魔界編:第5章 維持部隊

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揺らぐ  悪さをしでかした二人組は、気絶したまま店主の元に引き渡された。近隣商店で結成された自治法に則って、二人には制裁が加えられるらしい。  店主のオヤジさんに盗品を返却して、僕たちの出番はそれで終了だ。  飛翔さんが事務所にいるユキに簡単に報告すると、一度戻って来るように言われた。まだ巡回も終わっていないのに……と思ったけれど、ユキはこの部隊の総長なので命令は遵守だ。 「戻りゃっしたー!」  事務所の引戸を遠慮なく開ける飛翔さんに、続いて事務所の中へ入る。僕も何か言った方がいいかな? ただいま? 戻りました? なんて言えば……あ、どっちも言えばいいのか。 「ただ今戻りました」  どっちも言うとかしこまった感じがして、なんかむず痒い気がする。 「なんだ真里、お堅いぞ! もっと肩の力を……」  相変わらず応接間のソファーに陣取っているユキが、顔を上げて僕を視認した途端顔を曇らせた。 「なにがあった?」  ユキの口調はいつもより低く、少し怖いくらいのピリッとした空気に緊張が走る。  一大事の如くこちらへ駆け寄ってきて、ユキが僕を抱き寄せようとした。ユキにはいつも言っているのだけど、僕は人前で恋人として触れ合うのは好きじゃない。 「ちょ、ユキ!? なに……」 「なんでこんな事に……」  ユキの表情はどう見ても真剣で、下心はないその顔に思わずたじろいだ。  ユキが少し戸惑うようにして僕の胸辺りを撫でる、それはいつか悪戯してきたみたいな触り方じゃなくて、労わるように癒すような触れ方で……。 「どこか怪我したか? 怖い目にあったか?」 「ないよ! 何もない!」  そう答えてもユキは僕を離してくれなくて、寧ろ力尽くで僕を胸の中に収めてしまった。 「戻ってきたら褒めてやろうと思ってたのに……なんでこんなに魂が乱れてるんだ」 「ユキ……」  その声は心底僕を心配しているもので、自覚が無い僕は戸惑うばかりだった。 「そういえば今日捕まえた二人組、真里と前にも何かあったみたいだけど……」  飛翔さんがユキに言ってしまった……それは本当はユキに伝えたくなかった事柄で、事務所へ帰る道中、飛翔さんには内緒にしてて欲しいとお願いしていた。ユキの様子を見れば、飛翔さんとしては伝えない訳にはいかないだろう……。 「まさか、あの時の二人か!? 嫌な事を思い出したのか? 傷が痛むか?」  ユキが耳を伏せて心配そうな表情で僕の頬を撫でてから、トラウマの傷跡のある左手の甲を撫でた。ここは普通の肌より敏感だから、グローブの上から撫でられてもくすぐったい。 「大丈夫だよ、何でもなかったよ? ユキに教わった事ちゃんと出来たよ……」  右手をユキの手に重ねると、ユキは軽くため息をついて僕の肩を抱いた。ゆっくり話を聞こう……と応接間のソファーへ促されたが、まだ巡回の途中だ。飛翔さんを振り返るように見上げると、バッチリ目が合った。 「あ、俺……巡回の続き行ってくるな! さっきの事件の書類は真里に任せたから!」  ウィンクしながら飛翔さんは、軽快に事務所から出て行ってしまった。 「飛翔さん……気を使わせてしまったかな?」 「いや、アレは本気で書類の提出をやりたくないだけだ」  ユキが鼻でクスッと笑って僕の隣に座る。こめかみの辺りを撫でられて、くすぐったくて思わず笑い声が溢れた。 「初めての仕事は緊張したか?」 「……うん、まさかあの時の人達なんて思いもしなかったから、びっくりした」 「因縁というやつだな」  ユキが僕の胸の中心をまた優しく撫でてくるのだけど、僕にはユキが何を心配しているのか分からなかった。 「あの二人に再会して、何か動揺することがあったか?」 「動揺……」  ユキに言われて思い返してみても……あの二人には怖いとか、逃げたいなんて感情よりも腹が立つばかりだった。人を傷つけること、盗むこと、嘘を重ねること、そしてそれを繰り返すその悪辣さ……。  その悪い部分を見て、自分を重ねて……自分に流れる血を思い出した。  そうか……これが原因か。  胸の中がザワッとする、落ち着いていられないような、でも思考力が鈍るような……嫌な騒めきが止まない。 「真里っ……口に出せ、何を考えてる!」  僕の頬を両手で覆って、ユキが無理やり顔を寄せる。ダメだ……心配させたくない、こんな自分を見せたくない! 「嫌だっ……!」 「嫌じゃない、言え!」  ユキの真剣な顔に涙が出てきた、余計に心配させてる……こんなんじゃダメなのに。落ち着かせたい胸の奥が、余計にざわついて震えて感情が溢れ出てくる。  人を傷つけて殺して、自分の子供でさえ簡単に捨てたあの女の血がこの体に流れてる。きっと僕は"良い子"であることをやめたら、あの二人みたいに、あの女みたいに……僕の大嫌いな人間に堕ちていく。 「ユキ……僕、この仕事ダメかもしれない」  目頭が熱くなる、そこに熱が溜まって溢れていく。自分が望んでここに居るのに、なんて情けないんだろう。  僕の頬を掴むユキの手首をギュッと握ると、ユキが困ったように耳と眉尻を下げている……こんな自分をユキに見せるのは嫌なのに、感情は止まらない。 「平気で人を傷付ける奴が許せない……でも、そんな人たちを見るたび、自分にあの女の血が流れていることを思い出すんだ……きっと何度だって思い出す」 「そうか、トラウマに障ったんだな」  ユキが僕の左手の手袋を外すと、その下の僕の弱点である傷跡には血が滲んでいた。なんで……これは小さい時につけられた傷だから、とっくに塞がってるのに。 「ほら傷口が開いてる……大丈夫だから、落ち着け」  ユキが僕の左手の甲に唇を落とす、獣が傷付いた仲間を労わるようにそこを舐められて…… 性感帯になり得るほど敏感な場所は、僕の感情とは裏腹に快感を得た。 「ぁっ……やめて、ユキ……っ、汚い!」 「真里に汚い場所なんてない」  手の甲から顔を上げたユキの唇が、僕の血で紅をさしたように赤くなっていて……胸がドキッとした。  綺麗だ……白い肌に赤が映えて、なんて……。 「真里の血は汚くない」 「——っ!」  負の感情が覆っていた胸の中が、ユキでいっぱいになっていく……黒く汚れたものが洗われていくみたいに、僕の嫌な部分が落ちていくようだった。 「真里とあの女の魂は少しも似ていないから安心しろ……むしろ、育ての親の方が似ているくらいだ」  ユキに優しく抱きしめられて涙が止まらなくなった、ユキはいつも僕が欲しい言葉をくれる……それが嘘でも本当でもどちらでも構わない、ただその言葉を信じたかった。 「真里は育ての親を盲信しているようだがな……お前が大好きな母だって、人を恨むんだぞ?」  クスクスと笑いながらユキが僕の背中をさする、その言葉はさすがに信じられないと思ってしまった……。 「ウソ……」 「嘘じゃない、真里の母はあの女をずっと恨み続けているぞ、今も変わらずだ」 「そんな……僕の為に嘘ついてるんでしょ?」  いつも笑顔で優しくて、あんな心地のいい家庭を築ける人が、人を恨むなんて思えない。 「信じなくてもいいけどな……あのバス事故は、真里の母があの女を恨み続けている為に起きた因縁のようなものだぞ」 「因縁……?」 「真里の母は何かしらの事故に遭う運命ではあったが、怨恨によってより強く二人を引き寄せてしまった……真里を酷い目にあわせたことが、どうしても許せなかったんだろうな」  僕の目元をユキが指で拭って、その場所にキスを落とした。僕はいつも大事にされてる……両親に、そして今はユキから。 「真里の正義感が強いところは父親そっくりだしな、真里の家族は血縁なんて関係なく絆が深い。俺は16年ずっと見てたんだから、信じろ」 「……っ、うん」  お互いの額を合わせて、間近で視線が合うとユキが口の端を上げる。 「真里はなんで俺の部隊に来たんだ?」 「ユキを手伝いたいから……だったけど、今日……飛翔さんと一緒に居たら、僕も守る側になりたいなって……思った」 「その気持ちは作り物なのか?」  違う、それは本当に僕が心から思っている事だ。首を横に振るとユキが僕の頬を撫でた。 「前に言った筈だ……真里の魂はキラキラ光って、強い魂だって。この世界には似つかわしくない程、清くて、綺麗で……俺はずっとこの光に憧れていたし、救われたんだ」  その両腕にぎゅっと抱かれて、愛しそうにユキが僕の頭に頬を寄せる。ユキは僕に自信をくれる……だから僕は僕でいられる。 「ダメだなんて言うな、真里はこの仕事に向いている」 「うん……ありがとう」  ユキの背中に腕を回して抱きしめ返すと、ユキが嬉しそうに笑う感覚がした。きっと可愛い顔をしているんだろう……その顔を見たい気持ちが湧いてくるのだけど、この体温を離し難い。  どうしようもなく暗くなったりしても、ユキが居るだけで僕はすぐに持ち直す。救われているのは僕の方……ユキは僕の光だ。 「血が繋がっている事を嫌悪する気持ちは……俺も分かるけどな」  ユキのいつもより暗い声にハッとした、抱きしめられて表情が見えない。ユキの顔を確認したくて腕から抜け出そうとしたとき、事務所の引戸がガラッと開いた音がした。
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