夏の始まり

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 それから弘樹は、時給や各種の手当や保険などの雇用条件、履歴書や給与振込み用の銀行口座など事務的に必要なものの説明を受け、客席に戻った。  茂と水森さんは何やら楽しげに話をしていた。弘樹が戻ってきたのに気づくと、「どうだった?」と茂が聞いてきた。 「想像してたのとは大分違った」 「マジか。圧迫面接ってやつ?」 「そんなことするわけないでしょ……」と水森さんが呆れたように言ったが、圧迫ではないけど圧倒はされたなと弘樹は思った。 「まぁ、行ってみればわかるよ。すぐ来てって」 「よっしゃ。いっちょ当たって砕けてきますか」 「砕けちゃだめでしょ」  茂が席を立つのと入れ替わりに弘樹は椅子にかけた。向かいのシートの真ん中に座っている水森さんとは、斜向かいになった。  さっきまでは茂と二人掛けだったのでよかったものの、一人で通路側に寄って座っていると、どこか変な感じがした。かといって、真ん中に座り直すのも何となく気が引けて、結局そのままでいた。 「想像してたのと大分違った?」  弘樹の方へと顔を向けて水森さんが言った。 「うん」と言いつつ、弘樹は言葉を選んだ。 「マネージャさんが面接するのかと思ってたから」 「あー。オーナー来てるんだ、今日」 「いないこともあるの?」 「いないことの方が多いかな。他にもお店やってるから、最近はそっちばっかり。ちょっと変わった人だったでしょ」 「うん」と言っていいか困って、弘樹は曖昧に笑った。 「勢いはすごいけど、いい人そう。緊張解そうとしてくれたり」 「え。あの人が? どんなことしたの」  どんなことと言われると難しいなと弘樹は思った。面白かったことは覚えてはいるけど、それをうまく説明できる気がしなかった。 「突然マネージャさんに面白いこと言ってって無茶振りして」 「うん」 「自分で言ってくださいってやり返されて、そうしたら何事もなかったように面接に戻った」 「マネージャ、強いからなぁ」  そう言って水森さんは笑った。  それで話が途切れると、しばらくは無言の時間が続いた。さっきまでは茂がいたから、何の心配もなかったが、二人きりだと話題を見つけるのが大変だった。  何か共通の話題はないかなと思うとむしろ思いつかない。なくはないけど──弘樹は今朝のことを思い出していた。朝早い教室で、二人は何を話していたんだろう──それをこの状況で話題にするのはさすがに躊躇われた。 「ねぇ、小林くんって、フットサル部なんだよね」  水森さんが思いついたように聞いてきた。弘樹は少し不思議に思った。どうして知っているんだろう。 「うん──正確には、だった、だけど」 「休部になっちゃったんだっけ」  水森さんの言うとおりだった。夏前の大会で三年生が引退し、それで部は休部になった。来年の春には廃部になる。 「もしかして中学まで、サッカー部じゃなかった?」  弘樹は更に不思議になった。確かにそうだった。弘樹が肯定するのを聞くと、水森さんは「やっぱり」と言って、喜ぶように笑顔になった。 「覚えてない? 練習試合で当たったでしょ」  水森さんが名前を挙げた学校とは確かに練習試合をした記憶があった。練習中、相手チームに怪我をする人がでて、弘樹の学校の生徒たちで応急手当をしてあげたりと、ちょっと珍しいことがあったので、思い出せた。 「よく覚えてるね」 「うん。男の子がなんて珍しいなって思ったから」  しかし弘樹はいくら思い返しても、水森さんらしき人が相手のチームにいたような記憶はなかった。そもそも相手チームにはマネージャもいなかったので、弘樹の学校の生徒たちで手助けしてあげたんだったはずのような。。 「でもそっちに女子マネなんていたっけ」と弘樹が聞いてみると、水森さんは笑って答えた。 「いないいない。マネなんて贅沢なのはいなかった」 「水森さん選手だったの?」  弘樹は驚いた。  どう思い返しても、フィールドの中に女子がいたとは思えなかった。中学生までくらいなら男子に混じってプレイできる女子もいないではないが、相当上手でないと体格差が厳しくなってくるはずだ。弘樹は素直に「すごい」と言った。 「すごい偶然だよね。茂が連れてきたとき、びっくりした。もしかしてって」  そこまで言われると弘樹は、自分の方は気づきもしなかったのを、なんだか悪い気がした。 「あれ、そういえば、じゃあ、島田先輩とも同中なんじゃない?」と弘樹は部の先輩の名を挙げた。 「ヤスさん?」 「だよね。やっぱり」 「人間関係って意外と広いようで狭いよね」  水森さんは楽しそうに笑った。
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