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ファントムオブザレールウェイ
ファントムオブザレールウェイ
列車への飛び込み自殺は朝夕の通勤ラッシュ時が多い。
仕事か学校へ行くのに駅まで来てプラットホームへ立ってつい、「あっ。死のう」って感じで飛込んでしまう。あるいは本当にどうしようもなく全てが嫌になって黄色い線の向こう側へ行ってしまう。
またそうでなく反対に、人のいる場で飛込む素振りを見せ助けてもらおう、そしてあなたは世界に不必要な人間なんかじゃないと言われたいと思う者もいるらしい。
俺はそういう不遜な不審者を事前に察知し止めに入る、駅員を装っている雇われ者だ。普段は駅員のフリをし新人の腕章を掲げながら構内をうろうろしているが朝と夕はいわゆる魔のスポットで待機しそんな輩を見張る。
今日は、俺が数日前からさりげに気になっていた男子高校生が来た。
うーむ、ここ最近ホームに淋しげに佇んでいたのはやはりここを死に場所にするつもりか。こんな場所で出会ったのでなければナンパもしたろうに流石に駅員の格好でそれもなかろう。その可愛らしい顔が電車に曳かれてそりゃあ無惨な肉になってしまったのを黒いポリ袋に詰めるのは嫌だなあ。
俺が隠れて様子を窺っていると、その高校生はしばらく迷うような素振りを見せたが、やがて踵を返し人込みに紛れて階段を降りていった。
今日は思い止まってくれたらしい。俺はホッとした。
++++++++++
うん、朝からヘビィな事だ。
線路に飛び散ったどす黒い汚れをがしがしとモップでこそぎ落とし、 ホースの先を潰してしぶきをレールに打ち付けた。
うん、うん。
何か嫌な事があったんだろう。いや、何も無くても人は死ぬが。 そんなこんなで事務的に全てを済ますとおれは構内にあがり両手をあわせた。
さようならOLさんらしきムスメさん。来世では幸せになるんだよ。
ふいに視線を感じたのでその先を見ると、記憶の片隅に覚えのある男子学生の姿があった。 例のボーダーライン一歩手前の少年だ。
今日も濃紺の学ラン姿で艶のある黒い髪、 眼鏡の奥の大きな瞳は微動だにせずじっと俺を見ていた。
いや、俺ではなくてこの事件の現場を見ているのか。お前も飛込めばこうなるぞ。 死とは想像以上に醜いものなのだ。
俺が牽制した視線を送ると、少年は瞳をぱちくりとさせ少し頬を染めた。 そしてゆっくりとこちらへやって来て、 すれ違いざまに聞き取れるかどうかという小さな声でこう言った。
「………もし今この駅で死んだら、 お兄さんが全てをかき集めて袋にぎゅうぎゅうに詰めてくれるんでしょう?すごく頭にくるけど、お兄さんだったらいいかなあ。楽しみだな………」
……………。
………うわーなんだこのダンシコウコウセイ。
こんな若いのに変態さんか?
俺は直立のままその場に立ち尽くした。彼の声は小さな呟きだったはずだけれど、衝撃的な内容のせいか、いやにはっきりと俺の耳には届いた。振り返る事はできなかったが、彼の気配はそのまま構内のざわめきに紛れていった。
++++++++++
その後しばらく彼には会わなかった。
しとしとと煩わしい小雨の降る日で、行き交う人々の顔も浮かない。ここ何日もこんなじめじめした日が続いているのだから仕方がないのだが、こうも生気のない顔ばかり見ているとこちらも気力を奪われていくようだ。
こんな時期は最も危険だと言っていい。
太陽のせいで人殺しをした奴がいるように、雨だからと自殺する奴もいるにはいるのだ。それも信じられない数。
当然俺も目の回るような忙しさで、普段詰めている駅ではない別の駅からも要請を受け、日替わりであちこちの主要な駅へ出張に行かされた。
こちとら人間なんですから使い回ししないで各々の駅で「そういう仕事の人」を雇用しなさいよ。こっちが働き過ぎで死にますよ。過労死ですよ。
そんな訳で久々に普段の駅へ帰ると手ぐすね引いて彼が待っていた。
俺はかなり気が萎えた。はっきり言ってあの子に構ってやる余力は無い、俺は彼に気付かないフリをしてやり過ごそうとしたのだが、そんな俺の気持ちを彼が察してくれるはずもなかった。
彼は黒目がちの瞳をくりくりとさせ、俺に会えたのが嬉しそうだった。普段なら、俺も嬉しいのだけどね。
「お兄さんお久しぶり。しばらく見掛けなかったけど、どこに行っていたの?」
「ああ、うん」
俺は生返事をして構内の巡回を続けた。雨なのでいつもは電車を使わない人も電車を利用する。相当な人込みだったが、彼は人波に遮られる事もなくするすると俺の後を付いて来た。
「ねえ、疲れてるの?すごく不機嫌そうだね」
彼はまた話しかけた、俺は無視する。
少々冷たいのは判っていたが、あえてそうした。彼もすぐ気付いて、少し後ろからしょんぼりした声で呟いた。
「……せっかく久しぶりに会えたのにさ。お話、聞いてよ。僕、お兄さんしか話せる人居ないんだ」
構内の喧騒の中でもその言葉はすっと耳に入ってきた、呟やきだったはずなのに。こんな感覚は、二度目だった。
俺はその理由に行き当たって、やっと振り返って彼を見た。
「……なんだ、お前、もう、いないのか」
この世のモノではなかったのか。可愛い顔してたから残念だ。
彼はそれでも、俺が振り返ったのでにこやかに笑った。
「……僕は横溝万里(よこみぞ・まり)っていうの。かなり前に、電車に乗ろうとしてた所を後ろの人に押されてそこから落ちたの」
「自殺じゃなかったんだ」
意外だった。
万里が指差したのは、先日OLさんらしきムスメさんが落ちた場所だ。
「いや、学校でいじめに遭ってたし、死にたい事には死にたかったんだけど、もっと綺麗に死にたかったんだよね。こんな最悪な死に方したくなくって、もう悔しくって悔しくって」
「………」
良く理屈が判らないが、死に際の悔しさのみでここに残っていたという事だろうか。
「あとさあ、肉になっちゃったらとたんに黒いポリ袋とかに詰めるよね……入りきらなかったらこっそり足で踏んで詰めたり。……何だそれはー!死人に対する所業か!」
突然当時を思い出したのか彼はキレた。
ここの駅で、俺以外に詰められたというなら、前任者の丸山さんだろう。あの巨体に踏まれたというならば、さぞかし重かった事だろう。いや、そういう話ではないのか。
形があればそりゃあ丁重に扱えるけれども形がなくなってしまっていたらそりゃあもう掃除機で吸い上げてポリ袋に詰めるしかないんだよ。
でもそれを今のこの子に言った所で聞く耳持たないだろう。
「死ぬチャンスなんて一回しかなかったのに、つまづいてしまったんだ。後悔してもし足りないよ。もう一度綺麗に死にたいよ」
いや、後悔のし所が違う。彼は大袈裟に顔を両手で覆って泣き真似をした。
「お兄さんは霊が見えるんだね。僕を成仏させてくれるのかな?それとも退治とかするの?」
「そういうのはうちの家系はできないんだよ。本家ならできるのだけど」
俺は自分の家の話をしたが万里は興味が無さそうだった。
「でも僕お兄さんに付いていったら、外に出られるような気がする。ずっと駅に居るのはもう飽きたよ。外に出て死ぬのをやり直す事にするよ。お兄さん、僕が死に直したら綺麗に処理してくれない?あくまで美しく」
勝手に霊を野に放していいのか迷ったが、それを止める権利や義務は俺にはない。死んだ後の事までフォローしていたらキリがない。しかも万里は出会った時には既に死んでいたのだ。
「俺に付いて、ってまさか俺の所へ転がり込んで来るのか?死に直すまで俺の所にいるの?」
「いけない?」
いけないかどうかは判らない。幽霊と同棲するのは気が進まないけれど。
「行く所無いのか?家族とか居るんだろう」
「うーん。それがさあ、あまりもう記憶にないんだよねえ。家がどこだとか、家族の顔とか」
そんな大昔に死んだのだろうか。
「生きるのもうまくいかなくて、死ぬ時にもつまづいて、散々じゃないか。せめて次は頑張るぞー!みたいな。ラッキーな事にまだ続いてる。だったら今度は悔いのない死に方を!」
「だからもう死んでるだろ」
俺が言うと万里は期待のこもった瞳で俺を窺った。こんなにポジティブな奴なのにどうしていじめに遭っていたのだろう。世の中とはよく判らない。
今までこんな能力全く何の役にも立たなかった。ただ見えるだけ。
生きている人間に混じって今までもよく霊を見た事はあったけれど相手してやる暇はなかったし、生きてる人間の方が余程手に負えなくていっぱいいっぱいだった。
正直、死ぬのを止めてやるのがいい事なのかも判らなくなっていた。救ってしまった人間がその後、どうなったのかは判らない。その後もっと悲惨な人生が待っていたかもしれない、そんな時救ってしまって良かったのか悩む。
けれど、死んでなおもやり直そうとする奴も居るのか。
「死んだ人間を助けるのは初めてだ」
「そりゃあそうだろうね」
口では悪態をつきながらも万里は寄る辺ない子供のようにおずおずと俺の手を握った。 それは確かに感触が感じられ、暖かさまでも伝わった。俺は強く万里の掌を握り返した。
「………外に出られたらさ、死に直すんじゃなくて、生き直さない?俺と」
死んだ人間も救えるか?それが知りたくなって俺は万里に尋ねた。
万里は、嫌だね生きててもロクな事はなかったのだものと笑った。
++++++++++
夕暮れになって俺達は、駅の階段を一息に駆け抜けた。外へ出てみると、じめじめと降っていたはずの雨は止んでいて、駅ビルの向こう側から薄日が射していた。あの、スポットライトみたいな天空からの架け橋は「天使の梯子」というのだと、昔誰かから聞いた。
勢いで構内を飛び出してもなお、俺達は何かに追われるように走り続けた。
駅で命を落とした他の多くの化け物達が万里に付いて来ないように。
おしまい
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