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5/24 おでん
コンビニのおでんが絶滅して、しばらく経つ。
高校生の頃、コンビニでバイトしていた。
『すみません、おでんの餅きんと、ウインナーひとつずつ』
いつもおでんを買っていくお兄さんがいた。夕方から夜にかけての、そこそこ混む時間に頼む人。レジが混んでいるときに頼まれるのはちょっと、いや、とても困る。おじさんとかおばさんだったら休憩室で文句を垂れるけど、お兄さんは大学生くらいで、顔立ちも雰囲気もきりっと整っていた。まあ要するに顔が良いから許していた。
毎回おでんとタバコを買っていくお兄さん。お釣りとレシートを渡すと「ありがとうございます」と小さくつぶやくお兄さん。背が高くていつもおしゃれなお兄さん。彼氏なんていたことない私にとって、お兄さんの来店はテレビで見る恋の始まりとひどく似ていた。
『俺、なんかあだ名とか付いてます?』
いつも1人で来るお兄さんは、その日、初めて誰かと一緒に来た。
『あ、あだ名とかはないですけど、よくおでん買ってく人っていうのは店員の中で話題になってます』
『あら。こーくん、まだあだ名は早かったね』
こーくん。この人はこーくんって言うんだ。今更知っても意味がない事実。
『あはは。あ、すみません。変なこと聞いちゃって』
お兄さんはその日、餅巾着とウインナーを1つずつ頼んだ。いつも通り柚子胡椒をつけて、いつもと違って女の人と手をつないで、帰っていった。
『あの人面白いよ。〈同じものを買いつづけて、どれくらい通ったら店員にあだ名をつけてもらえるのか〉って、実験してたんだって』
少しして、店長は笑いながら私に教えてくれた。
店長には言ってたくせに。いかにもあだ名をつけそうな、私みたいな若い店員には、何も言わなかったんだ。嫉妬になりきれないバカみたいな感情が足に纏わりつく。バイトの帰り道、何もかも振り払うようにひたすら自転車をこいだ。
私にとってはずっと「お兄さん」だった。「こーくん」でも、「おでんの人」でもなかった。
私はもうすぐ社会人になる。いろんなコンビニを見ても、前みたいにレジでおでんを売る店舗は全くない。もう絶滅してしまったのだろう。
彼と一緒におでんを食べる日を夢見た自分も、電話番号とメールアドレスが書かれた、結局渡せなかった小さなメモも。きっともう、どこにもない。
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