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腐男子、地雷をちょっと踏む
「トワちん、スマホかタブレット貸して」
沈黙を破ったのは、やっぱり詩帆だった。帰宅してからも気まずくて、会話どころかまともに彼女の顔も見られない有様だったが、迷いなく向けられた言葉に救われた。
「なんで?」
「ツイッターにログインしたいのさ。フォローしてたひとたちのこと、気になるじゃん?」
おれは、うーんと首を捻ってから、タブレットを詩帆に差し出した。こっちではツイッターログインしたことが、確かなかったはずだ。
タブレットを受け取ろうとして、詩帆は手をこちらに伸ばした。しかしそれは、少しばかり重い音を立てて床に落ちた。
「あー、慣れないなあ、これ」
詩帆は床に寝そべり、肘を立てた掌に自分の顎をのせる。おれも慌ててひざまずき、タブレットに触れた。一日に二度も床とキスするなんて、運のないやつだ。
「それ、ひっくり返してよ。トワちん」
タブレットは液晶面を下にしていた。言われるがまま、おれはそれに従った。
詩帆の長く細い指がホームボタンあたりに触れる。黒い画面は色づき、4桁のパスコードの入力を求めてきた。
「パスコードいくつ?」
邪気のない笑顔に問われ、おれは思わず「0527」と答えた。
「おいおい、アタシに教えていいの?」
「詩帆が聞いてきたんじゃん」
「自分でやるよとかって言われるかと思ってたんだもん!」
「マズかったら、あとで変えとく」
「オナシャス。0527は覚えやすすぎるぞー」
おれはまた、ぎくりとなって、理由はわかりきっているのに、なんで? と聞いた。
「ソウタの誕生日じゃん」
「あ……ああ、そうだね」
「あれま。わざとじゃないの?」
「んー……」
「無意識なんだ。さっすが、幼なじみだもんねえ」
うんうん、とやっぱり詩帆はひとりで納得して、開いたタブレットから青い鳥のアイコンをタップした。彼女の念動力は、物を動かせはしないが、触れることはできるらしい。
おれは床を詩帆に明け渡し、ベッドに転がってスマホの画面を開いた。
「……ん? あれ?」
床に寝そべる詩帆が、何かに気づいたように顔をあげた。
「ねえ、トワちん。今日って、5月29日?」
「なに、突然」
「いや、タブレットの上の方に日付出てるんだけど」
「んー、そうだよ。5月29日(日)PM3時48分」
おれは寝転がったまま、スマホに表示されている日時を読み上げた。
「うおー! 大変だぁ!!」
詩帆は一大事のように身を起こし、ベッドのおれに詰め寄った。スマホから視線を移し、迫りくる詩帆を手のひらで制する。
「今度はなに?」
「トワちん、お願い! あそこのセブンに寄って! あ、今日じゃなくていいの、明日でいいんだけど、てゆか明日じゃなきゃだめなんだけど、あそこの、ほら、あの交差点渡ってすぐのところにある、あそこ! ほんとガチでリアルにリアルガチでお願い!!」
詩帆は両の手のひらを合わせ、激しくヘッドバンキングしている。
「首、いたまない?」
「それが全然。ね? ね? おねがいだよー」
「行くのはいいけど、なんで?」
上体を起こし、ベッドに座り込む。詩帆は身振り激しく説明をしてくれる。
「ソウタの誕生日プレゼント買ったんだよー。新しいスニーカーを、ネットで!」
彼女の腕が四角やら三角に動くが、なにを表現しているのか、さっぱりわからない。
「じゃあ、もうすぎてるじゃん」
「それはいいの! いや、良くはないんだけど、もとから5月30日着って言われてたの!」「ああ。それを、おれに受け取りに行ってほしいってこと?」
「そういうこと! お金は払ってるから! 受け取るだけなの、おねがいいいい」
「いいってば。行くよ」
「やったあ! ありがとう! 恩にきるーーー!!! 抱きつきたいけど無理だよねーーーー!!!!」
詩帆は長い手足をしなやかに伸ばして、舞うように再び床へ寝転んだ。
おれはと言えば、もういちど縮こまるようにベッドへ倒れ込み、スマホに視線を戻した。詩帆の言うものを、受け取ったところでどうしたらいいんだろう。颯は、おれとは帰らないのに。
前髪が視界にチラチラと入りこんで、鬱陶しい。いつから切ってないんだっけ。もう襟足も随分と長い気がする。母さんに言われる前に、切りに行かなきゃ。思いながら、おれは小説投稿サイトのアプリを開いた。
「はー、日野上先生の新刊9月に出るんだってさ。ぽんぽさんの新作もアップされてる」
「よかったじゃん」
おれはスマホを眺めながら、詩帆に適当な返事をする。詩帆の方も、おれにまともな返事なんて求めていないだろう。
「お、ゆゆ湯先生の新刊の表紙イラストがマリリン先生じゃん! 夢のコラボだねえ、これは。アニメイトの初回特典はブックレットかあ。トワちん、紙派?」
「基本的には電子書籍派。特典が欲しかったら紙。同人誌は一択で紙」
「だよねえ、置くとこなくなっちゃうもん。はー、生きる糧がいっぱいだあ」
「よかったね」
「んもー。そこは『もう死んでるじゃん』とか言ってよー」
「言いたくない」
「トワちん、いっつもそれ」
「なにが」
「言いたくない、話すことない、って、そう言う感じ。いや、トワちん聞き上手だよ? だから、アタシやソウタばっか喋ってる。けど、アタシはもっとトワちんのこと聞きたいの。って、前に何回も言ったじゃん」
「話すようなことないもん、おれ」
「ボーイズラブ好きって、言ってくれたら、ずっと前から、こうできてたかもしれないのに
? んー、シュレ猫さん、もう十日もツイートしてないなあ……」
詩帆はずっと続けていた実況を打ち切って、静かになった。
おれはしばらく、スマホのテキストフォームに書き込んでは消し、消しては書き込んでまた消してを繰り返した。
午後の穏やかな日は暮れかけて、窓から差し込む光が赤みを帯びはじめていた。もうすぐしたら、母さんが「夕飯つくるから手伝いなさい」と声をかけてくるだろう。
おれは寝返りを打って、背中を向けていた詩帆の姿を見つめた。タブレットを床に置き、真剣な眼差しで指を動かしている。何かを書き込んでいる様子だ。まじまじと見つめて、改めて、可愛い女の子だ、と思う。
「どうして詩帆は、おれにボーイズラブの話ばっかりするの?」
ん? と詩帆は小さく漏らし、おれにゆっくりと顔を向けた。
「好きだからだよ? なんで?」
「もしおれが、前からそうだ、って言ってたら、同じようにした? みたいな、こと」
「あたりまえじゃん。ねえ、なんでそんなこと聞くの?」
「今はおれしか話す相手がいないから、じゃないの?」
おれの言葉を、詩帆は眉間にしわ寄せて受け止めた。しわはどんどん深くなって、とびきり苦いお茶を飲んだような顔になって、最後には「はああ?!」と言って立ち上がった。
「なにそれ、どういうことどういうこと?? ちょっとなに言われてるかわかんないけど、失礼っぽいこと言われたのはわかる!!」
おれは起き上がり、ベッドの縁から足を下ろす。どう言えばいいかわからなくて、口を噤んだ。どう言っても、詩帆を怒らせる気がした。
「ごめん。忘れて」
「そう簡単に忘れられるわけないでしょうがあ! ちゃんとわかるように言ってよ」
「だから詩帆がボーイズラブの話ばっかりするのは……他に好きなものだって、あっただろうし」
「あったりまえだよ。あったよ。毎週見てたドラマとか、アニメとか、推しバンドとか、服とか、アクセとか、メイクとか。部活のみんなとどうでもいいこと話したりとか、ボールペンの全色集めてる途中だったなあとかさ」
「でも、おれにはそういうの話さないで、楽しそうにしてる」
そこまで言って、詩帆ははっとしたように目を見開いた。
「あー、アタシがそういうこと言わないのが不自然ってこと? 死んだなら未練があって、それを嘆いてて当然だって思ってるんだ、トワちんは」
そんなことない、と言いたかったが、できなかった。きっと図星だったからだ。ふう、大きく息を吐き、詩帆はあぐらをかいて座り込んだ。
「パンツ見えるぞ」
「やめてよ、死んでる女だよアタシは」
「ごめん」
「あのね。アタシ、父さんや母さんや、ソウタのことだって好きだったよ。トワちんのことも好き。死んじゃったのショック。なんで自分がって大泣きしたい気持ちもちょっとある。でもね、涙とか出ないんだよ。出せないの。お腹も空かないし、きっと眠くもならないんだと思う。けど、そんなことトワちんに言っても仕方ないじゃん?」
詩帆は、ぷくーと頬を膨らませた。おれは、自分で考えていた以上にひどいことを言ってしまったのだと気づいた。詩帆がーー死んだのなら、こう感じているべきだと、決め付けていたのだ。おれだったら、そう思うだろう、こうするだろう、と思っていたから。詩帆は、おれじゃないのに。
「詩帆。ごめん、詩帆」
さっきよりも、ずっと強い気持ちを込めて、詩帆に詫びた。詩帆は、んもー、と言ってあぐらを解き、横座りの格好になった。
「いいよ、別に。トワちんがアタシに気づいてくれなかったら、きっとこんな風に怒れもしなかったし。あっ! トワちんが良く言ってる『話したくない』って、こういうことなのかなあ?」
「かもね」
ふふふ、と詩帆が笑うから、おれも口角を上げることができた。
「それにね、好きなことを話せるひとがいて嬉しいのは本当だよ。ボーイズラブが好きなひとって、いままでまわりにいなかったんだもん。トワちんといっぱいおしゃべりしたいなって思ったら、こうなっちゃうの」
「うん」
「じゃあ、この話、おしまい! でもね、トワちんの思ってること、聞かせてくれてありがとね。ほんとだよ」
頷くと、詩帆はまた床に寝そべり、タブレットをいじりはじめた。
おれはベッドに腰掛けたまま、窓からなんとなく空を見ていた。光が濃くなって、もうだいぶ赤い。そろそろ、カーテンを閉めなくちゃならない時間だ。
「よっしゃ、送信!」
詩帆が人差し指を勢いよく振り下ろしたその時、おれの手の中でスマホがピロン、と鳴った。
電源を入れて確認すると、ツイッターのDMが届いていた。
ん? と首を傾げる。
「詩帆」
「なあに?」
「いま、なにしてたの。タブレットで」
「メッセージ送ったの。シュレ猫さんに。いつもなら日に15ツイートくらいはするし、三日に一回は小説の更新してるのに、しばらくどっちもないから、どうかしましたかー? って」
「きみのハンドルネームって、もしかしてシフォン?」
詩帆はギョッとしたように口を窄めた。
「えー、なんで知ってるの? そうだよお、✨シフォン✨ワルオにzokkonn🎀だよ。ワルオにzokkonn以下は時々変わるけど……て、あれっ、まさかトワちん、フォロワーさん?! トワちんのハンネなになに? ぽんくまさん? ネコネコチャンさん??」
おれは呻いた。おお、神よ……。
どうしようか。いまなら、適当なことを言って終わらせられる。
けれど頭の中で、明るい声が響いている。『アタシはもっとトワちんのこと聞きたいの』と。
「あのさ、詩帆」
「なんでしょうか、PON!がしっ!さん?」
「あげてる名前、ぜんぶ違うからね」
「えー、じゃあ……」
詩帆は懲りずにフォロワー(おそらく未成年と判明しているひとたち)の名前をあげようとする。
「『私も死んじゃったんで、久しぶりのメッセージなんですけど』とか書いたら、言われた方はびっくりするからね」
「んーそっかあ、悩んだんだけど……」
詩帆は、またギョッとして、今度は大きく口を開けた。
「なんでそれ知ってんの?! エスパー?!」
「そんなわけあるかい」
幽霊が見えている時点で、そんなわけもあるかもしれないが、とりあえずここではないということで、おれはスマホの画面を詩帆に向けた。
ずずい、と詩帆が寄ってくる。彼女が身を屈める。いつもなら落ちていた影が、今はない。
表示されているのは、ツイッターのダイレクトメッセージ画面だ。
送信者は✨シフォン✨ワルオにzokkonn🎀。受信してしているアカウント名はーー
「シュレ……猫……」
詩帆はつぶやき(ツイートじゃなくて口に出すほう)、指でスマホとおれの顔を交互に差し、顔も一緒に動かした。ひとりであっちむいてほいをしているみたいに。
「シュレ猫、さん?」
おれはちいさく、けれど、はっきり頷いた。もちろん、肯定の意味で。
「え、え、えええええー???!!!!」
詩帆は長い手足をてんてこ舞にさせながら、おれの部屋じゅうをポップコーンみたいに跳ねた。
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