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カーテンの隙間から、清らかな日差しが差し込む朝。
カナの一日は、ベッドの上でのストレッチから始まる。
それから洗顔を済ませ、コーヒーのセットをしながら朝食の準備をする。
ちなみに、今日のメニューはコールスローとベーコン・ゆでたまごのホットサンド。ゆでたまごとマヨネーズを和えるとき、少しだけ味噌を混ぜるのが最近のお気に入りだ。
そうしてお腹を満たし、身支度を済ませたところでスマホを手に取る。
アプリをタップし、少し待機。
それほど時間をおくことなく、小さな画面に恋人の顔が映し出された。
『おはよう、カナ。そっちは今、何時?』
「7時20分。ごめんね、いつもより遅くなって」
『いいよ。キミからの連絡を待っている時間も楽しんでいるから』
これから出勤する自分と、これから眠る彼。
時差がありながらもわずかに生活が重なる10分間のやりとりこそが、カナにとって1日で一番心が満たされるひとときだった。
『そういえば、昨日話してくれたカフェには行ったの?』
「それがまだなんだ。急な残業が入っちゃって。そっちはどう?」
『ランチでピザを頼んだよ。でも、チーズが多すぎて……』
幸せな毎日。
その大部分を担っているのが、恋人であるマコトの存在だ。
彼に出会えて良かった。
彼のおかげで、自分はこんなにも幸せだ。
憂鬱な通勤電車も、面倒な上司も、気にならなくなったのは彼のおかげ。
多少理不尽な、たとえば街ですれ違い様にぶつかられて、舌打ちされたとしても──
「てめぇ、気をつけろ!」
突然の怒鳴り声に、心臓が跳ねあがった。
ぶつかってきた男が「記憶のなかの人物」と重なる。
足がすくむ。それでもかろうじて「すみません」と声をふりしぼると、男はカナをひと睨みして去って行った。
──大丈夫。
ようやくカナは息を吐き出した。
落ちつけ。さっきの男と「あいつ」は別人だ。
「あいつ」はもうそばにはいない。
わかってる。よくわかってる。
なのに、早鐘のような鼓動は一向におさまらない。
あいつ──マコトと付き合う前に恋人だった「元カレ」。
あいつを思い出すだけで、恐れと憤りが沸き起こる。
カナを振りまわし、傷つけ、最後はゴミのように捨てて行った。
忘れたいのに、もう忘れたつもりでいたのに、あいつはふとした拍子に顔を出すのだ。
(苦しい)
どうして、別れてからもこんな思いをしなければいけないのだろう。
あいつの存在は、まるで澱のようだ。
ふだんは水底をたゆたっているだけなのに、少し掻き混ぜただけで水を濁らせ、台無しにしてしまう黒い澱。
どうにかしたい。
記憶のなかのあいつを、すべて消し去りたい。
あいつの存在さえなくなれば、もう二度と幸せで満たされた心を濁らせずに済むのに。
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