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辺りに沈殿している淀んだ空気を取り除くかのように、窓から入り込んできた風が、部屋の中を静かに通り抜ける。
一輝は息を吐き出し、足の踏み場を探しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……。もう、こんな時間か……」
つぶやくように言う。壁にかかった時計の針は、午後4時を示していた。
思えば、朝から何も食べずにこうしてあちこちを引っかき回していたわけだが、『今日中に家の中の物を全て捨てる』という目標は、まだ半分も進んでいない。
分別しながら片づけているから、というのももちろんあるのだろうが、出てくる物をいちいち全部確認している、その所作そもそもが時間を食っている1番の原因だろう。
――もし、今。ナズナが傍でこの光景を見ていたとしたら、笑うだろうか。
どうせ全部捨てるつもりなら、見ないで捨てた方がいいですよ。そうでないと、気持ちが鈍って、捨てられなくなっちゃいますよー、と。
あの、やさしい、大好きな、笑顔で。
一輝は床に散乱している物たちを避けながら、つま先立ちで本棚に近づいて、その上に飾ってあった写真立てに、そっと手を伸ばした。
1年ほど前、ふたりで海に行った時の写真だ。その時の記憶が、鮮明によみがえる。
あの日、一輝はナズナにプロポーズをし、ナズナは泣いて喜んでくれた。
そんな彼女の姿を見て、一輝は、これから先、何があっても彼女を守り抜くと、心に誓った。
そして、ふたりの未来は、きっと素晴らしく、幸せなものになるだろうと確信し、疑わなかった。
「…………」
唇を噛む。
ガラス越しに微笑んでいるナズナは、相変わらず、『悪意』という言葉をまるで知らないかのような、澄んだ瞳をしている。
ぐ、と指先に力を込めると、自分の顔が、うっすらとガラスに映った。
数ヶ月前に会社を辞め、毎日不規則な生活をしていた一輝は近頃ろくろく鏡を見なくなってしまったのだが、髪も髭も伸び、目は充血していた。
……本当に。とても、酷い顔をしていた。
目を瞑り、ナズナの写真を、写真立てごと無造作にゴミ袋に詰め込む。
これ以上、自分の悪意を、彼女に晒したくはなかった。
……この片づけが、すべて終わったら。
一輝は、『人間ではなくなる』のだから。
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