第2章 ルームメイトは係長

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「はい、授業はここまで」  先生が黒板を消しながら4時限目の終了を宣告する。同時に学級委員が号令をかけ、そこから長い長い昼休みが始まった。周囲を見回すと授業中の静寂とはうって変わってにぎやかな様子。仲良しグループで話をしたり、携帯電話をいじったり、お弁当を食べたり――人それぞれが思うようにお昼休みを満喫している。  私は……朝購買で買ったカレーパンをお昼にして、食べ終わったら次の授業準備をする。  あれ困ったな。  やることがこれくらいしか思いつかないや。  大体これだけだったら10分ほどあれば完了するんだけど、あいにく昼休みの時間は30分。あと3分の2は何をしようか。  やっぱり昼休みはすこぶる退屈だ。授業中は話を聞いてノートをとることを延々やるわけだから、その作業に集中してればいい。だけど自由時間となると自分でやることを考えなきゃだからちょっとしんどい。そりゃあ、もっと友達とか作って何かしらすればいいんだろうけど。  ――アカは……どうせ本気で人を好きになったことなんてないクセに――  どうしてもあのときのことがそれを邪魔する。今は長袖に隠されている右ひじのケロイド。また同じような傷ができるんじゃないかって思えて。  だから私は友達を作ることはやめた。どこまで行っても知り合い止まり。それでいいと思っている。距離が近すぎると苦しいから、本心なんて見せずに不愛想の仮面を被り、人と距離をとる。 「なぁ、日立(ひたち)」  そうやっていてもこんな風に話しかけてくるもの好きもいたりする。例えばお隣の野球部のエースとか。 「何? 神田(かんだ)くん」 「お前もう食ったのか?」  人の昼食事情を心配してる割に彼のタッパーには大量のお米とおかずがまだ残っている。弁当箱じゃなくてタッパーで持ってくるあたり、さすが運動部って感じだ。 「まぁね」 「おいおい、いつの間に」  そりゃあ、あなたが自分のお弁当に集中している間に食べ終わったもの。知らないのも無理はないって。 「ずっと横で食べてたよ。カレーパン」 「それ弁当って言わなくね?」  あ、食べてるのは見てたんだ……意外。  確かに運動部の男子からしたら食べたうちに入らないかもしれない。それでも私みたいな小食からすれば――。 「十分足りてます」 「背伸びないぞ」 「何それ、余計なお世話だよ……それに神田くんだって168でしょ? 高2の平均身長より低いんだから、人のこと言えた義理じゃないと思うんだけど」  背が低いのは昔から変わらないし、こう見えても一応気にはしてる。それであんまり言われたくなかったからちょぴりムキになる。  本当はこんなのも軽く流せるようにしなければいけないんだけど、なかなか上手くはいかないもので。 「うっ……ま、まぁ、とりあえず暇なんだな?」 「あ、ごまかした」 「うるさいやい!」  まぁ、でも、彼だからまだ感情が出せるっていうのはあるかな。基本的にはただの雑談で終わるから。たまに基本じゃないこともあるけど。 「とりあえず暇ならこの後おれと購買行こうぜ」  ほらきたたまの応用編。購買に行こうとか言う謎のお誘い。 「何で?」  すぐさま理由を尋ねた。すると神田くんは自分のお弁当をそっちのけで語り始める。 「今購買で来週発売の”アルティメットギガホットドック”の抽選券を配ってんだよ。いいか、このホットドッグはな、外はカリッ、中はふわッとした食感がウリの購買特製揚げパンで包んだ――」  ようは購買に新商品の抽選券をもらいに行くと。本当に抽選券がいるような商品なのかどうかは甚だ疑問だけど、気にするべきところではないんだろう。 「いや、いらないよ抽選券なんて」  これが私の答え。  だって考えてみなよ神田くん。そんな油きつそうなのなんて私が食べられると思ってる?75d28f0b-171e-4c8c-b36e-f6684d8b6d99「おれが欲しいから」 「1人じゃダメなの?」 「ダメなんだよ~。1人1枚しかもらえなくてさ。おれと日立で2人分もらったら確率もあがるだろ?」  当選確率か……母数がいくらかわからないけど、そりゃあまぁ、多少確率上がるだろうさ。でも当選することが必ずしもいいことじゃないことを私は知ってるから――。 「私はいいかな。くじみたいな運任せなの、あんまり好きじゃなくてさ」 「……」  作り笑顔を浮かべてやんわり断ると神田くんは急に黙り込んだ。 「神田くん?」 「あ、あぁ、それならいいんだ。悪かった。代わりに今度食堂に何か食べに行こうぜ」  嫌だなって感情が伝わってしまっただろうか。ちょっとマズったな。彼はときどき鋭くなるから……やっぱり気をつけないといけない。 「あ、えと……うん、そうだね」  とりあえず会話を終わらせるための短い相槌を打ってその場をやり過ごす。  放課後、終礼が終わると私は足早に図書館へ向かう。  今日は文化委員の当番日。図書係の私がやることはカウンターの前に座って本の返却、貸出の受付。あとは適当にタイミングを見計らって館内の清掃やその他雑務をして最後に戸締り。基本的には忙しくないものの、確実に最終下校まで残らなければならない拘束時間の長さから文化委員内でもそこまで人気がない係だ。  私はどちらかと言うと嫌いじゃない。  人との関わりも少ないし、作業だって多くなければ煩雑でもない。ボケーっとしているだけで放課後の時間を潰せるんだからむしろ気楽でいられる。だからって昨日の日直といい、この図書係といい、人から煙たがられる雑用をなんでも引き受けるわけじゃないけど。  けど……どっちかっていうと今日はちょっと早く帰りたいな。  というのも午後に入ってからちょっと体調が良くない。特に頭痛。6限目の終わりあたりからずっとズキズキする。 「はぁ……」  何の意味もないため息を吐いて、図書館入り口の重い扉に手をかけた瞬間――。 「そんなため息なんか吐いてたら、幸せが蜘蛛の子を散らして逃げて行っちゃうよ」  不意に背後からため息を咎められた。  声の主はわかっている。  文化委員図書係の係長で寮のルームメイトの水島(みずしま)(しずく)先輩だ。  眼鏡が似合うおっとりとした顔つきに透き通るような白い肌。腰のあたりまで伸びるポニーテールは黒く、艶やかな髪質が肌の白さを一層際だたせている。ハッキリ言って美人だ。例えるなら現世の小野小町(おののこまち)とか現代の大和撫子とかそんな感じ。 「お疲れ様です、先輩」  ルームメイトであっても先輩だ。頭を下げて挨拶をする。この感覚はたぶん、神田くんが部活の先輩とすれ違うたびに挨拶をしてるのと同じなんだろう。  でも雫先輩は優しいから、挨拶をする度にかた苦しいと苦笑いを浮かべる。 「もぉ、ひーちゃんは真面目だねぇ~。ルームメイトなんだからもう少し気楽にいこうよ~」  こんな風に。 「その台詞、耳に胼胝です」 「それだけ言わせてるのは誰かしらね~」  そもそも気楽にって言われても……どう接したら良いものだろうか?  ――やっほ~雫センパイ! お疲れ様でーす☆――  さすがに……これはない。  少しばかり気楽な自分を想像してみるも、脳裏に浮かんだ姿は現実とあまりにも乖離している。気楽っていうかすごく頭悪そう。やっぱりこのままでいるのが一番か。  引き戸をスライドさせつつ、頭の中に突如降りた別人さんとお別れして気持ちを切り替える。  図書館に入ると、まずはカウンター奧の司書室に荷物類を置きに行く。  そこは本来司書資格を持ったの先生が事務作業をする場所なのだが、滅多にいないのでほぼ図書係のたまり場になっている。  荷物を置くと先輩は活動記録簿の記入をはじめ、その間に私はカウンターの貸出用パソコンを起動させる。 「あれ、なかなかつかないな」  職員室のお古に無理やり貸出管理の機能をつけたものだからそろそろガタがきているんだと思う。今日みたいに機嫌が悪いとなかなか起動しないし、ひどいときには貸出処理をしている途中にフリーズすることがあるから。 「どうしたの? また調子悪い?」  雫先輩が活動記録簿を書き終える方が先だった。  文化委員の腕章と大量のポップを抱えてやってきた。 「そうなんですよ。そろそろこれも限界だと思うんですけど」 「大丈夫大丈夫。彼、暴力には弱いから」  一瞬何を言ってるのかとわからなかった。  でもその答えはすぐに明白になる。  腕章とポップ軍団をカウンターの上に置き、笑顔のまま思いっきり右手をパソコン本体めがけて振り下ろした。  私と先輩以外誰もいない図書館に鈍い音が響く。  するとさっきまで真っ暗だったブラウン管のディスプレイがみるみるうちに表示を始めていった。 「ほらね。ついたでしょ」  なるほど。機種が古いと対処法も古くていいんだ。また一つ勉強した。  パソコンが完全に起動し、いつでも貸出処理ができるようになったところで 「それじゃあね、今日はみんなが作ってくれたっポップを本と一緒に並べる作業をやりましょうかね。本はわたしが探してくるから、並べるのはひーちゃんお願いね」 「わかりました」  雫先輩は今日やることと役割分担を一通り話すとポップのリストを片手に席を離れる。  手元に残されたポップは十数枚。王道を極めたようなものから趣味全開の奇抜なものまであって、見たところジャンルに偏りはなさそうだ。これだけあればそれなりに色のあるポップ棚になってくれるよね。  さて、先輩が戻るまでカウンターのお守りをしますか。  椅子に座り、明朝体で『文化委員』と書かれた腕章に袖を通す。  滅多に人の来ない放課後の図書館。忙しい放課後があるとすれば部活が一斉停止になるテスト週間くらい。そのときはさすがに満員御礼で、本の貸出数も参考書を中心に伸びる。でも今日はテスト週間じゃないから。人気はグラウンドや体育館、部室に集中している。  今ここに感じる気配はポップ掲示用の本を探している先輩のだけ。  私は『銀河鉄道の夜』を読みながらいつか来るかもしれない利用者を待つ。  ところが同じ行を読み返したり、文字がバラバラに見えて読めなくなったりと一向に進まない。結局主人公たちが列車に乗る前に本を閉じる。次は児童書にしようかな。文字も大きいし、行間も広くて読みやすそうだし。  読書をやめてからは頬杖をつき、視線はどこか適当な場所へ置いておく。そして疲れたらまた別の方に焦点をづらしてしばらく休憩。  それを繰り返していたらだんだんとウトウトしてきた。  パチパチと軽く頬を叩いて目を覚まそうとする。  けれども頭痛も相まって自分の意に反して眠気は加速するばかり。今にも睡魔という見えない悪魔に飲まれそうだ。  今思えばあの朝は両親がびっくりするくらい明るかった。そして必要以上に優しかったと思う。当時はまだ気づいていなかったけど、考えて見れば自然の中に不自然がちょくちょく紛れ込んでいた。  にもかかわらず疑うことをしなかった私は親友と学校へ行く。  もしかしたら10億渦(おくか)の学校でどう対応するかということばかりを考えて目の前の異変に気づけなかったのかもしれない。  そしてやっとの気持ちで1日を終え、帰宅すると家には誰もいなかった。仕事や買い出しでいないのだと思っていただろう。リビングの机の上に「Dear Akari. Goodbye. From your parents. 」なんて書置きがなければ。  しかもこれで終わりじゃなかった。  このことが引き金となって親友に疑われた。「アカにとってアオって何だったの?」と。親友の問いに対する明確な答えを出せなかった私は、親友と――アオと最悪の別れ方をした。その傷は右肘のケロイドとなってハッキリと今も残っている。 「一体どこで間違えたかな……”日立あかり”は」  虚空の中で独り呟く。  360度見渡す限りの闇の中にポツンとたたずむ自分。  どこまで進めば出口は見えてくるだろうか。  今現在身体が向いている方へまっすぐ歩き始める。  ――ドンッ――  しばらく進んでいくと突き当たりだろうか、何かにぶつかった。  壁……かな? にしてはちょっと柔らかくて不規則な感触をしていたような。 「うぐっ!?」  それが何なのか確認しようと触れた瞬間、急に首根っこを掴まれる感覚に襲われる。暗くてよく見えないけど、4本の指? は後ろ首をしっかりと固定してて、1本は確実に気管を抑えてくる。  この感覚は……やっぱり人の手。  なんとか逃げられないものかと必死にもがく。けれどあんまりにも力が強くて逃げられる気がしない。そうしているうちに足がだんだん地面から離れて行って――。  もうダメだ……死ぬのかな?  遠のく意識の中でふと過った「死」という言葉。  こんなわけのわかんないところで死ぬくらいなら、もう少しきれいな死に方をしたかったと思う反面、こんな終わり方も悪くないんじゃないかって思えてきた。  次第に頭がボーっとしてきて考えることすらままならない。私は苦しさのあまり、ゆっくりとその意識を手放した。
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