5/24 おでん

1/1
前へ
/42ページ
次へ

5/24 おでん

 コンビニのおでんが絶滅して、しばらく経つ。  高校生の頃、コンビニでバイトしていた。 『すみません、おでんの餅きんと、ウインナーひとつずつ』  いつもおでんを買っていくお兄さんがいた。夕方から夜にかけての、そこそこ混む時間に頼む人。レジが混んでいるときに頼まれるのはちょっと、いや、とても困る。おじさんとかおばさんだったら休憩室で文句を垂れるけど、お兄さんは大学生くらいで、顔立ちも雰囲気もきりっと整っていた。まあ要するに顔が良いから許していた。  毎回おでんとタバコを買っていくお兄さん。お釣りとレシートを渡すと「ありがとうございます」と小さくつぶやくお兄さん。背が高くていつもおしゃれなお兄さん。彼氏なんていたことない私にとって、お兄さんの来店はテレビで見る恋の始まりとひどく似ていた。 『俺、なんかあだ名とか付いてます?』  いつも1人で来るお兄さんは、その日、初めて誰かと一緒に来た。 『あ、あだ名とかはないですけど、よくおでん買ってく人っていうのは店員の中で話題になってます』 『あら。こーくん、まだあだ名は早かったね』  こーくん。この人はこーくんって言うんだ。今更知っても意味がない事実。 『あはは。あ、すみません。変なこと聞いちゃって』  お兄さんはその日、餅巾着とウインナーを1つずつ頼んだ。いつも通り柚子胡椒をつけて、いつもと違って女の人と手をつないで、帰っていった。 『あの人面白いよ。〈同じものを買いつづけて、どれくらい通ったら店員にあだ名をつけてもらえるのか〉って、実験してたんだって』  少しして、店長は笑いながら私に教えてくれた。  店長には言ってたくせに。いかにもあだ名をつけそうな、私みたいな若い店員には、何も言わなかったんだ。嫉妬になりきれないバカみたいな感情が足に纏わりつく。バイトの帰り道、何もかも振り払うようにひたすら自転車をこいだ。  私にとってはずっと「お兄さん」だった。「こーくん」でも、「おでんの人」でもなかった。  私はもうすぐ社会人になる。いろんなコンビニを見ても、前みたいにレジでおでんを売る店舗は全くない。もう絶滅してしまったのだろう。  彼と一緒におでんを食べる日を夢見た自分も、電話番号とメールアドレスが書かれた、結局渡せなかった小さなメモも。きっともう、どこにもない。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加