夏の始まり

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「アルバイト志望ということだけど、明里の友達なんだって?」  微妙に違ったが、弘樹はあいまいにうなずいた。アカリっていうんだ、と思った。そういえば親戚の店だって言っていた。この人がその親戚か。 「アルバイトは初めて?」 「はい」 「そりゃいい。どうしてアルバイトをしてみようと?」  弘樹は一瞬それなりの答えを選んだほうがいいだろうかと思ったが、そのままを言った。 「友達に誘われて」 「うん」 「それでです」  オーナーは今度はあいずちをうたず、少し間を置いてから口を開いた。 「友達に誘われたからってなんでもするわけじゃないだろ。誘われて、どうしてやってみようかなって気になった?」  弘樹は困った。やってみようかなという気にまだなっていないということもあるが、そこを置いておいても、どうしてかははっきりしていなかった。 「別に、遊ぶ金が欲しいとか、そういうことでも構わないんだが」 「いえ、そういうわけでは……」 「飲食店とか接客とかに興味があったり?」  昨日までは考えたこともなかったが、興味ないと言うのは失礼過ぎるかと思い、まったくの嘘というわけではないしと、弘樹はあいまいにうなずいた。 「募集してるのはフロアで接客をするスタッフなんだが、そこは間違いない?」 「はい……」 「どうも少し緊張してるようだ」  オーナーは前かがみになっていた体を起こしてまっすぐに座りなおした。 「ちょっと笑顔が足りないんじゃないか?」オーナーはそう言うと葉月さんを横目に見て「マネージャ、何かおもしろいこと言ってくれ」 「パワハラは止めてください」  葉月さんは表情を変えずに言った。 「ただおもしろいことを言ってくれと頼むことのなにがパワハラなんだ」 「じゃあオーナーが言ってください。おもしろいこと。はい、3、2、1……」 「笑顔のことは忘れよう」  オーナーは居住まいを正した。  笑っていいのか弘樹は困った。 「家はどの辺?」  弘樹が自宅の住所の町名を告げると、オーナーは地名を聞いただけで「結構近いな」と言った。 「働くことになったら、週どれくらい出たい?」 「え、っと。まだよく考えてませんでした」 「部活とかはやってる?」 「いえ、今は……」  オーナーは一瞬黙って少し眉を動かしたが、何事もなかったように言葉を継いだ。 「じゃあ時間は結構ありそうだ」  いえ、と言うわけにもいかず、弘樹は「はい」と答えた。実際時間は結構あった。 「なんだか私ばかり喋っている気がするな」  オーナーはそう言うと、再び葉月さんに目をやった。 「葉月マネージャからも聞くことはないか?」 「そうですね、そのネクタイはどうされたんですか。普段つけない色ですね」 「私に聞いてどうする」 「冗談です」 「絵美にもらったんだ」  そう言ってオーナーは深いエンジのネクタイを締めなおした。よく見ると銀の刺繍で小さく動物の絵柄が入っているようだった。  弘樹はさすがに茂のように「絵美って?」とは聞かなかった。聞かなかったがオーナーは「絵美というのは私の姪だ」と説明した。 「もし働いてもらうことになったら」と葉月さんはネクタイの話題から離れた。 「店としてはできるだけ長く続けてほしいと思っています。仕事に慣れるのにも少し時間がかかりますから」 「長くというのは……?」弘樹はおそるおそる聞いた。 「できるだけ長いほうが助かりますが、短くても半年から一年ほどは続けてほしいと思っています」  今から半年だと来年にまでまたがる。 「ですから、よく考えて決めてくださいね」 「……はい」と弘樹は答えたものの、戸惑っていた。最初に茂と話していたときの感じでは、夏休みの間のアルバイトだと思っていた。 「小林君」とオーナーが弘樹の名を呼んだ。 「何か私に今聞いておきたいことはあるかな?」  オーナーはそう言って腕を組んだ。  弘樹は何も聞かないのも失礼かと思い少し考えたが、何も思いつかず「いえ、大丈夫です」とだけ答えた。 「そうか。それなら、あとは事務的な話だけだから、葉月マネージャから聞いておいてください」  オーナーは葉月さんに「じゃ、あとよろしく」と言って、席を立った。 「まだ帰らないでくださいね。もう一人いますから」  葉月さんの声を背に、オーナーは部屋から出て行った。扉が閉まると、少し間をおいて、「お疲れさまでした」と葉月さんが言った。  弘樹にはなんだかあっという間のできごとだったように思えた。 「えっと……終わりですか?」 「面接は、そうです。あと少し、勤務の条件について、説明させてください」  弘樹はその面接にほとんど手応えらしきものを感じていなかったが、色々と説明があるということは、合格ということだろうか。 「驚いたでしょう」と葉月さんが笑顔で言った。「なんというか、勢いのある人だから」  弘樹は同調していいのか迷った。 「あの、合格ということでいいんでしょうか」 「もちろんです。小林くんさえ良ければ」  葉月さんは力強く肯定した。 「あんまりそういう感じには思えなかったんですが……」  弘樹には気がかりなことがあった。それはオーナーが、そして多分葉月さんも、弘樹を水森さんの友達だと思っていることだった。水森さんの友達だからという理由で本来とは違う結果になったのなら、申し訳ないような気がした。 「あぁ、オーナーのことなら心配しないで。ダメだと思ったことは率直に言う人だから……すぐ終わったのは、むしろ印象が好かったんでしょう」  弘樹はそう言われてもあまり納得感が湧かず「はぁ」と気の抜けたような返事をした。
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