13.

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「裏通りにある店でね。薄暗い道ばかり歩くけど、変な店じゃないから、心配しないで」  正樹が言うように、駅から歩いてきた人通りの多かった道は、どんどんと人気のない薄暗い道に変わっていっていた。 「いえ、それは大丈夫です」  紗江が心配しているのはそのことではなかった。  駅を出た頃には雨はかなり小降りにはなっていたが、傘を差さずに歩けるほどではなかった。背の高い正樹が右手で傘を持ち、その右に紗江が並んで歩いていたのだが、紗江の持っている女性用の傘では二人が並んで雨を凌ぐにはちょっと無理があった。  ちらっと、気づかれない程度に正樹のほうを見上げる。  スーツの左肩から腕にかけて、あきらかにさっきよりも雨粒が増えていた。  にもかかわらず。 「紗江さん、濡れてない?」  と、正樹は聞いてくるのだ。  私が、あんなこと言わなければ。でも。  紗江の思考は堂々巡りをしていた。  濡れないように寄り添えばいいのかもしれない。けれど、そういう関係でもない。狭い空間の中のわずかな距離が、紗江の気持ちを表していた。  しかし、曲がり角や水溜りを避けるたびにその微妙に保たれた距離感も消えてしまい、嫌がおうにも相手を意識せずにはいられなくなるのだが。 「ここだよ」  正樹の言葉に俯いていた顔を上げると、赤い提灯がぶら下がった1件の店が目に入った。のれんは出ているが、屋号は何処にも見当たらない。  紗江が戸惑っていると、正樹は軒下に紗江を誘導して傘を閉じ、店の扉を開け、中に入るように促した。  少し重い引き戸を正樹が開けた途端、それに呼応するように、「いらっしゃい!」という勢いのいい声が紗江の耳に届いた。カウンターの奥に店の人間らしき中年の男女がいて、作業をしながら笑顔で紗江を迎えた。 「お久しぶりです」  紗江に続いて店に入ってきた正樹が、カウンター奥の二人に声をかけた。 「おっ、久しぶりだね」 「あらあら、雨の中大変だったでしょ。ほら、こっちに座って」  後ろの正樹を振り返ると、先にどうぞというように紗江を笑顔で促した。  カウンターに座る人の邪魔をしないように、後ろをそっと抜け、店の女将が示す席へ腰を下ろした。続くように正樹も紗江の隣に腰を下ろした。  二人が席に落ち着くのを見計らって、女将が熱いお絞りをカウンター越しに二人に手渡してくれた。 「しばらく顔を見せないから心配してたんだよ。忙しかったのかい?」 「ええ。最近やっと落ちつきまして」 「飲み物はどうする?」 「そうだなぁ」  正樹は紗江の顔を伺った。  突然見つめられるような格好になって、紗江は思わずうろたえた。 「紗江さん、ビール、平気?」 「え!?は、はい」  飲み物を聞かれただけじゃない!  紗江の緊張を知ってか知らずか、正樹は女将にビールを注文した。  気持ちを落ち着かせるように、紗江は改めて店内を見回した。  カウンターだけの店内は席が15席ほどある。そのどれもがいかにも常連といった風情の客達で埋まっている。カウンターの中には主人と女将の二人。カウンター前のガラスケースの中には、新鮮な魚や大皿に盛り付けられた一品料理が所狭しと並んでいる。  そうしているうちに紗江の目の前にキメの細かい泡の液体が入ったジョッキが置かれた。 「おまたせ。今日の付け合せは蓮根のきんぴらだよ」  言葉の通り、小鉢に入った蓮根のきんぴらが目の前に置かれた。 「お疲れ様」  ジョッキを目の前に掲げた正樹が、乾杯のポーズを取った。紗江もあわててジョッキを持ち、カチンッとグラスを当て「お疲れ様です」と答えた。 「大将、今日のおすすめは?」 「メバルだね。煮付け、どうだい」 「あ、いいですね!じゃ、それと、あとは適当にお願いします」 「あいよ」  正樹の雰囲気からするに、彼はここの常連なのだろう。  一人でかしら。それとも、誰かと? …嫌だ!私ったら!  意味のない邪推をしかけた自分を紗江は戒めた。  付け合せに出された小鉢に箸をつけていると、女将が次々と料理を運んできた。  お造りの盛り合わせ、メバルの煮付け、穴子の天麩羅、などなど。  二人の前にはいつの間にか並びきらないほどの料理で一杯になっていた。 「なんだか、今日はいつもより豪勢な気がするなぁ」 「あれ、そうかい」 「女将さん、何かあったの?」 「そりゃあ、あんたがこんな可愛い子を連れてくるからだよ」  店の女将と正樹の視線が紗江に注がれた。 「え、えっ?私?」  紗江のあまりの慌てぶりを見て正樹が吹き出した。 「紗江さんって、ほんと、可愛いよね」  正樹のそのセリフに、紗江はさらに慌てた。  そんな紗江を知ってか知らずか、正樹は目の前の料理を「さあ、どうぞ」と言って紗江に勧めた。
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