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アイスティを飲みながら、茂がなにか言って水森さんが困ったように笑い返すのを、弘樹は眺めていた。幼馴染というだけあって、手馴れたやりとりに見えた。中学生のころも、小学生のころも、何度もこういうやり取りをしたのだろう。
「小林くんは、他に聞きたいことない?」
茂の相手が面倒になったのか、水森さんは弘樹に聞いた。
「うーん……仕事ってどんなことするの?」
「色々あるけど、ほとんどはここで見てればわかるよ。お客様をご案内したり、注文を取ったり、料理を運んだり、お皿を下げたり、テーブルを綺麗にしたり、レジを打ったり」
「最初は皿洗いとかじゃないんだ」
「皿洗いはキッチンの仕事。他にちょっとした掃除とか、消耗品の補充とか……あと男の人は力があるから、バックヤードの仕事で呼ばれることもあるかも」
「倉庫整理ってこと?」
「整理は納入されたときにちゃんとするからないと思うけど、重いものを出したり、手の届かないところのものを取ってもらったりとか」
「それは弘樹を呼んでもムダっぽいな」
「そうなの?」
「まぁ、あまり背は高くないしね」
「腕力もないしな」
弘樹はことさら否定はしなかった。
「……残念だけど力仕事は茂に譲るよ」
「任せとけ。力仕事は得意だからな」
「力仕事なんてそんなにないんだけどね」
弘樹はそれを聞いてひそかに安心した。
「腕力より気がつくかの方が大事かな。注文したさそうなお客様がいたらオーダー受けにいったり、ちょっと汚れてるところがあったら綺麗にしたり。細かい親切心」
「それなら得意だな」
「ウソでしょ」
弘樹も思わず突っ込みそうになったが水森さんの方が早かった。
「いや、オレじゃなくて。弘樹はそういうの得意だろ」
「別に得意ではないけど」
「あぁ、小林くんなら、たしかに得意そう」
「かといってオレもけして苦手ではない」
「信じていいの?」
茂を指差して、水森さんが弘樹に聞いた。
「僕より水森さんの方が詳しいんじゃないかな」
「知らない間に何かあったのかなって」
「待てよ。水森。知ってるだろ。小学生のころオレがなんて呼ばれてたか」
「なんだっけ」
「気は優しくて力持ち」
「それって劇の役じゃん……こいつね、小学一年か二年くらいのとき、クラスの劇で先生が主役やりたい人って聞いたら、ハイッて手を挙げたんだけど、台本とかまったく無視で、出てくる人出てくる人襲い掛かって、お前が鬼かって感じで、仕方がないからクラスのみんなで、気は優しくて力持ち、気は優しくて力持ち、って言い聞かせ続けてたの」
「そうだったのか」
「そうだったのかじゃないでしょ」
弘樹にはその光景が目に浮かぶような気がした。
「それじゃ本番も大変だったんじゃない」
「え、それはまぁ……それなりにがんばってたよね?」
「そうだったか?」
「そうでした」
「オレの記憶じゃたしか」
「余計なこと言うな」
「いいじゃん。弘樹も気になるだろ?」
「え。うん、まぁ」
「本番じゃ鬼にやられちゃったんだよ。いつもみたいにふざけて、近くのやつ相手に暴れてたら、鬼がどしどしでてきて金棒ですこーんって」
「それじゃ鬼の方がヒーローだ」
弘樹は小さく笑いながら言った。
「爆笑からの拍手喝采だったな、くそッ」
「油断してたんだね。普段はみんな優しかったから」
「来るってわかってたら、負けなかったんだけどなァ」
「でも本番でそれをやるのは勇気あるね、鬼の役の人も」
「本当だよ。怒らせると怖いんだ」
茂がしみじみと言った。
ふと弘樹が水森さんに目をやると、眉を寄せて茂を見ていた。
「そ、そういえば僕、クラスで劇はやらなかったなぁ」
「お、露骨な話題変更」
わかってるなら言わないでおいてよ、と弘樹は思った。
「そういや弘樹、他の県なんだっけ」
「小五まではね」
「小林くんって県外の人なんだ?」
「うん。いや、ちょっとややこしくて。生まれはこっちなんだけど、生まれてすぐ引っ越して。また帰ってきたらしい」
「らしいって」茂が珍しく言葉尻を捕らえる。
「物心つく前の話だから」
「ふーん。結構違うもん?」
「どうかな。そう変わらないと思うけど……」
弘樹はあらためて考えてみたが、思いついたのは、給食の牛乳がガラス瓶ではなく紙パックなくらいだった。言葉も違うといえば違うけど、学校での生活や行事にさしたる違いを生むようなものではなかった。転校する度に『サウンド・オブ・ミュージック』を観る授業があって、小学校だけで三回も観ることになった。何年生で観るのかが違うのだろうか。『君をのせて』は合唱で二回歌った。修学旅行を何度も行くことはさすがになかった。
「そういえば二人は幼馴染なんだっけ」
「そう言えなくもないけど」
「そんないいもんじゃないよ」
息は合っていそうだった。
「幼馴染がいるのはちょっと羨ましいかな。何度も引っ越してると、仲良くなってもすぐ別々だから」
「あのな、そういうのはな、姉貴のいないやつの言うお姉ちゃん欲しいなぁと同じだよ」
「私、ゆかりさんみたいなお姉さんなら欲しいけどなぁ」
「お姉さんがいたんだ」
「ステキな人だよ。キレイでカッコよくて頭もよくて優しい」
「ズボラで傍若無人で頭は自分の私利私欲のためにしか使わない理不尽大王だぞ……」
「そうなんだ。今度ゆかりさんに確かめてみなきゃ」
「そんなことをしたら酷い目に合うぞ」
誰が、というのは聞くまでもなさそうだった。
茂は不満そうに目の前のカップを手に取った。コーヒーを口に含むと、突然にらめっこを始めたような顔をして、カップを受け皿に戻す。ガチャリと音を立てて中のコーヒーがこぼれそうになる。口からはこぼれていない。茂はテーブルに置いてあった砂糖をコーヒーに入れ、ミルクをコーヒーに入れ、シロップをまだ揺れるコーヒーへと注いだ。そのシロップは水森さんの紅茶についてきたものだった。
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