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「家はどちらなんですか」
ついに男性が尋ねると、雪乃は道路の先の闇を指差し、「歩いて十分くらいです」と答えつつ、「近いので、大丈夫です」と憔悴した笑顔で付け足した。
「それなら俺の家とそう変わらない距離です。もし良ければ、送りましょうか」
男性は、最初からこうすれば良かった、これが当たり前の改善策だったとばかりに、立ち上がって彼女に手を差し出した。
雪乃は困った顔で、その手と彼の顔を交互に見る。
「そんな……これ以上ご迷惑をかけるのは申し訳ないです」
「迷惑ではありません。余計なお世話かもしれませんが、心配なんです。送らせてもらえませんか。傘のお礼だと思って」
優しい言葉で提案してくれる彼。
ここまで言ってくれるのなら甘えてしまってもいいのだろうかと、雪乃はおずおずと彼の手をとった。
手に触れると、急に、彼のことがすごく好きだという想いが募った。
席を譲っていたイメージのとおりに優しく、思いやりのある人。
もしかしたら今までは恋とまでは言えないものだったかもしれないが、その優しさが自分に振りかかった今、雪乃は改めて気持ちを確信した。
ただ、別にそれをどうしようというつもりはなく。
「……お願いしてもいいんですか?」
「もちろん」
彼が雪乃の手を引き、立たせた。雪乃が男性の手に触れたのは何年ぶりか。
自分の手とはまったく違う、骨ばった手の力強い感触は、暗闇の恐怖に一瞬で打ち勝った。
「よろしくお願いします。……えっと、お名前……」
「高杉と言います。高杉晴久です」
「高杉さん、ですね。私は細川雪乃と申します」
「細川さん」
名前を確認するように、晴久は復唱して頷いた。
雪乃の顔はポッと熱くなり、手もじわりと湿った。
「行きましょうか」
「はい」
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