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正式な呼び名、というのはおそらく存在しないのだろうが、界隈では、彼女たちは『ゼロ』と呼ばれていた。
『価値がない』という意味なのか、『存在するに値しない』という意味なのか。――いずれにせよ、侮蔑を含んだ表現に違いなかった。
とはいえ、彼女たちと人間たちは、表立って明確に憎み合っているわけでも、ましてや戦争をしているわけでもなかった。
共に生活をし、街中では普通に顔を合わせ、会話だって、普通にする。
肩と肩とがぶつかり合えば互いに謝り合うし、電車の席がひとつしか空いていなければ、互いに譲り合いもする。
……では、ゼロとは、いったいどういう存在なのか。
一輝はナズナと出逢うより少し前、当時高校3年生の時、友人の雅人と学食で向かい合いながら、「結局、ゼロってのはなんなんだろうな」と話し合った事があった。
「……見た目的にも中身的にも、どう見ても俺らと同じ『人間』なのに、あいつらは差別を受けてる。
表立って指を差す事はなくても、みんなどこかで距離をおいてる。おかしくねえ?」
一輝がカレーをスプーンですくいながら言うと、雅人は眉を寄せた。
「……おまえ、相変わらず本当に無知だな。ネットとか見ないのか」
「ネットはウソばかりだから信用するな、って書いてあったからな。だから俺は自分の目で見て納得したものしか信じない」
「ご立派。ちなみにその『ネットはウソばかり理論』は、どこで読んだんだ」
「ネットで」
「……馬鹿」雅人が苦笑する。そのまま雅人はしばらく考えるような素振りを見せてから、一輝に説明をしてくれた。
ゼロとは、いわゆる『人権』を持っていないやつらの総称なのだ、と雅人は言った。
つまり、やつらはこの国に、『人間』として認められていないのだ、と。
「馬鹿な」一輝は、自身の顔が歪むのを感じた。「そんなの、初めて聞いたぞ」
持っていた紙コップが、ぺこ、とへこむ。しかし雅人は、「うそじゃない」とからあげをつついた。
「一輝に人権があるのは、一輝の父さん母さんが、おまえが生まれた時に相応の大金を払ったからであって、ヒトの全員が人権を持ってるってわけじゃないんだよ」
「なんでそんな大事な事、授業で習わないんだよ。……だいたい親父もお袋も、そんな事1度だって俺に教えてくれた事ねえぞ」
声を荒げると、雅人は人差し指を立てた。
小声で、「馬鹿」と言い、一輝に顔を近づけてくる。
「……そんなの明確に教えたら、それこそ明確な差別に繋がる。ゼロである事を隠しているやつも多いし、授業でやるわけがないだろ。
『ゼロについては、はっきりとは教えないけれど、そういうやつらがいるって事は、成長する中で、なんとなく察してくださいね』って事」
「子どもの頃、赤ちゃんがどうやったら出来るのか教えてもらえないのと一緒か」
「近いかもな」
雅人は、ゆるくうなずいた。
ゼロたちは、人権を持っていない。
そして、その中でも1番問題になるのは、『彼らは法に守られていない』という点である。
ようは、『人間は、彼らに対して何をしようが、法で裁かれる事はない』のだ。
もちろん、人間は普通、倫理観や道徳心といったものを持っているので、例えばいきなり『相手がゼロなら、殺しても罪には問われません』と言われたところで、突然殺めたりする事はないだろう。
けれど、『それが、いつ起きても、おかしくはない』。ゼロたちは、そういった世界で生きている。
雅人は、ゼロについて淡々と語り、「……そうなると、もちろん『逆』も恐いって事だ」と続けた。
「……ゼロたちは、法に守られていない。逆に言えば、何をどんなに頑張っていたとしても、嫌がらせをされる時はされるし、それに対して嫌だとも言えない。
殺されても、犯されても、文句は言えない。
それを悟り、自暴自棄になって、犯罪に手を染めるゼロも少なくないんだ。もう、好き勝手生きてしまえ、ってな」
「ゼロになってしまったら、人権を買う事は、もう出来ないのか?」
「出来るだろうけれど、その権利を買うのにとんでもない額をふっかけられるのは、目に見えてる。だって相手は、『何をしたってかまわない、ゼロ』なんだから。
そうなると、そのカネを用意するより先に『壊れて』しまうやつの方が多そうだろ」
だからこそ、人間とゼロは、一緒に生活しつつも、互いが互いに、どこか距離を置いて、牽制しあっている。
この国では、むしろそれが『正しい状況』なのかもな、と、雅人は悲しげに、力なく笑った。
あの時の雅人の表情は、未だに一輝の脳裏の片隅にこびりついていて、以後離れる事はなかった。
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