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                 1  もし、一度だけ過去に戻れるとしたら、あなたはいつに戻りますか?  僕だったら迷わず一年前の夏に戻る。これを聞いた友達は、皆して「たった一年前!?」と笑うだろうけど。僕はそうする。  花火にかき消された、君のの言葉を探して……。                  2 「キーンコーンカーンコーン」午後一時、学生にとって聞きなれた終業のベルが鳴った。このクラスの担任である大園の話はまだ続いているものの、浮足だった生徒たちによって、教室はすでに騒がしくなっていた。 「よし、お前ら一度しかない高校最初の夏だ。存分に楽しみなさい。ただし、羽目だけは外しすぎるなよ」  大園がお決まりのセリフを言うと、生徒たちは声を揃えて「ハーイ!」といつもより五割増しのボリュームで返事をした。そして、各々グループをつくると、一斉におしゃべりをはじめた。大方、今日の夏祭りの計画でも立てているのだろう。  そんな教室の雰囲気とは裏腹に、僕は誰にも気づかれないように手早く荷物をまとめると、教室を後にしようとした。しかし、 「菊斗、お前も今日の夏祭り来るだろ?六時、現地集合だからな。遅れるなよ!」  男友達の一人に呼び止められ、僕は足を止めた。 「考えておくよ……」  僕は振り返り、曖昧な返事を返した。彼は彼なりに僕を気遣ってくれているのだろう。 「ありがとう。じゃあ」  僕はそう言うと、再び歩き出した。後ろでは、「あんた、ちょっとは気を使いなさいよ!」と、彼が女子にたしなめられている声が聞こえた。  校舎の玄関を出ると、夏の日差しが容赦なく照りつけてきた。僕は思わず一歩後退して、玄関の屋根の下に避難した。そして、右手をかざして空を見上げた。憂鬱な僕の心とは対照的に、雲一つない青空は、変わることなくどこまでも広がっている。  僕は日陰を選びながら、校舎裏にある駐輪場へと向かった。駐輪場には百台を優に超える自転車が並んでいる。坂が多いこの島では、自転車は学生の必需品となっていた。僕はその中から、銀色の古びたママチャリを見つけると、跨ってのろのろと漕ぎ出した。  ギシギシとチェーンを鳴らしながら校門を通り過ぎると、目の前に左へとカーブを描きながら、延々続く下り坂が現れた。夏には数々の生徒のやる気と出席日数を奪ってきたその坂は、学生の間で地獄坂と呼ばれていた。  僕は帰り道は天国へと変わるその坂を風を切り、勢いよく下っていった。途中で黒猫が飛び出て来てこともあったが、今の自転車には衝突回避機能がついているので事なきを得た。  下り坂がだいぶ緩やかに変わってきた頃、左手には青くきらめく海が見えてきた。  十年前までは、夏になると多くの観光客がこの海を目当てに訪れていたが、数少ないきれいな海を守る名目で海開きがされなくなってからは少し寂しくなったように感じる。  そんな海岸線を眺めながら自転車を漕いでいくと、二つに分かれた道に突き当たった。  分かれ道をまっすぐ進むと、この島一番の高台エリアへとつながっている。そこには、近年、海に代わる観光資源として力を入れている宇宙開発に携わる、多くの学者や宇宙飛行士が暮らしている。他に知っていることと言えば、そこから見るオーシャンビューが絶景ということぐらいだ。  僕は右腕で額を流れる汗をぬぐいながら、目の前に現れた螺旋状に延々続く上り坂をしばらく眺めていた。しかし、今の僕には全く縁のないところだと考え、自転車のハンドルを右に切った。                  3 ──なんでこの島はこんなにも坂が多いんだ  僕は自転車を漕いで上がることに限界を感じ、自転車を降り、押しながら歩き始めた。野球をしていた去年までは楽々登りきることができたのに、体力の衰えを感じる。  上り坂のてっぺんからは、「ゴオォ」という音と共に、(そら)に向かって一直線に打ち上げられたスペースシャトルが見えた。この島では月に一度のペースで、月へと人を運んでいる。  短い坂を二本登り切り、夏の日差しに打ちひしがれながら五分ほど歩くと、右手にさわやかな水色の屋根をかぶった二階建ての一軒家が見えてきた。  白い門扉を開け中へと入っていくと、庭では二人の妹達が昼だというのにすでに花火をはじめている。紺色の生地に赤と白の椿をあしらったおそろいの浴衣を身にまとっていた。 「「お兄ちゃん、お帰り!」」  妹達は元気よく言った。 「ただいま」  僕は続けて、 「昼から花火をするのはいいけど、庭狭いんだから、ねずみ花火はするなよ。去年それで大騒ぎになったんだから」  と呆れ顔で言った。 「分かってるってば。今年はねずみ花火の代わりにこんなもの見つけたの!」  そう言った双子の妹の手には、ほこりをかぶり、他のものと比べて明らかに古いことが分かるがあった。僕はそれを「ひょいっ」と取り上げ、たしなめるように言った。 「こんなもの家の庭でやるんじゃない。打ち上げ花火なら、祭りの大きい奴が家からでも見えるだろ」 「つまんない!」と妹たちがブーイングをしているのをよそに、僕はそれを自転車のかごへと入れた。  玄関を上がると、リビングから漏れる心地よい冷気を頬に感じた。 「ただいま」と言うと、僕は階段を登り二階にある自室へと向かった。部屋に入ると、ベッドの脇に置いてあったリモコンをすぐさま手に取り、エアコンのスイッチを入れる。  夏休みの課題のために久しぶりにロッカーから取り出した十を超える教科書が入っているために、異次元の重さとなったカバンを投げ出すと、ゲーム機のスイッチをオンにする。テレビ画面からは、タイトルコールと共に二頭身にデフォルメされたキャラクターが現れた。左手に握られたバットを空に向かって掲げる姿は不思議と凛々しく見える。  しばらくして、ゲームに全く身が入っていないことに気づく。もう何度目かわからない「三振!!」という音が部屋に響いた。僕はコントローラーを置くと、ベッドに身を投げ出し、あおむけになった。 「まだこんな時間か」  ポケットから取り出したスマホの画面は「7月28日(金)14時51分」と表示していた。僕は両耳にイヤホンにはめると、お気に入りのプレイリストからランダムに曲をかけて目をつむった。  しばらくすると、今時珍しいさわやかなアコースティックギターとタンバリンの音色が聞こえてきた。この曲は確か、君が勝手に僕のお気に入りのプレイリストに入れてしまった、半世紀近く前の男性デュオの代表曲だ。今では僕の中ですっかりお気に入りの曲の一つとなっていた。  この曲を聴いていると、去年の夏の出来事が今でも鮮明に蘇る。あの時君は何て言ったのか、そのことは今でも僕の心の中に(もや)としてとどまり続け、僕を妨げる。答えの見えない難問は、やがて睡魔へと変わって僕を襲った。                  4  誰かが何かを言っている。僕は朦朧とした意識の中、それを聞き取ろうと必死に耳を傾ける。 「あんた…りに…いの?」 ──母の声だ…祭り……?  そこで僕は「がばっ」と勢いよく起き上がった。 ──そうだ。友達に誘われていたんだった!  窓の外では空が少し薄暗くなりはじめていた。時計を確認すると時刻は「一八時」を少し過ぎたところだった。 ──三時間も寝てたのか  祭り会場までは自転車でも三十分はかかる。僕は急いで制服から、Tシャツに短パンというラフな格好に着替えると、階段を駆け下りた。長い間寝ていたせいで、寝癖がはねていたが気にしている余裕はない。 「あんた、はちゃんとした靴を履いていきなさいよ」 「急いでるから、いってきます」  僕は母の忠告を無視し、一番手軽なサンダルを履き玄関を飛び出した。 「お兄ちゃん、もサンダルで行くの?またケガしても知らないよ」  呑気な妹たちの声を無視して僕は自転車に跨ると、海岸とは逆方向に漕ぎ出した。                  5  夕方とはいえこの季節はまだまだ蒸し暑く、自転車を飛ばして来たためにTシャツはぐっしょりと汗で濡れてしまったが、おかげで二十分で祭り会場へと着くことができた。  例年、花火は十八時半から開始する。そのため、祭り会場はすでに多くの人でごった返していた。  自転車を適当なところに止め、僕は人混みとは逆側にある友達との待ち合わせ場所へと急いだが、そこにはもう、友達たちの姿はなかった。きっと、僕は来ないものだと思ったのだろう。  そこで僕は、少し距離はあるものの、花火がよく見えるために学生たちがよく集まる柳川(やなぎがわ)の川辺へ向かうことにした。  再び人込みのほうへと戻ると、周りの人たちが皆足を止めて空を見上げていた。僕もつられて足を止める。すると、赤、黄、緑、青。色鮮やかな光が、夜空に大小様々にきれいな花を咲かせた。「十八時半」丁度、予定通りに花火がはじまった。  僕は最初の花火が散っていくのを見届けると、ごった返す人々の間をかき分けて進みはじめる。花火が一つ上がり、一つ花火が散っていくたびに歓声がこだました。  僕は三回「すいません」と言った後、なんとかメインロードへと出ることができた。メインロードには焼きそば、たこ焼き、射的など大小様々な種類の屋台が並んでいる。中には「スペースシャトル饅頭」なんてものもある。サツマイモの餡の甘い匂いが、鼻をくすぐる。しかし、急いでいる僕は人波にもまれながらも、前へ前へと必死に進んでいった。  その途中、目に入ってくる屋台の看板は、僕に去年の夏の記憶をありありと蘇させる。君がりんご飴が好きで三本も食べたこと。そのうち二本は僕の奢りだった。どうしても金魚すくいがしたいと言う君に付き合って、結局僕が十匹もすくったこと。楽しかった思い出は、尽きることがない。  そんなうちに、僕は屋台通りを抜けて小さな池のほとりに出た。すると丁度、花火大会の第一の見せ場であるナイアガラ花火がはじまった。この花火は毎年、花火開始から三十分後の「一九時」にはじまる。去年、僕は「危ないよ」という君の忠告を聞かずに、池の周りの石の上をサンダルで歩いていたら見事に滑り落ち、ずぶぬれになりながら見た記憶がある。  池のほとりを過ぎてしばらく歩いていると、人の数は減ってまばらになってきた。その代わりに、学生と思わしき若者が目立つようになっていた。彼らは皆、カップルや友人グループをつくり、似たような浴衣や甚平に身を包んで楽しそうだ。  柳川の川辺に着くと、僕は友人たちの姿を探し歩き回った。約五百メートルの川辺を往復し、反対岸に渡ってみたりもしたが、いくら探しても友達の姿を見つけることはできなかった。かれこれ三十分以上は歩き回り、へとへとになった僕は家へと帰ることを決めた。                  6  僕は再び人波を抜け、自転車を止めていた場所まで戻って来た。花火はクライマックスに向け、一層数と勢いを増して打ち上げられていた。僕はお祭り気分だけでも味わおうと買ったりんご飴を片手に自転車を漕ぎだした。口いっぱいにりんご飴の甘酸っぱさが広がった。  一つ目の坂を下り終えた時、自転車を止めて後ろを振り返った僕は、不思議な体験をすることとなる。  腕時計を見ると、そのデジタル盤は「二十時」を表示していた。 「さあ、今年の花火もこれで最後。国際宇宙センター様奉納、二尺玉でございます」  街頭に設置されたスピーカーから女性のアナウンスが流れると、ひと際大きな「ひゅるるる~」という音と共に、坂の頂上から一つの大きな光が現れた。どこか魂のようにも見えるその光は、美しい尾を引きながらゆらゆらと高度を上げると、地上五百メートルの夜空に大きな花を咲かせた。  僕はその向日葵のような花火にしばらくの間、見入っていた。直径四八〇メートルにも及ぶ巨大な花火が散っていく様というのは、その花びらの一つ一つが自分の上に落ちてくるのではないかと錯覚してしまうほどであった。  自転車を降りてしばし花火に見入っていた僕も、自分の方角に落ちた光の一つが徐々に大きくなっていくように錯覚し、思わず顔の前に手をかざして身構える。かざした手の隙間から見える光は徐々に……小さくならない!  他の光たちはすでに夜空の彼方に消え去った。しかし、僕の方に向かってきている光だけは、その大きさと眩しさを増しながら迫ってきている。 ──一体、どうなってるんだよ!?落ち着け、深呼吸をして落ち着くんだ、僕! 「すぅーはぁー」と大きく深呼吸を三回繰り返した後、僕は迫りゆく光と向き合って目を閉じた。 ──こんな非科学的なことがあるもんか。これはきっと夢に違いない  そして、三つ数えて目を開けた。僕の身長の半分はあるであろう光は、もうすでに目の前まで迫って来ていた。  肩を壊して野球を挫折した時、目標をなくしていた僕を励ましてくれた君、そして、君の最後の言葉を聞くことができなかった去年の夏。僕の脳内をが走馬灯が駆け巡った。 ──なんだよ、これ。僕は、死ぬのか……  そう思ったのも束の間、あっけなく僕は光の渦に飲み込まれてしまった。 
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