地下・プライベートシアター-2

1/1
前へ
/27ページ
次へ

地下・プライベートシアター-2

 スクリーンの両脇から左右に一つずつ、非常口が手配されている。ランプは消え、その黒い扉はかたく、閉ざされていた。  触ってもびくともしない。これらは二重の意味で二重扉になっている―音が漏れないように、扉の先にひとつ、空洞を作って、更にその先に扉を閉める。こうすることで外部に音が漏れるのを防ぐ。 「この扉から出るしかない」  ドアノブを指でタップすると、解錠プロンプトが現れる。  PRESS THE PASSWORD_  求められるのは同じ文言だった。ともかく、パスワードを明らかにしないことには先には進めないようだった。  入り口を入ってすぐのA段が13席、K段まであるので143席。蝋燭の炎の色をした照明が、仄かに灯っている。足元には青白く光るガイド・ライトが、階段を行く足元を照らしてくれる。この客席のどこかに、パスワードのヒントがある。  こういう時、なにもない所からヒントを見つけ出すことはできない。パスワードを考える過程には、必ず作成者の意図が含まれるはずだ。  脳内に設計図を広げる。四つある地下階、その西から二番目。プライベート・シアターというにはやや巨大だ。田舎にある小さな、古びた映画館。ひとつひとつ、褪せた赤色のシートを手でなぞるように、何かを探しあてようとした。触れる感触はどれも同一で、まだ真新しい、少し固いクッションの手触りを返してくる。  映写機の、ガラガラと空回る音がかすかに聞こえてくる。スクリーンには何も映っていない。むら一つない、のったりとした白い面をこちらに向けている。B段のシートに、特に異常は見られない。C段に足をかけ、ひとつひとつ手で確かめていく。  アリスの記憶。私の記憶。どうしてそんなものを、ここで見せるのだろう。  クァーラトはなにも答えない。今は誰の気配も感じない。劇場の隅から隅まで行き渡った、私の神経が妙に張り詰めた。頭がぼうっとするのは、外部からの刺激を何も受けていないような、そんな気がするから。足取りは重く、しかし指先の感覚は鋭くなっていくように。  感覚情報をうのみにしてはいけない。この部屋の真の姿は、やっぱり別なところにあるのだろう。シートを全て辿ってみても、異常は見られない。再び最上段へ登ってきた私の耳に、すぐ後ろの映写室から聞こえてくる、ガラガラという乾いた音が寂しく届いていた。 「映写室?」  ぴん、ときた。映写室という、もう一つの部屋がこの部屋には存在するのだ。わずかに覗く窓は高くて、ジャンプをしても届きそうにない。あの部屋にはどうやって入ればいい?  設計図をめくる。全体の見取図では意味がない、映写室への突破口を開くためのヒントはどこにある?  激しいスクロールは、視界に明滅する光と共に停止した。それは配管図のすぐ近くのページに書かれた、空調と通気口が記された資料だった。  完全に密室になっている部屋など存在しない。それは設計上のミスとして生まれる空洞であり、部屋ではない。あの映写室にはきちんとした機能が存在し、何者かが入り込めるような仕組みになっているはずだ。  最上段の非常口――まだ私の施した封印が残っている――のすぐ横に、有線式のアウトレットが配置されていた。ホロ・キーボードを広げると、どうやらまだ通電しているらしい。右手の人差し指、小指を立てて、親指で狙いを定める。アウトレットの奥、穴の奥深くを狙って、引鉄を引く。  ばづん、と発条仕掛けのような音がして、ホロ・ウィンドウが展開された。暗号は正常にヒットしたようだ。  両手のホロ・キーボードからコマンドを打ち込む。劇場全体の配電図が、配電コードを伝って次々に明らかになっていく。ちょうど、蟻の巣に液化金属を流し込んで行くように。電力線を介した暗号通信は、ネットワーク技術のごく初期から普及してきた古流(レトロ)だけど、こんな所で役に立つなんて。ぴぴっと通知音が鳴る。末端まで暗号が行き渡り、網の目のような配電図が浮かび上がった。これを『宮殿(パレス)』の設計図に記された配電図と照らし合わせると…… 「ここだ」  F-7席。シートには何の問題もなかったはずの、劇場のちょうど中心に位置するこの席の足元に、ほのかな電子光を帯びるカバーがあった。開くと、ふちの丸いブラック・ボックス型のデバイスがせり上がり、何十何百のソケットの取りついた側面が展開した。  視界の中で旋回する情報たちは、このブラック・ボックスに全ての電力が集中していることを示している。しかし、脳内の配電図にはそんなものはひとつも記されていなかった。この設計図が作られてから、増設されたのだ。恐らく、この設計図を書いた建築家の意志とは、無関係に。  何のために?  ボックスの天面をバン、と手のひらで叩くと、ホロ・ウィンドウがノイズを混じらせながら展開した。それが分からなかったら、暗号屋(コードキャスター)の名が廃る。  かなり旧いデバイスのようで、漏れ出してくる情報にはところどころバグが発生している。文字化けもひどく、センテンスが丸ごと欠損しているものもあった。まるで、古文書でも読んでいるようだ。  文体じたいはスタンダードで、何十年も前から現在に至るまで使われ続けているものだ。解読は簡単で、すぐにコマンドも掌握した。右手のホロ・キーボードと同期、円形に浮かび上がるホロに、もうひとつ同心円状のコンソールが追加された。  ひとつタップする。スクリーンに向かって、右側前方の淡いライトが、わずかに暗くなった。コンソールを右に捻ると、光量が上がる。左に捻ると、暗くなっていく。このブラック・ボックスは調光器であり、配電盤なのだ。コマンドを掌握している今、私が自由に劇場内の照明をはじめとした電気系統を操作できる。  劇場内の冷暖房、および空気清浄、換気のコマンドを入力。それ以外のコマンドは、一斉に消灯。劇場のあたたかい光は、心臓を脈打たせる真っ赤な非常灯へ切り替わる。視界に浮かぶホロ・ウィンドウが煌々と光っていた。どこからか、唸るような空調の音が聞こえてくる。設計図と、ウィンドウで光を放つ配電図とを重ね合わせた。ホロ・ウィンドウの両端を、子どもが欲しい絵本を両親にねだるように持ち上げ、劇場内を軽やかに移動する。  ひた、と、冷たく湿った足音が聞こえた。  なにもついていないはずのスクリーンに、うっすらと砂嵐が走っていた。タイトルロゴが日の出の瞬間のごとく、中心に浮かび上がる。  THE ELECTRON DREAM。  ぬっと、背の高い女がスクリーンに現れた。  ひた、ひた、ひた……スクリーンからこちら側に向かって歩いてくる。画面に近付くたびに、からから、と乾いたものを引きずるような音が耳を打った。  ひた、ひた。からから、ひた、ひた。  ぐいっと。まるで当然のことのように、女はスクリーンの縁をくぐって、劇場へ降り立った。裸足で、病的に白い肌。身長は二メートル三十センチくらい。両手には、巨大な草刈り鎌を握りしめて、じっと、濡れた髪の向こう側に除く目でこちらを見ていた。 「また、出たな」  ホロ・ウィンドウを電脳体に保存し、右手で暗号を構える。女は草刈り鎌をゆるり、と緩慢な動作で振りかぶって、ひたひた足音を立てながら一歩ずつ近付いてくる。走ったり、叫んだりすることはない。階段を一歩一歩のぼるたび、存在感が希薄になっていくような気がした。  右手を向け、暗号を撃ち込む。女は頭部から真っ赤に煙を噴き上げながら、派手な音を立てて階段を転がっていった。しかし、何事もなかったかのようにぬっと起き上がると、また、こちらに向かって来た。 「暗号が通らない?」  もう一度、撃ち込む。今度は肩に命中したようで、女の左腕が丸ごと吹き飛んで、あらぬ方向へ曲がった。それでも女は平然と向かってくる。左腕からノイズの炎が立ちのぼり、ゆらゆら身体が激しく揺れる。  思わず距離を取る。女から目を離さずに階段を、ゆっくりとのぼる。女もまた、まったく同じくらいゆっくりとついてくる。同時に視界の隅が激しく、赤と青に明滅し、脳から発せられた痺れのような感覚が、右手に降りてくる。  最上段まで上りきる。咄嗟に右手を女に向けた。 「くらえッ」  放った暗号は女の腹部、子宮の辺りに着弾すると、中で花火でも爆ぜているみたいな音を漏らした。ボン! ボン、ボンボン! 女の身体の穴という穴から煙と炎、赤い光が立ちのぼり、やがて赤熱した火山のように派手な音を立てて、木っ端微塵に砕け散った。  やった。  ほっと溜息をついて、何気なく、背後の非常口を振り返ると、封印していたはずの非常口がぽかんと、間抜けに開いていた。女が巨大な鎌を振りかぶって、ちょうど竹でも割るように、私の脳天に刃を振り下ろすところだった。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加