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第3章 担任と教育実習生と
金曜日の夕方に図書館で倒れてから一旦は持ち直したものの、寮に帰ってからまたぶり返して高熱が出た。
しかもその日だけで収まらず、翌朝にまで尾を引く。測った時は38度5分だった。昼前には38度ちょうどまで下がって、夕方にまたちょっと上がって38度3分。結局一日中熱が下がらなかった……翌日も翌々日も。
月曜日になっても下がらなかったのにはちょっと焦った。
学校は当然休んで、それから病院に行こうと思ったけど頭痛と倦怠感に支配されてた身体ではベッドから起き上がることさえままならず。
頓服を服用しながら気長に熱が下がるのを待つしかなかった。
余分に1日休んだ不本意な3連休明けの火曜日。
この日も起床してからまず体温を測った。
身体が見違えるほど軽かったからきっと熱も下がってるんだと思う。
それでもまぁ、念のため。
「おはよー、ひーちゃん」
体温計が鳴るまで直立不動で待っていると雫先輩も起きてきた。
私は「おはようございます」と軽く会釈をする。
その瞬間、体温計がピピッと無機質な音を立てる。すぐさま脇から引っこ抜いて確認してみると案の定の平熱。
「熱は大丈夫そう?」
「はい、もう大丈夫です。3日間ご迷惑をおかけしました」
「そう、それは良かった」
小さく笑いながら36度1分の表示を先輩に見せる。
それから各々顔を洗ったり、髪を整えたりして、学校へ行く支度を始める。
「そーいえば明後日から6月ね。そろそろ夏服を出しておきましょうか」
支度途中、先輩が思い出したように口にする。
それを言葉を聞いて反射的に学生手帳を広げる。そこのカレンダーには確かに今週の木曜日から6月になっていた。
休日がない6月のカレンダーに少し憂鬱な気分になる。
「もう衣替えの時期なんですね」
「あ、ひーちゃんは夏服嫌いだもんね」
おっしゃる通り。
私は夏服が嫌いだ。
うちの夏服は青色の襟と水色のスカーフが特徴の半袖セーラー。
別にそれがダサいとか、自分は根っからのブレザー派だとかそういう訳じゃない。
問題は半袖だ。
半袖になると右肘に大きく残ったケロイドが隠せない。
何で隠したいたいかって? そんなの決まってる。見てくれがよくないし、思い出すのが辛いことだってある。そういうことだ。
だから去年は夏のシーズンは猛暑日だろうが酷暑日だろうが長袖のブラウスで過ごしたし、寝間着兼用の体操服だっていつもジャージをセットにしている。
その結果、2学期の始業式になっていきなり生徒指導の先生に捕まり、「うちの正式な夏服はセーラーだから……」と遠回しに咎められた。
冬服にループタイを採用してみたり、何種類かのベストやセーターを用意してみたりしてオシャレな私立を演じてるくせにそいうところ融通利かないんだよね。やたら推してくる経営母体の意向かな。こっちは制服を着崩してる訳じゃないのにさ。
参ったなぁ、今年はどうしようか。
未だに封を切っていないセーラー服を手に取り考える。
「ほらほらひーちゃん、ボサッとしてたら時間なくなっちゃうよ」
「あ、はいっ、すぐに」
先輩に急かされすぐさまセーラー服を押入れに戻す。
まぁ、いざとなれば今年も長袖で通せばいいし。
市街地を抜けて山際の高校へ向けて歩いていると野球部の集団が私の横を駆け抜けていった。
「ファイト、ファイト、ファイト、東濃!」
「イッチ!」
「東濃ッ!」
「ニッ!」
「東濃ッ!」
「サンッ!」
「東濃ッ!」
「シッ!」
「東濃ッ!」
「イッチ、ニッ、サンッ、シー!」
「レッツゴー東濃ッ!」
ひとりの掛け声に合わせて全員で声を出しながら見事な隊列を成して通過する姿は中々迫力があった。さすが昨夏、今春と甲子園出場を射止めただけあるなと素人目に感じる。
すごいなー、自分にはできないなー、なんて遠い目で隊列が遠ざかっていくの見送る。やがて隊列はバス停の先で90度右に方向を変え、校門の奥へと吸い込まれていった。
集団が見えなくなってからしばらくして、今度は神田くんが抜いていった。隊列に遅れること5、6分といったところだろうか。
「お、日立~。相変わらず今日も早いな」
彼は抜き去ったと思ったら戻ってきて世間話を始める。
「神田くんはいいの? さっき野球部の隊列が抜いてったけど?」
「あーいいんだ。あの声出し部隊は1年だから。今日のおれはずっとロードワーク。退屈なもんだよ」
あれでも1年生なんだ。
今が5月の下旬だから……入部して2ヶ月も経ってない子たちってことか。とても私より年下に見えなかったけど、野球部の人間がそう言ってるんだから間違いないんだろう。
「へぇ~。エース様はこんなところで油売ってても良いんだ」
「へへへっ、実はバレたら怒られる」
「でしょうね。だったらそろそろ行った方が」
「だな。それじゃーまた教室で~」
軽く手を振りながらリズムよく駆け出す。
そこそこ汗かいてた割には疲れてなさそうだった。一体どのくらい走ってきてこれからどのくらい走るんだろう。ちょっと想像つかないな。
と思ってたら数百メートル先でUターンしてる。
それから「ちょーっと待った!」と大声で叫びながらこっちに向かってきた。
「まだ何か?」
戻ってきた彼に尋ねる。
「実は教育実習生が昨日から来てるんだけど」
「言われてみればそんな季節か。でもこれって――」
練習をサボってまで今言うべきこと?
そう続けようとした私の言葉を遮って彼は話を続ける。
「昨日日立休みだったじゃんか。なんだけど、どうにもその先生が日立のことを気にしてるっぽいんだよな~」
「私のことを?」
「そう。ホームルームの後に『日立さんてどんな子?』って荘川先生に訊いてたぜ。だから何かしら繋がりがあるのかなぁーって」
担任にわざわざ訊くってことは何かしらあるってことかな?
もしかしたら名前を訊けばわかるかもしれない。遠い親戚とか、昔家が近所だったとか……。
「名前は?」
「藤原」
藤原……親戚にその苗字はなかった気がする。それに中学時代に同じ苗字だった人はいたかもしれないけど関わりはほとんどなかったし、ましてや教育実習に来るような年代の人なんて……やっぱり思い当たらない。
「うーん、心当たりないね。たまたま休みだったから訊いただけじゃない?」
「そっかー。キツそうな顔してたけど結構美人だったんだぜ。もし日立の知り合いか何かなら紹介してもらおっかなーって思ったのに……残念」
「神田くんのタイプ?」
「まぁ、タイプっていうか興味があっただけ」
「ふーん」
「それじゃ。さっさと行かねーとキャプテンにどやされちまう」
話すだけ話すとその場で少し駆け足をしてから走り出していった。さすがに今度はUターンをする様子はなく、やがて背中に大きく手書きしてある『神田』という文字も見えなくなる。
「忙しないな……けど、あれだけ平和ならきっと――」
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