感情のバーゲンセール

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 この時代の人間は、感情がない。  僕は、お母さんに毎日渡される千円を握りしめながら、近くのスーパーに足を運んだ。スーパーに売られているのは、毎日精査され、選ばれ、買われ、消費される感情だ。「うれしい」、「かなしい」、「よろこび」、「たのしい」…そういった類の感情を、僕らのような人間は日々買っては消費する。クッキーのような、お菓子みたいな形のものに感情が詰められており、(「うれしい」はピンク色で「かなしい」は青色と、感情によって色が違うのもまた面白いところだが、)それを食べると、その日中は食べた種類の分だけの気持ちを味わうことができる。  今日はどんなラインナップかな、と、バーゲンセールの台を見ると、「嫉妬」が一万円を超えた価格で売られていた。どうやら、今日の目玉商品らしい。気になるが、お母さんから渡されたお金では到底足りないので、僕は近くにあった「うれしい」感情と、「たのしい」感情を手に取り、レジに持って行った。どちらも四百円ちょっとなので、毎日の消耗品としては手ごろだ。一回だけ気まぐれに「かなしい」感情を買ってみたことがあるが、涙があふれて止まらなかった。あれが人生で初めて流した涙だったが、その日はとても疲れてしまったのを覚えている。「嫉妬」なんて、「かなしい」以上の複雑な感情であるらしい。あんなもの、好んで買う感情じゃあないだろう。そんなことを思っている僕の横で、二人の女性が「嫉妬」の感情の購入で交渉していた。  その昔、人間には感情があったらしいが、その時は感情と感情がぶつかるような、それは激しい争いをしていたのだという。もっと大きなものだと、戦争なんて呼ばれているらしいが、この時代の世界にはそんなものは存在せず、書類上でしか見たことがない。結局は、個人の資産の取り合いに感情が大きく関わっているだけじゃないか、と僕は思う。それに比べて、今はなんと平和なことだろう。「嫉妬」をめぐって交渉している女性達は、何の表情も浮かべず、淡々とお互いの欲しい理由、必要な理由を、具体的かつ端的に伝えている。こんなに合理的なことはない。  噂では、ネットのオークションで、なんと十万を超える価格で「最高の幸せ」や「真実の愛」が買うことができるらしいが、たった一日のためだけに支払う価値があるのだろうか、なんて考えながら、僕はレジを後にして、家へと向かった。  今のテクノロジーは最高だなあ。過去の人間が持っていた感情を模して、疑似体験ができるのだから。僕は我慢が出来ずに、帰り道の途中で「うれしい」感情を食べた。ああ、嬉しくなってきたぞ。これこれ、この気持ちだ。本当に嬉しいなあ。今なら何でもできそうだ。小走りでスキップをしそうなくらいの気持ちで、僕は家へと急ぐ。空の飛行船から流れてくるニュースは、「AIの皆さま、こんにちは。今日はどんな気持ちで過ごされているでしょうか……。」と大きな音を流しながら、一日の始まりを告げていた。
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