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完全個室の中待合は、ミツバチの巣のようだ。
三好結菜(みよしゆいな)はリクルート用の黒いショルダーバッグから、折りたたみ式のミラーを取り出した。今日は術後から七日目の抜糸の日だ。
落ち着いたベージュ系の待合室に、弦楽四重奏のカノンが静かに流れている。結菜は鏡の中のくっきり二重の瞼と、鼻筋の通った小さな鼻を誇らしく思った。上向きのまつ毛とピンク色のシャドウが目元を華やいで見せる。美人顔と言われている、鼻から顎の直線の黄金比も完璧だ。鏡の角度を変えては、大きな目と鼻と顎のラインを飽きもせずに見続けていた。
ダウンタイム
自分の顔にメスを入れるのに、抵抗はなかった。
厚く腫れた瞼とまつ毛の上の皮膚のたるみ、低い鼻筋と団子鼻がコンプレックスだった。結菜は大学生三年の春休みを利用し、美容整形クリニックで二重瞼と鼻尖の形成手術を行った。
手術の翌日にゼミのメンバーでオンライン飲み会をしようと誘われたが、風邪気味で声が出ないと、寝込んでいるウサギのLINEスタンプを送った。
「熱はあるの?」
「熱もないし、大丈夫だよ」
「食べるもの、ある?」
その頃、日本国内は新型コロナウイルス感染リスクを回避する動きが強まっていた。企業へのインターンの参加も中止となり、学生課の窓口も休みになった。就職活動をストップせざるをえなかったメンバーは、ライン上で心配をしてくれたものの、誰一人結菜の部屋に見舞いに来る者はいなかった。
「実家から食べ物送ってもらったよ」
「風邪治ったら、オンライン飲みしようね」
「足りないものがあったらラインして」
手術期間中に、誰にも会わないでいられるのが、幸いだった。大学が再開したあとでも、新型コロナウイルス感染への予防と、花粉症対策だと言えば、マスクをし続けられる。
美容整形クリニックは、二十歳以上は保護者の同意書は不要だ。野菜や米を送ってくれる母親には、美容整形の話はしてはいない。親からもらった身体に保険適用外の金額で施術を施すのは、勇気が必要だった。二重形成のため、両瞼の皮膚を全切開で、費用は三十万円。
思い切って手術申込書にサインをした時は、さすがに手が震えた。
大学一年から都内のシティホテルの結婚式や宴会場でアルバイトをしている。テーブルセッティングから料理や飲み物の提供、後片付けまで、土日や平日の夜にシフトを組んでもらっている。
ブライダルは子供の頃から憧れていた。
ディズニーのプリンセスシリーズが好きで、教会で結婚式を挙げる新郎新婦に憧れた。自分も将来この世界に携わりたい。
その願いは割とすぐに叶った。
年の離れた従姉妹の結婚式にフラワーガールとして招待された。新郎の親戚の女の子と貸衣装屋のドレスを着て、新婦の前を歩いた。マーガレットで作った花冠を頭に乗せられた瞬間の感動を、今でも覚えている。
ウェディングベールを下ろした従姉妹が歩くバージンロードを、結菜は女の子と一緒に薔薇の花びらで清めた。
式場のカメラマンが、近距離で結菜と女の子を撮影した。母親は新郎新婦の邪魔にならない距離を保って、結菜をデジタルカメラで撮影した。
赤やピンク色の花びらが舞う中、フラッシュが打ち上げ花火のように煌めいていた。結菜はドレスの裾を踏まないように、聖歌隊の元へ歩み寄った。
数日後、従姉妹から送られてきたアルバムには、もう一人の女の子の満面の笑みが輝いていた。結菜の写真は花冠の花が一部切れていた。
女の子の大きな目の上には、くっきりとした二重瞼が刻まれていた。
続く
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