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これは、おれとアイツが契約するおよそ10日前──
影の世界。死神が支配する帝国、その城内。
「クソガキが。そろそろ親父の言うこと聞けってぇーの!」
全面が黒大理石で造られた空間に響いたのは掠れた低い声。
天然なのか酒焼けなのかは知らないが見事なハスキーボイスだ。
暴言ともいえる言葉を向けられたおれは、睨みつけるように冷たい視線を玉座でふんぞり返っている父に向ける。
「あーわかったわかった。言い方を変える。これは王の命令だ」
玉座に座っているのだからもちろん奴こそこの国の王様、なんだけど……。
ボサボサで濃紺色した髪は肩につくぐらいの長さ。
口の周りの無精ひげは伸ばされているものではなく、明らかに手入れ不足によるものだ。
黒地の布に金の装飾を施したマントを羽織ってはいるがその下から覗くのは白いTシャツ。その下はベージュ色した七分丈のズボン、そして履いているのはグレーのクロックス。
王らしからぬその身なりの全ては「だらしない」の一言で片付く。そしてそれは見た目だけの問題ではなく、内面にも及ぶ問題であることは息子だからこそ知っていた。
「何度も言わせないでくれ。おれはこの国に興味なんてない。この世界にも。おれは天使との殺し合いには参加しない。魔界で、人間として生きるって決めてるんだ」
王の命令に対してそう答えるおれの格好はといえば自分で言うのもアレだけど……それなりに整っている。はず。
青色の髪は王に比べれば短いし、襟足は肩にかかるぎりぎり。服装は刺繍を施された黒のドレスシャツ、その上から羽織っているのは黒のロングコート。これまた黒いパンツの裾は編み上げブーツの中。ちなみにブーツも黒色だ。
おれの答えに王はさも悩んでますと言いたげに額に手を当て、ため息を一つ零す。
「なぁにが人間だ。お前は王である俺の息子! この影の世界、死神の国の王子! 18歳になったら帝国将軍の地位に就く。俺が退位するまでの間! それがこの国の習わしだ」
「習わしなんて知ったことか、おれには関係ない」
「大ありだこの馬鹿野郎が!」
先ほどまでとは比べ物にならない程の剣幕で怒鳴られてさすがに黙った。
その残響が王間に響きそして静かになる。
「お前な……立場を知れ」
「王のくせにそんな恰好してる父さんには立場云々言われたくないね!」
「このクソガキが!」
もう一度ハスキーな怒鳴り声が王間に響きわたった。
今度は残響が消えても王は何も言わず、挑戦的な視線を向けるおれの姿を睨みつける。
向けられる燃えるような紅い瞳。
その瞳孔は縦に割れている。
あぁ、そうだ。
おれは人間離れしたあの瞳が嫌いなんだ。
王の放った「クソガキが!」を「もう帰れ」と解釈して何も言わず踵を返した。
何か声を掛けられるかと身構えはしたが何も言われなかった。
そして扉へと向かう歩を止めないまま、左手で己の右瞼にそっと触れる。
嫌いなその瞳はくしくも自分のものと全く同じ。
この国に住む死神という種族の者が皆、共通して持つものだ。
おれの居場所は、こんな血生臭い世界なんかじゃない
冷たく重い王間のドアを開け、おれは夜の明けることがない闇の世界を後にした。
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