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トゲにやさしく
「痛っ!」
公園でかくれんぼをしている途中、僕の手のひらにトゲが刺さった。痛みに顔をしかめ、よくよく草むらをのぞいて見ると、地面近くの小さな枝がポッキリと折れている。どうやらここに、運悪く手をついてしまったらしい。折れた枝の先が、僕の中指の付け根あたりの皮ふの中に食い込んで刺さっていた。
じわじわと血がにじみ出て来るのを、僕はしばらくの間じっとながめていた。それからかくれんぼしていたことを思い出し、僕は慌てて草むらから飛び出し、もっと安全なかくれ場所を探すため公園のはしっこの方へとかけ出した。
□□□
「あー、これは抜けんな。中に入り込んどる」
「えーッ!?」
後で家に帰って、おじいちゃんにそう言われて僕は大声を上げた。
「じゃあ……どうするの!?」
「どうしようもないのう。かと言ってこのままにしておくと血管を伝ってどんどん体の中に入り込んで行って、洋ちゃんの心臓を突き破るかも知れんし……」
「ウソォ!?」
僕は目を丸くした。一体何がそんなに面白いのやら、白いひげをボリボリとかきながら、おじいちゃんは笑って僕の手のひらに刺さったトゲをのぞき込んだ。
「トゲが入り込まんように、洋ちゃん」
「うん……」
「ちゃんとトゲに優しくして、仲良くせんとイカンな」
「はあ?」
僕はぽかんと口を開けた。大きな口を開けていると、バカみたいに見えるっていつもお母さんに叱られるのだが、この場合は仕方がないと思う。トゲと仲良くしろだって? 一瞬、おじいちゃんがボケたのかと思った。
「のう、トゲ。孫を頼んだぞ」
『おう、ジイさん。洋ちゃん? これからよろしくな』
「…………」
……突然手のひらに刺さったトゲが僕にしゃべりかけて来た、その時までは。
□□□
どうやらおじいちゃんに巻き込まれ、僕までボケてしまったらしい。4年生にもなって手のひらのトゲが話しかけてくるなんて、友達にどう説明していいかも分からなかった。目が覚めたら全部夢だったらいいのに、なんて思いながら、僕は朝起きるとベッドの上でそっと手のひらをのぞき込んだ。
『おはよう』
「!」
だけど次の日の朝になっても、相変わらずトゲは手のひらに刺さったままだった。刺さったまま、僕にあいさつして来た。無視してパジャマを脱いで着替えようとしていると、5ミリにもみたない小さなトゲが、手のひらの中から僕にガンガン話しかけて来た。
『洋ちゃん、これから小学校か? エライな。俺だったらすぐ折れるね』
「話しかけてくんなよ……」
『お? そんなこと言っていいのか? このまま奥に引っ込んで、心臓まで行ってもいいんだぜ?』
「やめて! おま……怖いこと言うなよ! 頼むから、大人しくしててくれ……」
僕は心臓をつかまれたような気がして、思わず1オクターブ高い声を出した。
一体なんだってこんなことになってしまったのか。
僕だって出来ればかわいい女の子の幽霊だとか、平安時代の囲碁の神様とかに話しかけてもらいたかったのに。まさか公園の折れた枝のトゲだなんて、世の中不公平だ。しかも何の役に立つと言うわけでもなく、むしろ僕をおどしてくる。しゃべる時手のひらの中で震えるから、地味に痛い。
『しっかり消毒しとけよ。ま、しばらくしたら抜けると思うから、それまでよろしくな』
「…………」
その日から、僕とトゲの取り合いの日々が始まった。これからコイツとの生活がしばらく続くのだと思うと、僕は”ゆううつ”になった。
□□□
『おい、授業がつまらないからって眠るんじゃない。俺が心臓に流れてもいいのか?』
『廊下を走るなよ。転んで俺がもっと深く入り込んだらどうする?』
『おいおい、食べる前手は洗ったのか? 洗い終わったらもう1回消毒しとけよ』
「あーもう!」
トゲはうるさかった。僕が何かしようとするたび、一々話しかけて来ては僕のジャマをした。幸いなことに、僕以外の人にはトゲの声は聞こえないみたいだったので、周りの友達から変人扱いされずに済んだ。教室で自分の席に座って、よっぽどピンセットで抜いてやろうかなと思ったけれど、意外に深く僕の皮ふに突き刺さっていて上手く取れなかった。こんな小さなトゲで大騒ぎしているなんて思われるのも何か恥ずかしかったので、保健室に行くのもためらわれた。
『後2〜3日の辛抱なんだからよ。仲良くやろうぜ』
「…………」
プールの授業が終わり、僕が手を洗っているとトゲがそんなことを言って来た。洗うたびに、傷口がズキズキと痛んだ。下手なことを言って、コイツが本当に心臓に行ってしまうと大変だ。仕方なく、僕は無言でうなずいた。
□□□
「かくれんぼは?」
「昨日やったじゃん」
「じゃあカンケリにするか」
放課後になると、小学校から少し歩いた丘の上にある公園に集まって、友達と遊ぶのが日課になっていた。塾や習い事がない奴らが集まって、大体夕方日が暮れるまで遊べる。携帯ゲーム機を持ち寄ることもあれば、鬼ごっこしたり、サッカーしたり、近くのコンビニでお菓子を買いこんでただただしゃべってるなんて時もある。
じゃんけんの結果、初めは僕が鬼になった。友達の一人が缶を蹴り上げて、砂場の右はしの方に刺さった。僕がそれを拾い上げる間に、4〜5人いた友達は一目散に公園のあちらこちらに散らばって行った。
『あっちの方に1人、かくれるのが見えたぞ』
缶に右足を乗せ、辺りをキョロキョロ伺っているとトゲが僕にしゃべりかけて来た。僕だってほぼ毎日この公園で遊んでいるんだから、大体皆がどこにかくれているかは見当がつく。でもそれをトゲに言われるのは、何だかシャクだ。僕は缶を見ながらゆっくり離れつつ、近くの花だんやゴミ箱の後ろ側に誰かかくれていないか探しはじめた。
『後ろから来てるぞ! 気をつけろ』
ズキズキと手のひらが痛んだ。トゲの声に反応してとっさに振り向くと、反対側の茂みから友達が1人飛び出して、缶を蹴ろうともう然とダッシュしてくるところだった。僕も駆け出した。この距離なら、まだ間に合う。僕は間一髪、友達よりも先に缶を右足で踏みつけると、大きな声で名前を宣言した。
「はあ……はあ……! クッソ……よく気がついたな……!」
「ああ……」
「完全に後ろ向いてたから、行けると思ったのによ……!」
「…………」
友達は缶のそばで大の字になりながら、悔しそうに顔をゆがませた。僕も息が上がってしまって、手のひらのトゲがやけに痛んだ。
結局その後、僕は全員を捕まえることができた。上出来だ。これ以上無い、いつも以上の結果だった。友達は今日の洋ちゃんすごいなと言ってくれた。
□□□
『危ないぞ。後ろからトラック来てる』
「ああ……」
『また教科書、机の上に置きっぱなしだぞ。怒られるんじゃないか?』
「……ありがとう」
それから2〜3日経っても、トゲは相変わらず抜けずに僕に話しかけて来た。僕の方もだんだん慣れっこになって行った。このトゲはどうやら僕の手のひらを気に入っているらしく、心臓に突っ込んでいく気配もない。最初はお母さんの小言のようにしか感じられなかったトゲの言葉も、素直に耳に入るようになって来た。
「最近洋ちゃん、かくれんぼ負けないなあ」
「へへ……」
友達からはそんな声も聞こえて来た。トゲの助言のおかげで、僕は鬼ごっこやかくれんぼでほとんど無敵でいられた。そのうち、痛みの方もどんどん薄らいで行った。予想より大分形は違ったが、僕は良いパートナーに巡り会えた気がした。
「なあ……」
『ん? どうした?』
その日も公園では僕の連戦連勝だった。夜、クタクタになった僕はベッドに寝っ転がってトゲに話しかけた。
「ありがとな。その……お前のおかげで、大分助かってるよ。かくれんぼも、負けないしな」
『何だよ急に』
「別に……最近じゃ痛みも感じなくなって来たし、僕、お前と出会えてよかったかも……」
『そうか……』
蛍光灯の灯りを消し、静まり返った部屋の中。こんな会話、僕以外の人にはひとりごとにしか聞こえないだろう。僕は寝返りを打った。もうほとんど痛くなくなったトゲが、手のひらの中で静かに呟いた。
『じゃあ、もうそろそろお別れかもな』
「え? 何でだよ……?」
『さあな。お前がちゃんと、痛みを感じてくれる奴で良かったよ……』
「どういう意味だよ……?」
だけど、トゲから返事はなかった。僕も大概疲れていたので、そのままぐっすりと朝まで眠ってしまった……。
□□□
「おじいちゃん!」
日曜の朝。僕は慌てておじいちゃん家まで走った。裏口から中庭に駆け込むと、おじいちゃんが軒下でのん気にお茶を飲んでいた。
「おう洋ちゃん。どうした?」
「こないだのトゲが……しゃべらなくなって……!」
僕はおじいちゃんにトゲが刺さったままの手のひらを見せた。
あれほど僕に引っ切りなしに話しかけて来たトゲが、朝起きるとウンともスンとも言わなくなっていた。せっかく、仲良くなってきたところだったのに。今日も公園で、かくれんぼするかもしれないのに! あせる僕に、おじいちゃんはのんびりと首をひねって見せた。
「はて? トゲがしゃべる?」
「え?」
「そんな訳ないじゃろう、洋ちゃん。聞き間違いじゃないかのう?」
「えええッ!?」
僕は目を丸くした。一体何がそんなに面白いのやら、白いひげをボリボリとかきながら、おじいちゃんは笑って僕の手のひらに刺さったトゲをのぞき込んだ。
「なるほど。ホクロみたいじゃなあ。こりゃもう大丈夫じゃ。もう痛まんのじゃろ?」
「でも……!」
僕はぽかんと口を開けた。一瞬おじいちゃんがボケたのかと思った。だって、トゲがしゃべるとか言いだしたのはおじいちゃんの方だったのに……。じゃああれは、全部夢だったのか?
「のう、洋ちゃん。痛かったこと、忘れるんじゃないぞ」
「…………」
そしておじいちゃんは僕の目を面白そうに覗き込んで来た。その時、何故か分からないけれど、おじいちゃんは僕に何か内緒にしているような気がした。それから僕は、痛まなくなった手のひらをじっと見つめた。
「のう洋ちゃん。公園に遊びにいくんじゃなかったかの?」
「あ……そうだった」
僕はパッと顔を上げた。おじいちゃんはやっぱり、面白そうに笑っていた。
「気をつけてな。もう怪我するんじゃないぞ」
「……うん」
僕は手のひらであざのようになってしまったトゲをもう一度見た。それからおじいちゃんに手を振ると、僕は急いで公園へと走って行った。
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