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2F・エントランス
「ハロー、アリス。ソニアです」
門の脇に据え付けられた、一角獣を模した像の首のあたりに取り付けられたインターカムに声紋を入力すると、ぎぎぎっと錆びついた音を立てて門が開いた。広く、整備された石畳の道が数十メートル延びている。両脇には微妙に左右非対称な植木と、色とりどりの花壇がずうっと並んでいた。白や青といった、寒色の花が多く並ぶ一画の隣には、とりわけ真っ赤な薔薇と、太陽のような秋桜が咲いていた。アリスの趣味なのだろうか、そういう話は聞いたことが無かった。
緑を抜け、建物に近付くたび、その姿が変わる。質感の変わらない石畳が不気味に思えるほどだった。最初は白い煉瓦造りのように見えた外壁は、よく見るとガラスのような半透明の物質で形作られていて、手に触れられるほど近付いてみると、更に大理石のように光沢のある、てらてらした冷たい質感を返してきた。おそるおそる触ってみると、思っていたよりもずっと軽い質感が指先を走った。
エントランスは二階にあった。幅の広いクリーム色の階段を昇って行き、呼び鈴を鳴らすと、乱暴さをみじんも感じさせない柔らかなタッチで扉が開かれた。
「いらっしゃい」
彼女は想像していたときと違って髪が黒かった。肌が白くて、膝の後ろくらいまで毛先が伸びていた。フリルのついたワンピースのスカートが、扉の開閉で生じる風に揺れていた。清潔な、氷人形みたいな少女だった。
「来てくれてありがとう、ソニア。歓迎するわ」
「ずいぶん大きな家ね」
エントランスホールは温かみのあるペールホワイトの壁で、曲線を帯びたドーム状になっていた。白色灯が灯り、床は朱色、肌色のタイルが敷き詰められている。ドームの中心を貫くように太くて立派な柱がそびえ立ち、周囲には緑色の鉢植えが規則的に並べられていた。
アリスは慣れない表情をしながら、私をリビングへ案内してくれた。この家は三階建てで、玄関が二階にある。正面に、水晶のように地面が透けて見えるなだらかな階段があって、踏みしめるたびに電気がその中を駆け回るように、回路状の光が浮かぶ。扉は木製で、ちょっと埃をかぶって色褪せていた。アリスは、あまり家から出ない生活をしているようだった。
リビングに通されると、紺色のバルコニーへつながる水色の階段が目についた。中心には艶消し黒の円卓と、それを取りかこむ半円のクリーム色のソファ、向かい合う木目調の壁には薄型の投射型ディスプレイが浮かび、延々と滝から水が流れ落ちる映像が、サイレントで流れ続けていた。
「適当に座って。コーヒーでいいかしら」
アリスはどこか浮足立っている。
「いいよ。お任せします」
ソファのど真ん中に坐り、ぐるりと部屋を見回す。天井には、シャンデリア―のようにきらきら光る撹拌機が、くるくると回っている。その周囲には手すりのついたギャラリー。このリビングは吹き抜けになっているようで、壁沿いのタラップから中二階のバルコニーへ向かうと、そこからさらにのぼっていけるようだ。窓は高く、大きく、外の太陽の光を取り入れている。空調の音は聞こえないが、部屋はひんやり心地よい涼しさを保っていた。上着を脱いで畳み、膝の上に置くと、それを見計らったようにアリスがコーヒーを持ってやってきた。お盆には砂糖とコーヒーフレッシュが乗せてある。
アリスは慣れない手つきで砂糖を入れると、かちゃかちゃ、と音を立てながらかきまぜた。
「今日は来てくれてありがとう。遠い所を、わざわざ」
「ううん―素敵な家だね」
「『宮殿』っていうの。この家の名前。父さんの友人が設計したんだって。父さんと母さんの新婚祝いだ、って」
「こんなに広い家に、ひとりで暮らしてるんでしょ」
「このリビングに来たのも、随分久しぶり。しばらく掃除してなかったら、凄く大変だった」
「わざわざありがとう」
アリスは目を細めて微笑んだ。どきっとするくらい、可愛らしかった。
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