夏の始まり

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 しばらくするとウェイトレスが飲み物を運んできた。弘樹と水森さんの前にアイスティが置かれる。水森さんのグラスにはスライスされたレモンが刺してあった。アイスティに浮かんだ氷にレモンの皮の黄色がかすかに映りこんでいる。茂の前にもほのかに湯気を立てたホットコーヒーが差し出された。紙袋に入ったストロー、銀色のスプーン、砂糖、シロップなどがテーブルに並べられ、「ごゆっくりどうぞ」とウェイトレスは席を離れた。その背を茂は目で追っていた。 「決めた。オレここでバイトする」  誰に言うともなく茂が言った。水森さんは苦笑した。 「コーヒーの味はどうなったの」 「通いやすいし、雰囲気もいいし、言うことないよな。店の人も優しそうだし」  茂は同意を求めたが、弘樹は曖昧に微笑んで、代わりに水森さんに質問した。 「接客の人って一人なの?」 「今みたいなお客さんの少ない時間帯は一人のことが多いかな。ディナーやランチタイムは、二人か三人くらい。曜日にもよるけど」  窓際の席からは店内がよく見渡せた。綺麗に配置されたテーブルの数に対して客はまばらで、まだあまり傾いていない午後の日が差し込む窓際に並んだテーブルのうち、弘樹たちが座っているのを除くと、一席しか埋まっていない。通路脇の二人がけの席に座った二人組と、壁際の四人席の会社員。その他の席は空いていた。この席がすべて埋まるほどにぎわう時間には、店員も二人三人と増えるのだろう。 「でも最初から一人ってことはないから。慣れるまでは、誰か先輩と一緒のシフトになると思う」 「ってことは、さっきの人と二人でってことも?」  茂が声を弾ませて言った。 「残念だけど、夏休みの間は入れないって言ってた。大学のゼミの合宿とかなんだかんだで忙しいんだって」  茂は「やっぱいいや……」と言って萎れた。  水森さんはいたずらっぽく笑った。 「あ、でも、七月中くらいは大丈夫って言ってたかも」 「それならチャンスあるよな」 「チャンスってなに。ないない、そんなの。ノーチャンス」 「いや、オレはわずかでもチャンスがあるなら諦めない」 「ノーの意味、わかってないんだ」  弘樹は指をうまく使って片手で紙の包みからストローを取り出すと、アイスティを飲んだ。唇と前の歯に支えられたプラスチックの管を茶色い冷たさがのぼってきて、口の中に渋みが広がる。酸味を残して紅茶が喉を通り過ぎていくと、ダージリンの香りがした。
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