プロローグ

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 明日は笑っていられるかな――。  こんなことを願ったのはいつのことだったっけ。  何かを叱責されたとき? 大きなケガをしたとき? それとも……親友と仲たがいをしたときだったかな?  思い返せばこの瞬間から目を逸らして明日を見ていたことって結構あったような気がする。でもその大抵が一過性の感情で。2、3日も経てば望んだとおりの明日がやってきていた。とはいえ、ときには明日が中々来ないことだってあるのも事実。ただ……そんな簡単そうなことを私が知ったのは12歳のときのことだった。これを早いと見るか遅いと見るかは人それぞれだ。けれども私からすれば若干早かったように感じてならない。できることならもう少しだけ――何も知らないままでいたかった。  中学1年生の夏、まだプロ野球もJリーグも真っ盛りなころ、父が何気なしに買ってきた宝くじ。それが終わりの始まりだった。  宝くじを買ってきた日、父は私に紙きれを見せながら「父さんは夢を買ったんだ」と自慢していたのを覚えている。6ケタの数字が並んだ細長い紙が、そのままただの紙切れであってくれれば「こんなの当たる訳がない」の一言で済ませられた。ところが蓋を開けてみたら1等の当選くじと全く同じ配列をしていた。一瞬にしてただの紙切れが10億の価値を持ってしまったのだ。  目立つことが苦手だった私にとって、普通の家庭で普通の生活ができているだけで十分だったのに。唯一無二の親友だっていたし、それ以上に望むものなんてなんらなかった。それなのに10億円の津波に小型船「小さな幸せ号」はいとも簡単に呑み込まれてしまう。  親戚や勧誘が増えたのにも困ったが、学校で友人が増えたのには参った。  誰もかれもが口を開けば「高額当選したってホント?」ばかり。逆にこっちが「一体どこからその情報を仕入れたの?」と訊いてやりたくなる。  でも物は考え様だ。もしかしたら人見知りを克服するチャンスかもしれない。  この現状にほんの一瞬でも淡い期待を抱いた自分がいた。周囲に人が集まってくる今なら、少しでも他人を好きになれるかもしれない……と。実際そんな都合の良いことなんてあるはずもないのにね。  結果を簡潔に言えば、父が買った夢に私は悪夢を見せられた。  何を思ったのか両親は10億円を抱えて蒸発。近づいてきた人たちは私に価値がないとわかると即退散。あげくの果てには親友と仲たがい――。  気がつけば私の手元に残っていたのは空っぽの心と右肘のケロイドだけだった。しかもあまりのストレスから失声症まで発症して……内心「もうダメかな」と諦めムードだった。  たぶん蒸発した両親に代わって引き取ってくれたのが飛騨(ひだ)の祖母でなければ、私の運命は衰弱死か自殺かのどちらかだったと思う。  祖母のお陰でなんとか持ち直した私は普通の生活ができるくらいには回復し、無事に中学を卒業、高校にも進学できた。  そして今も普通の高校生をやっている。  目立たず、友達も作らず、表情もあまり変えず……ただ空気のような、取るに足らない存在であり続ける。それが私にとって理想の生き方だ。昔の記憶は全てリセットして、少しでも合理的に前へ進んでいくしかないのだから。
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