キスの日

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「え」  天ぷらとは。空耳にしては、はっきりし過ぎている空耳だ。  食べ方としては、有りだろう。しかし、ろくに調理器具の無い、揚げ油も無ければ食材もほぼ無い壮介宅で天ぷらを揚げることは、不可能だ。 「先生、前に天ぷら食べたのはいつ?」 「いつ、って……」 「天ぷらは、揚げたてが命なのよ!!」 「ですね……サクサクってしますもんね……」  清子の言葉を聞いた千都香が、何故かうっとり宙を見ている。和史は黙っていたが、おかしそうな顔で笑いを堪えていた。 「そうよ、名店の天ぷらだって、冷めたら味が落ちるのよ!」 「お店の持ち帰りより、家の揚げ立てですね!」 「先生。よろしいかしら?」 「はぁ」 「せっかくだから、お魚とかも買い出しして……天ぷら鍋とかバットとかの一式は、家から持ってくるわ!」 「いや、それは」  壮介は呆気にとられた。  まさか、器具も材料も作り手も全てお膳立て致しますという提案が来るとは。  先日まで包丁とまな板すら無かったと言うのに、荒唐無稽過ぎる話だ。断るべきだろう。  だが、清子の目は爛々と輝いている。これは、何を言っても止められないのではなかろうか。 「ご迷惑でしょうから、甘える訳には」 「でも私、今日もうする事無いわよねえ?」 「それは、まあ」 「遠慮はご無用よ。お鍋やなんかは、余ってるんですもの。捨てるのも気が引けてほったらかしだから、貰って頂けたら有り難いわあ」 「えーと」 「お嫌い? 天ぷら。」 「や、好きですけど」 「そう! 良かったわ! 千都ちゃんも、手伝ってくれる?」 「はい、もちろん!」  女二人はきゃあきゃあと盛り上がり、清子宅に居る麻に早速電話で必要なものを揃えてくれと頼んでいる。  姫竹の天ぷらも、懐かしい味ではある。嬉しくない事は無いのだが、急すぎる展開に脱力感を感じる。  そんな壮介の肩に、成り行きを見ていた和史が慰める様にぽんと手を乗せた、 「……決まりだね。」 「せっかく持って来てくれたんだから、お前も食って帰ってくれ」  頼む、と頭を下げながら、壮介はゆるい溜め息を吐いた。
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