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「内容もそうだけど、やっぱり漱石は文体かなー。『虞美人草』とか、美しい日本語がいっぱい詰まってるし」
「グビジンソウ……? 何か難しそうなタイトルだな?」
「虞は、ほら……漢文の授業で習ったでしょ? 『垓下の歌』に出てくる『虞や虞や』っていうの」
あー……そう言われて頭の中では「力は山を抜き、気は世を蓋う」とかいう国語教師の声が再生される。
「『騅の逝かざる奈何すべき』……『虞や虞や、若を奈何せん』……あの難しい漢字か」
「漱石の『虞美人草』にも、難しい言葉とかたくさん出てくるけど……それ以上に美しいって感じちゃうの。読書感想文を書く時、自分の文章じゃ一生敵わない……って思えるくらい美しい日本語だけで書かれてるんだ」
胸に両手を置いて、遠くを見つめながら語る夢野さんの横顔に、俺は少し気落ちしていた。
それはまるで、恋を語る少女の姿に見えたから。
漱石に? それとも読書自体に? いずれにせよ、その視線の先に俺は映っていない気がした。
「夢野さん……」
何だか焦れったくなった俺は、隣にいる彼女の名前を口にしていた。
その先に続く言葉なんか思い浮かんでもないクセに。
「だから、ね……図書室で鳴海君が漱石を手に取った時……私と同じ気持ちの人がいるのかもって……嬉しくなっちゃった」
恋する瞳のまま俺の方を向いた夢野さんに、今度こそ俺の胸は大きく跳ねた。
その視線から逃れるようにして、俺はわざとらしく頭をかいた。
「あぁ……ゴメン。俺、漱石は全然詳しくなくって……」
期待させてガッカリさせてしまったとか、俺と話してても面白くなかっただろうなとか、そんなマイナスの思考ばかりが働く。
……自分にウソをつくなよ。ガッカリしたのも、面白くなかったのも自分だろ?
夢野さんと仲良くなれるかも、なんていう幻想が消えて肩を落としているのは俺自身だ。
「うん……でも、鳴海君が少しでも興味を持ってくれて嬉しかったよ。それに、話してて楽しかったし」
視線を外した俺の顔を覗き込みながら、夢野さんは相変わらず微笑みかけてきた。
その笑顔からは目を逸らすことが出来ず、俺たちは立ち止まって向かい合った。
「楽しかった……? 俺と話してて……?」
「うん! 自分が好きなことを誰かに話すのって、楽しいんだなーって思ったから」
そう言って笑う夢野さんの表情は、ウソをついていない。
俺の知る限り、クラスの中では一人でいることが多い夢野さんだから、普段はあまり趣味について話すこともないんだろう。
だから、好きなことを話題にする楽しさに初めて気が付いたというのはウソではない。
そっか……俺、夢野さんにとっての初めてになれたんだな。
「夢野さんが、そう思ってくれたんなら……俺も嬉しいよ」
「えへへ……ありがとっ」
素直な気持ちを口にすると、夢野さんも照れ臭そうに笑った。
「読書感想文だけどさ……書く前に、まず夢野さんに本を読んだ感想を聞いてもらってもいいかな? 俺の『こころ』を……」
「……うん! 聞かせてほしい。それから……鳴海君が好きな本も、教えてくれる? 鳴海君が好きなこと、私も知りたい……」
互いの言葉に、それぞれ頷いて返事をする。
同じ教室で席を並べておきながら、今日までろくに会話もしてなかった俺たちだけど、これからは仲良く話せるに違いない。
見つめる夢野さんの瞳も、同じことを想っているのが分かった。
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