今日私は繭子を殺さなければならない

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 妻は福岡に来ると、男では手入れの行き届かない水廻りの掃除を手際良く済ませて、ハンバーグやカレーや白飯の作り置きをし、ワイシャツや背広のチェックをする。そして最終日に自分の代わりを置くように白百合や薔薇やガーベラや……ああ花の名前はよく分からないが、とにかくポツリと花を一輪挿して、慌ただしく東京に帰って行く。ついでに女の匂いのチェックなどもしたかもしれない。    (花に関して言えば「見張られてるみたい」と繭子にすぐゴミ箱に捨てられた)    初めの内は物珍しさもあって、夫婦二人であちらこちらの観光をして周ったが、何年かするとそれも行き尽くしてしまった。ただ一つ、車でニ時間ほどの佐賀県ののイカの活き造りは妻のお気に入りで、今でもたまに足を運ぶ。単身赴任当初は寂しさもあったが徐々に一人暮らしに慣れると、逆に妻が来福するといつ帰るのかと考えてしまうようになった。 一人暮らしには魔物が住んでいるようだ。 「帰りの飛行機は何時だ。 月曜日の朝だろ」 「 もう来たばっかりなのに。 飛行機はいつもと同じ時間よ 」 「月曜日は直接取引先に行くから空港まで車で送って行くよ 」 「ちょっと来た早々帰りの話はいいわよ。明日早起きして呼子にでも行く? 」 「 ああ……」  何もかもどうでもいい気分だ 。  蒸し返すようだが、はっきりざっくり言えば、私は体よく九州に飛ばされた。本社から追い出されたんだ 。前線からこぼれ落ちた企業戦士の末路がこれだ。 ここに来て、靄が晴れて未来がよく見えるようになった。人生の先が否応なく見えたせいか、 仕事人間だった私は、何かをやろうとする意力、何かをやってやろうとする気力、その両方をあっさり失くして淡白な人間になっていた。  繭子に深入りした以外は。  
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