれるか危うい。
どういう風に訊けばちゃんと話してくれるかと、頭の中で台本を組み立てながら教室に帰る。
椅子に座っていつもより遅めの昼食をとろうとしたとき、清水くんがやってきて「これからお昼ですか?」と尋ねられた。
「そうだけど?」
「お昼前に申し訳ないんですけど、さっき荘川先生があかりさん宛てに電話だって教室に来たんです。だから――」
清水くんの声にかぶさるように校内放送のチャイムが鳴り響く。そして荘川先生の低い声がスピーカから流れる。
「普2–Cの日立あかり、至急職員室まで来るように」
短いけどよく万能で使い古された台詞。怒られるときも褒められるときもその他雑用のときもだいたいこの「至急報」で呼び出す。ただ半分以上は悪いことの方が多い。そのためか周囲の女子はクスクスと笑っていた。
ただ、私は悪いことをしたわけじゃない。それは清水くんが証明してくれたわけだから根も葉もない嘲笑は無視すれば良い。
「ありがとう、行ってくるね」
「う、うん……」
どこか不安気な表情を浮かべる清水くん。何か虫の知らせみたいなものを感じていたのかもしれない。とはいえ呼び出された以上行くしかないし……。
とにかく考えることをやめて職員室に急いだ。
職員室の入り口で荘川先生が待っていた。
そして階段から降りてきた私を見るなりこっちだと自分の席まで誘導する。
荘川先生が言うに電話の相手は糸井さんだった。
「お待たせして申し訳ありません。日立です」
「学校中にすみません」
電話に出ると糸井さんは短い謝意を述べ、その後に「伝え忘れたことがありまして」と付け加える。そして数秒の間を置いて続きを話し始めた。
「いや実はこの間のお話の中で1人苗字が変わっていた人がいて……」
「変わっていた……ですか?」
「はい。どうももともとシングルマザーだったようで、小学校に上がる直前に母親が結婚したとかで今の苗字になったそうで。その方の旧姓が――」
松風文香当人の話ではなかった。
けれど確かに一番彼女に近い人物のことで、S²が誰だかこれでハッキリした。
最初のコメントを投稿しよう!