case. 0

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「やあやあ、ハル君。ちょっと早く着き過ぎてしまったがね、大荷物だし、入れてくれるかい」  下から聞こえてきた陽気な声にマグカップを置いて溜息を吐く。  室内階段を下りて事務所の扉を開けてやると痩身白髪に眼鏡に白衣という、いかにも科学者な老人が自分の背丈よりも大きな箱を携えて立っている。 「……博士、今度は何作ったんですか。おーい、カブト、荷物運んでやってくれ」 「おお、カブト! 久しぶり。元気そうだな」  博士がなんとか傾けた箱の傍まで来たカブトは、下に角を一本差し入れて持ち上げた。両脇から出た二本の角を目一杯広げて箱が倒れないように固定する。  キャタピラ状の足をごろごろと回転させて謎の箱を部屋に運び終えると、カブトは誇らしげに床を這って退散していった。  カブトはコーサカスオオカブトというカブトムシをモデルにしたロボットだ。三本の角と戦車のようなキャタピラタイヤを活かし、重い荷物の運搬を得意としている。  大きさは三十センチ程度だが、人間以上のパワーを持つ怪力ロボだ。  音声の出力がないカブトは無口でシャイな印象だが、ここ一番に駆け付けてくれる頼りになる男(雄?)だ。  そして部屋の中央に二メートル近い箱を寝かせて無邪気にわくわくしているのが、天才発明家と名高い呉羽(くれは)博士だ。  日本における人工知能研究の先駆け的存在で、七十近くなった今でも最先端科学の中の最先端を走り続ける強者である。  警察の導入したシステム系統の中にも博士の開発した製品が多数あるらしく、上層部にもコネクションがあるにも関わらず、自分の発明したいものだけを発明して気ままに暮らしているという変人だ。  そんな彼はハルの元相棒――夏木カイトの父親にあたる存在であり、生前カイトが博士のラボに連れて行ってくれた際に、ハルも何度か会ったことがあった。  両親が幼いころに離婚したカイトは母親に女手一つで育てられた。  研究第一で家庭を顧みなかった博士はせめてもの罪滅ぼしにと資金援助を続けていた。  カイトが刑事になった年に母親が事故で亡くなった際も一番にかけつけて泣いてくれたと、カイト本人から聞いたことがある。  天才博士の息子として見られるのが嫌で、その親子関係を職場でもプライベートでも一切公言していなかったカイトだが、ハルにだけは相棒としてこっそりと紹介してくれた。あのときの照れ臭い誇らしさは今でも覚えている。 ――これ、一応俺の親父。  初めてラボを訪れたときに見た呉羽博士は、ぶっきらぼうに紹介されて嬉しそうに目を細めていた。それがいまや元妻にも先立たれ、息子は容疑をかけられたまま死亡し、天涯孤独の身の上だ。  カイトの容疑については現場や死亡した共犯者宅から証拠が出てきただけだったが、死人に口なしと言わんばかりのスピード処理で捜査は終了となった。  刑事が事件に関わっていたことから、上層部としてはすぐにでも事件を終わらせたかったのだろう。  ハルや他の刑事たちはカイトの無罪を主張したが、その声は警察という大きな組織の中ではあまりに小さすぎた。  博士は本来ならば、相棒であるハルに息子の汚名をそそいでほしいと頼んでもいい立場でありながら、決してそのようなことはしなかった。  むしろ記憶の一部欠如と相棒の死のショックにより辞職して自分の殻に閉じこもってしまったハルを心配し、定期的に構いに来るようになった。 「カイトのことは誰が何と言おうと私が信じているから問題ない。しかし、もし少しでもあいつのことを忘れないでいてくれるというなら、そしてこの老いぼれを心配してくれるというなら、かつてのあいつと同じように、こいつらの実験に付き合ってほしい」  カイトが子どもの頃、博士半面白半分でロボットの試作品を使わせて感想を聞いていたという。そんな思い出話を少し寂しそうに語った博士の話を断ることは出来なかった。  先述した奇妙なロボットたちも言わずもがな博士の気ままな発明品たちで、実験という口実のもとに彼らをハルに押し付けては度々感想を聞きに来る。  そしてしばらくして、ハルは博士の真意に気付いた。このロボットたちは、きっとハルが完全に心を閉ざしてしまわないように送り込まれているのだ、と。  あの事件以来、ハルは人と深い関係を築けなくなった。人は脆い。たかが爆風で自分のように記憶を失うし、カイトのように死んでしまったら修復も出来ない。  その点、ロボットたちはメモリのバックアップもあるし、壊れても修復できる。  そう考えたら次第にロボットへの見方が変わってきた。  最初は訳も分からず押し付けられていたロボットたちは、いつの間にか唯一ハルが心を開ける存在であり、少なからず心のよりどころになっていた。  博士はそれを見越して次々にロボットを補充しに来ていたのだろう。  メリーに始まり、ポチ、ライム、カブトと暮らすようになってから、ハルの精神は事件当時よりいくらか安定した。  ハルが両親から相続していたさくらビルのことを知り、何かした方が気がまぎれると言って探偵事務所の設立を勧めてくれたのも博士だ。  高校卒業後は警察の仕事一筋で恋人もおらず、両親もすでに他界している。そんなハルにとって、博士との付かず離れずの距離感は、親のような祖父のような不思議な安心感を与えてくれた。
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