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それからしばらく中学時代の島田先輩の武勇伝を聞いてるうちに、茂が戻ってきた。茂はどこか気落ちしたような顔をしていた。
弘樹が一旦席を立とうとすると、茂は「いいよ、詰めて詰めて」と言って弘樹を押しやるようにしてシートに体を滑り込ませてきた。
「どうだった?」と聞きながら、弘樹は席の奥から茂の鞄を手渡した。
「いやぁ」と茂は浮かない顔だった。「あがっちゃってさぁ、何喋っていいかもう真っ白になっちゃって」
「うそ」と水森さんが驚いた。「緊張なんてするんだ」
弘樹も失礼だけど内心、同感だと思った。
「だってさぁ」と茂は後ろ頭を掻いた。「あんな大人の人が出てくるとは思ってなかったからさぁ。丁寧な言葉づかいしなくちゃなって思って」
「わかる。いつもと違う喋り方しようとすると、なんかこんがらがって、正しいのか正しくないのかわからなくなることある」
弘樹は、葉月さんも大人の人だと思うけど、と思ったけど言わずに、ストローで紅茶を吸い上げた。
「じゃあ不合格だったの?」
そう聞かれた茂は、顔に疑問符を浮かべた。それから首を傾けて少し考え「そういえば聞いてない」と言った。
「そんなはずないでしょ」
「戻ってくる前に何か言われなかった? 銀行口座持ってなかったら作ってきてとか」
「それは確か言われた気がする」
「じゃあ採用ってことだよ。おめでと」と水森さんが笑顔になって言った。
「って言っても、よっぽどじゃない限り不採用にはならないんだけどね」
「今までだめだった人っているの?」
「いないと思うけど……あ、年齢がってのはあったと思う。中学生」
「中学生でなんているんだ」
「一回あっただけだけど、珍しいと思う。そのときは、卒業したらまた来てってことになったらしいけど」
「でもそれじゃ緊張して損だったな。最初からわかってれば、もっと気楽にいったのに」
「ふっふっふ」と水森さんはわざとらしく言った。「そのくらいで緊張してたら、先が思いやられますなぁ」
茂は「どういうこと?」といぶかしんだが、弘樹はさっきの水森さんとの会話を思い出していた。初めてのアルバイトの日には水森さんもドキドキしたと言っていた。茂もだけど水森さんが緊張するところというのも、弘樹には想像するのが難しかった。
気づくと、店はいつの間にか賑わいを増していた。店に入ったときは数客しかいなかった店内も、次第に席が埋まりつつあった。客が二倍になると四倍は賑やかに感じる。同じ店内でも、別の店のような雰囲気がした。
「そろそろ、行くね」
そう言うと水森さんが鞄を取った。
「早くない? 六時だろ」と茂が時計を見て言った。確かに六時にはまだ少し時間があった。
「早めに着替えたりしておかないと、六時から働けないでしょ」と水森さんは言ったが、それにしても少し早過ぎるように思えた。弘樹がそう思っていると水森さんは「それに」と付け加えた。
「いつまでも付き合わせても悪いし」
「オレはいいよ。お前の働いてるとこ見学してくから」
「さっさと帰れば」
「そんなに制服姿見られたくないのか」
「そんなの、これから一緒に働くんだったらいくらでも見るでしょ……」
水森さんは呆れたように言った。
「僕もそろそろ帰ろうかな」と弘樹は言った。「お客さんも増えてきたし、混む前に出よう」
茂もそれを聞いて店内を見渡すと、「じゃあそうするか」と言った。
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