隣の女子は漱石が好き

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「さて、読書感想文かぁ……読むのも書くのも面倒だよなぁ……」  図書室から出たところで、俺は早くも溜息をついた。  そんな俺の隣に、夢野さんは当然のように立っている。 「そう? 私は本読むの好きだよ」  本来の声量に戻った夢野さんの声は、何だか楽しそうな響きをたたえているようだった。  そう言えば夢野さんは、教室でもよく本を読んでいたっけ。 「夢野さんは感想文、それでいいの?」  並んで廊下を歩きながら、俺は夢野さんが借りた本を指差す。  俺が最初に手に取った『吾輩は猫である』だ。 「うん。実は……私もこれ、読むの初めてなんだ」  そうなのか。読書家の夢野さんなら、もう何度も読み返してそうな気もしてたから意外だ。  それにもう一つ。「えへへ」と少し照れた風に笑う仕草も、物静かな印象のあった彼女としては意外であり可愛くも感じられた。  クラス内では特に仲のいい女友達がいるでもなく、いつも一人で本に向かっていた彼女が明るく語り掛けてくる姿が新鮮で楽しかった。 「漱石は結構、読んだよ。『坊っちゃん』、『三四郎』、『それから』、『門』……もちろん『こころ』もね」 「あぁー……『坊っちゃん』は俺も聞いたことあるなー。高知のなんとか踊りとかいうのが出てくるんだっけ?」 「そうそう! 刀を使った踊りで、実際にある踊りなんだって」 「へー、本物の刀を使うのかな? ちょっと見てみたいなー」 「見てみたいねー。赤シャツなんて着た教頭先生くらい見てみたいかも!」  赤いシャツを着た教頭先生? 『坊っちゃん』の登場人物なのだろうか。  もっと共通の話題を増やすためにも、『こころ』の後は『坊っちゃん』も読むべきだな。  夢野さんとの会話が楽しいものだと分かった以上、漱石は色々と読んでおくべきだ。 「『坊っちゃん』の他には、えっと……さっき何て言ってたっけ?」 「『三四郎』、『それから』、『門』かな?」 「『三四郎』と……『門』?」  夢野さんが挙げた本のタイトルを復唱すると、そこで何故か夢野さんが盛大に噴き出した。  何だ? 何か聞き間違えたのか? 「あはははっ、違う違う。『それから』も本のタイトルだよ?」 「えっ? あっ、そうなの?」  まさか、そんな名前の本があろうとは露知らず。お腹を抱えて笑う夢野さんの隣で、俺も苦笑いを浮かべた。 「うんうん、確かに変な題名だよね? 漱石って、作品のタイトルを付けるの結構テキトーだったって言うし」 「そうなのか? 『三四郎』は主人公の名前だとして……『門』は?」 「『門』ってタイトルを付けたのは漱石のお弟子さんで、側にあった本をペラペラっとめくって見つかった文字が『門』だったんだって」 「そ、そんなテキトーなのか……」 「そう思うよねー。でも、お弟子さんもこれなら何とでもこじつけられると考えたみたい。でも実際は終盤になるまで作中に門が出て来なくて、ずっとヒヤヒヤしてたんだって!」  まるでアイドルのバラエティ番組の様子を話すみたいに明るく笑う夢野さんに、俺までも自然に笑顔を浮かべていた。  男友達とバカ話をしながら帰る下校時間とは、また違った楽しみだ。 「文豪と呼ばれるからには、もっと自分の作品にこだわりとかありそうなのになぁ」 「ふふっ、そうだねー。でも、中身は本物だよ。『それから』に出てくる三千代さんの『あんまりだわ』ってセリフ……ギューって胸が締め付けられるくらい切なかったし」  感情を込めて「あんまりだわ」とセリフを読み上げる夢野さんに、俺の方は胸が鳴った気がした。
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