平行線

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平行線

 田舎の電車は一本たりとも逃すことは許されない。酷い時には次の電車が来るまで一時間近くかかる。そのため、高校へ行く時はいつも同じ電車の同じ車両に乗っていた。それは他の人も同じようで、車両に乗る人々の顔ぶれは変わらない。  夏も始まり、生命力に満ち溢れた木々の緑が車窓から見える。駅へ来るまでの道のりで少しばかり汗をかいてしまったため、冷房で体が冷えないか心配だ。  ハンカチで額の汗を拭いていると、ホームから中学生くらいの男子が汗を垂らしながら走って来た。扉が閉まるギリギリのところで滑り込み、息を切らしながら近くの席に座った。しばらくして、彼は席に鞄を置き忘れたまま電車から降りようとした。 「すみません、鞄忘れていますよ」  私は急いで彼の背中を追いかけて鞄を届けた。そもそも鞄を忘れるなんておかしな話だ。 「あ、ありがとうございます!」 「どうも。気をつけてね」  そう言って私は車内に戻り、彼は改札口へ向かった。  次の日。彼は同じ電車、同じ車両に現れた。そして、私に近づき話しかけてくる。 「その……昨日はありがとうございました。お礼というのもなんですが……今度一緒にご飯食べませんか? 僕が奢りますから」 「お礼なんていいよ。気にしないで」 「じゃあ、お礼とかではなく、一緒に行ってくれませんか?」 「……え?」  彼はものすごく積極的だ。 「お願いします!」  彼はそう言いながら頭を下げる。 「わかった。じゃあ、いつがいい?」 「いいんですか!?」 「いいよ」 「ありがとうございます!」  頭まで下げられたら断れなかった。彼は顔を上げて、露くらいの恥ずかしさを帯びた目を輝かせる。そういうところに引かれていった。  ――あんなにも真面目で純粋な人なんだから、うっかり忘れてしまっているだけだよね。  やまない雨はない。そう思っていたが、この雨はやみそうにない。視界に罅(ひび)が入り、気持ちが凍る。  考え事をしているとバスがやってきた。乗客は僕一人で、車内にも誰もいない。傘を閉じ、整理券を取っていつもの席に座った。そこから窓を覗くと、雨に濡れる一人の少女がバス停にいる。少女は無表情であるのに、なんだか寂しそう。僕がバスに乗る前はいなかった。しかし、そこにいるのがはっきりと見える。傘もささずに待っているのだ。  冬なのに夏用のワンピースを着ているため寒いに違いない。しかし、バスの扉は閉まってしまい、上着をかけてやるどころか傘を渡すことも出来なかった。  はぁ、と一つため息が出る。暖房が効いていたので、マフラーとコートを外して隣の席に置いた。バスはゆっくりと発進し、少女の姿は遠くなり、バスが十字路を右に曲がると見えなくなった。それは当たり前のことだが、少女が見えていることは当たり前のことではない。  ――それはいつの日かの出会いであり、別れであり、青春の欠片でしかない。でも、十年と半年経った今でも少女が見えているのだから、おそらくは僕にとって運命のようなものだったのだろう……だからこそ、思い出が腐蝕してしまわないかと恐怖にも近い不安がある。  あれは僕が高校一年生の夏のことだ。彼女に告白しようと密かに計画していた日。僕は映画を観に行こうと彼女を誘い、あのバス停で待ち合わせした。  彼女から『先に着いた』と連絡が来た時、僕はバスの中にいた。『もう目の前』と返すと、バスが急ブレーキをして、僕は前の席におでこをぶつけた。それと同時に激しい衝突音が鳴り響く。僕が降りるはずだったバス停に、トラックが突っ込んでいたのだ。  歪に曲がった時刻表。砕けた民家の壁。焦るトラックの運転手。集まる野次馬。広がる血溜まり。彼女は即死だったそうだ。返したメールに既読の印は付いていなかった。  僕が鞄を忘れなければ、僕が彼女を食事に誘わなければ、こんなことにはならなかっただろう。  脇から汗が流れ落ちた。そのくすぐったいとも気持ち悪いとも取れる感覚が、僕と少女の解けない運命みたいで、あの世行きのバスに乗り換えようと思った。
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