夏の始まり

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 店内に入ると、空調の効いた涼やかな空気に乗ってかすかに、料理の匂いや食器の音、客たちの喋る声が流れてきた。トマトソースの香りをカチャカチャと刻むナイフが皿に触れる音。広々とした客席では、何組かの客が食事をしたり会話を楽しんだりしているようだった。仕事の打ち合わせらしいスーツの社会人や、勉強をしている学生らしき姿もある。レストランというよりはカフェのようにも見えるが、卓上に並んだ料理からはカフェよりもしっかりした食事のできる店のようでもあった。  テーブルの横ではウェイトレスが手にしたピッチャーから水をグラスに注いでいた。軽く頭を下げて席から離れると、やがてウェイトレスは、店の入り口の方にやってきた。 「いらっしゃいませ」  目を細めて笑んだウェイトレスが華やいだ声で言った。 「どうしたの? 今日はシフト入ってないでしょ」 「うん。今日はお客さん」  水森さんが親しげに答えた。 「三人。窓際の席、いいですよね?」 「お好きな席へどうぞ。学校の友達?」 「ちょっと違うけど、少ししたらわかります」  水森さんは慣れた様子で店内を進んでいった。窓際には一組先客がいたが、そこから何席か離れたテーブルに案内された。卓上に置かれたメニューの光沢のある紙面が、窓から差す日の光を反射していた。水森さんが座った向かいに茂が腰を下ろし、弘樹もその隣に掛けた。 「あの人って、ここで働いてる人?」  席につくなり茂が聞いた。水森さんは、驚いたような困ったような目をして、少し笑いながら答えた。 「あたりまえでしょ。じゃなかったら、なんなの」  茂は「そうかぁ」とだけつぶやいた。  水森さんが広げたメニューを一緒に見ていると、さっきのウェイトレスが片手に丸いトレイを胸より少し低い位置に持ってやってきた。おしぼり、水の入ったグラス、食器類の入ったケースがテーブルに並べられていく。グラスを置くとき、前かがみになったウェイトレスの前髪が揺れ、髪の簾ごしに目が合った。ウェイトレスは微笑した。 「ご注文がお決まりになりましたら──」 「あ、お願いします。私、レモンティ、アイスで」  ウェイトレスは手元を見もせずに、エプロンのポケットから手のひら大の機器を取り出すと、「アイスレモンティですね」と復唱しながら、注文を受けた。  続いて、残る二人の注文を聞こうとウェイトレスが顔を茂と弘樹の方に向けたので、弘樹が注文を口にしようとすると、「オレ、ブレンドコーヒー」、と茂が言った。二人は思わず茂の顔を見た。茂は落ち着き払った様子で「ホットで」と付け加えた。  三人の注文を丁寧にもう一度繰り返すと、ウェイトレスは「少々お待ちください」と軽くお辞儀をしてテーブルを離れた。制服のフリルが控えめに揺れながら去っていった。 「水でいいんじゃなかったの」  水森さんが言うと、茂はウェイトレスの背中を追いかけていた視線を戻した。 「これから自分が働くかもしれない店の味を知っておくのも悪くないと思って」  水を飲もうとしていた弘樹は咳き込んだ。どんな冗談かと思って茂の顔を見ると真顔だった。 「山口くんて、コーヒーなんて飲んだっけ」 「いつもコーヒーだよ」 「……そうだったけ」 「いつまでも昔のままのオレだと思ってもらっちゃ困るよ」  茂は自信ありげにそう言ったが、この前、弘樹とラーメンを食べに行ったときは、メニューも確かめずにコーラを頼んでいた。コーラはどこにでもあるし一番うまい。そう力説していた。さすがにそれを蒸し返すのはよした。 「小林くんは、コーヒーっていうより、紅茶って感じだよね」 「そうかな」 「うん。アフタヌーンティーっていう感じがする」  どういう感じかはいまいち想像がつかなかった。
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