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腐男子、幽霊と歩く
「日野上ユキナ先生でしょ、あねちゃ先生でしょ、それからvany.先生。小説だと梶戸ゆゆ湯先生とか、あと、投稿サイトで見かける人が好き。ぽんぽさんとか、はにほへさんとか!」
「ハッピーエンド信者と見た」
「あたりー! ツイッターもフォローしてるんだよ。それからねー」
住宅街の細い道をおれに連れ立って歩きながら、詩帆はよどみなく、好きなBL作家の名前を上げていく。おれよりわずかに背の高かった詩帆は、幽霊になってもそのままだ。並んで立つときいつも感じた、すこしの居心地悪さを思い出した。今はおれ以外に、それを見る人がいるのかわからないけれど。
172センチメートルの長身の背の半ばまである、真っ直ぐな髪を揺らしながら、詩帆は楽しげだった(幽霊なんだし飛べないの、と聞いたが、できないみたいだ。幽霊も重力に支配されるのだなあと、おれは感心した)。
「ワルオ」を読み終えた詩帆に、外を歩いてみようと言ったのは、おれの方だった。もしかしたら、一緒に歩けば「いけない」と言っていた場所も歩けるのではないかと考えたからだ。もし詩帆が自由に動けるのであれば、彼女の実家と、そして颯のもとへ連れて行きたかった。
結論から言えば、期待は裏切られた。詩帆が辿ってきたと言う道を外れようとすると、彼女は「進めないー!!」と、カエルが潰れたような声を出した。それまで普通に隣を歩いていた詩帆が、見えないなにかに阻まれていた。「家に戻ろうか」と落胆するおれに「せっかくだから、行けるとこまで言ってみたいよ!」と詩帆は言った。意識を取り戻したあの交差点の向こうへ行けるのか知りたいのだ、と。
そして彼女は、歩きながら自分の好きなBL作家を語りつづけている。
「で、で、トワちんは? どんな作家さんが好き? あ、マリリン先生は好きだよね? それ以外のひと! 誰々??」
「詩帆が好きなひとは、おれもみんな好きだよ」
「えー、他には?」
「ぜんぶ、きみが先に言った」
「そっかあ! アタシたち、好み一緒なんだぁ」
「かもね」
「ますますもっと早く知れなかったのが残念だなあ。トワちん、年齢制限のある作品は?」
「高校卒業までノータッチ」
「それもおんなじ〜!! ポリシーだよねえ、わかるー!!」
キャッキャキャッキャと、詩帆は楽しそうだ。その様子に、口元が綻んだ。
「それじゃあさ、トワちん、シュレ猫さんは知ってる? 投稿サイトでたくさん短編を書いてるひと!」
左隣で、詩帆は変わらず、くったくのない瞳で問いかける。急に胸の奥がざわついて、おれは唇をかみしめた。
「まあね」
「アタシ、あのひとの小説が大好きなの!」
「そっか」
「優しくて、ハッピーエンドだけど切なくて、どの小説も攻めがすっごく格好いいんだよ。年齢制限のない話ばっかりだから、ぜんぶ読めるのも嬉しいんだあ。ツイッターで書いてる小ネタも素敵でさ、いつか商業でも書いてくれないかなあ」
おもわず立ち止まった。詩帆は一歩だけ先に進んで、そんなおれの顔を、不思議そうに覗き込んだ。
「トワちん?」
当たり前のようにすこし屈み込まれるのが、やっぱり居心地悪い。
「ごめん。おれ、そのひとあんまり好きじゃなくて」
「えー、いがーい。アタシにはど真ん中だよお」
やっぱり似てても違いはあるんだなあ、と詩帆はしみじみうなずいた。おれは小さく首を振り、左足を前に出した。
「もうすぐ交差点だよ」
促すと、「わかってるって」と、快活な声が答えた。詩帆はどこまでも、初夏の日差しが似合う女の子だ。
「うーむ、ここから先へは行けぬ」
横断歩道の真ん中で、詩帆は見えない壁にタックルをかけている。おれはその壁を行ったり来たりするが、詩帆にはそれができない。そのうちに、歩行者用の青信号が点滅をはじめた。
「じゃあ、戻ろうか」
「あいよ!」
詩帆は元気に応答し、ふたりで小走りに来た側の歩道へ戻った。
四辻の交差点の角や歩行者用信号の電信柱の側には、詩帆が言ったとおり花やお菓子が並べられている。あの日から、行き帰りに毎日見ているはずなのに、まだ慣れない。できれば見たくない。と、今日の昼までは思っていたのだが。
「これさあ、アタシにくれた花とお菓子だよねえ。持ってけないのかなあ」
えい、やあと、例の念動的なものを駆使して供物を持ち上げようとする詩帆を見ていると、感傷に浸っていた自分がバカバカしくなってしまった。
「やめなって」
「いいじゃーん。うーむ、しかし持ち上がらないぞお、これは。トワちん、なんかひとつ持ってってよ」
「え、やだよ。おれが非常識なヤツに思われる」
「いいじゃんいいじゃん、アタシが許すんだからさあ」
「詩帆が許しても社会が許してくれないよ」
「アタシと社会、どっちが大切なの?!」
「社会より詩帆より、自分が大切」
「ちぇー」
詩帆は唇を尖らせる。
ここまでふたりで歩いてきて、詩帆の姿がおれ以外の誰にも見えていないことを、なんとなく悟った。この交差点も人通りがそれなりに多く、通り過ぎる中には詩帆を知る人もいるはずなのだが、誰も彼女を振り返らない。むしろ、おれに変な目を向けてくるひとの方が多かった。たぶん、ひとりごとを言ったり横断歩道のど真ん中で反復横跳びをする、やばいヤツだと思われているのだろう。やっぱり、幽霊じゃなくイマジナリーフレンドの方が近いのじゃなかろうか。そう思ったが、行動を改める気も起きなかった。見知らぬひとの目線より、友人との会話の方が、おれにとっては大切だから。
「瞬?」
帰ろうか、と交差点に背を向けたそのとき、右側から声をかけられた。
あまりに聞き覚えのあるその声に、おれは思わず、勢いよく振り返る。
「そ……」
「ソウタ!」
彼女の明るい声が、おれよりも早く、彼の名を呼んだ。
「あわー、ソウタだ! ソウタ!!」
颯に走り寄る詩帆だが、彼に到達するよりも早く、例のタックルがはじまった。
「あーん、もう! ソウタ、ちょっと! クマ作ってんじゃん! ちゃんと寝てる? 食べてる? やだあんた、痩せたんじゃないの?」
「そんな母親みたいなこと……」
詩帆の言葉に思わず茶々を入れた。颯は眉間にシワを寄せて、怪訝におれを見た。
「母親って、なに?」
それだけで、わかった。颯には詩帆の姿が見えていないのだ。
いや。詩帆が見えているなら、おれに声なんてかけない。
「なんでもない。どうして」
ここに来たのか。言いかけて、野暮な質問だと思い直した。颯は花束を持っていた。180センチメートル台後半の、筋肉質な体にそぐわない、ピンクのマーガレットと黄色いデイジーの、小さなブーケだ。
颯に近寄り、途中で足を止めた。詩帆が近づける以上に、おれから颯に近づいてはだめな気がした。
「……詩帆に?」
ん、と颯は短く答えた。
「墓まで行くの、まだいやで」
「そっか」
「アタシにくれるなら、トワちん貰っといてよ。ソウタ、それこっちにちょーだいちょーだい」
「できるわけないだろ」
「なに?」
「なんでもない」
慌てて、仰ぐように手を振る。小声で答えたはずだが、颯に聞こえてしまったらしい。また例の、眉間にシワ寄せた表情で、颯がおれを見た。
隣にいる詩帆じゃなくて、おれのことを。
苦しくて、視線を歩道のアスファルトに落とした。今度こそ気づかれないように、唇を軽くかみしめた。
「どうしたんだよ。瞬、ちょっとへんだ」
ざり、とスニーカーのゴム底がアスファルトを踏み締める音がする。ひとが歩くと、足音がするんだ。今日、隣を歩く詩帆は、足音を立てていなかった。
「そうかも」
サイズの大きな、ごついスニーカーが視界に入って、おれは顔をあげた。
颯が意識したわけじゃなく、きっと偶然なんだろう。そこには、颯と詩帆がふたり並び立っていた。あまりにも見慣れた、パズルの最後の1ピースがはまったように「そうあるべき」情景で、鼻の奥が痛んだ。
そのパズルにおれが必要ないって、痛感したからだ。
「トワちん」
詩帆がおれを呼ぶ。おれはなんとか、気をつなぎ止めた。
「颯、明日は一緒に帰る?」
「あ、いや……」
「いいよ。わかった。じゃあ、また学校で」
今度こそおれは交差点に背を向けた。颯は引き留めもせず、「おう」と言っただけだった。
「トワちーん」
背中から、詩帆が呼ぶ。べつに早足じゃないし、歩幅は詩帆のほうが大きいんだから、そうする必要はないのに。
ーーおれになんかついて来ず、颯が帰るまで、一緒にいればいいのに。その発想は我ながらあんまりに鬱陶しくて、拳を握り込んだ。
「ねえ、トワちん、ってば」
「なに」
「どうしちゃったの。てか、ソウタもどうしちゃったわけ? なんか暗いし、眉間にシワ寄せて、おじさんみたいな顔しちゃってさ」
いいながら、詩帆はようやくおれの隣にまわりこんできた。
「そんなの、決まってる」
「はー。アタシが死んだから?」
「それ以外にある?」
「アタシ、ふたりをギクシャクさせるために死んだんじゃないよお? て言うか、特に何かのために死んだわけじゃないよお」
「あのさ。あんまり、そういうこと言わないでよ。反応に困るから」
「反応に困らせたくて言ってるわけでもないよ」
「わかってるよ」
家に帰り着くまでの間、おれたちの会話は、それきり途切れてしまった。
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