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雅人が『ゼロ』だという事は、薄々ではあるが、一輝も感づいていた。
あの学食での口調は、それこそ『自分の事』を話しているみたいだったし、普通の人間ならば、ゼロに関してあそこまで詳しくはないだろう、と。
だから、雅人からナズナを紹介された時も、ナズナがゼロだと知った時も、一輝は特別驚かなかった。
ただ、嬉しかった。
自分は人間だが、人間として、信用を受け、雅人やナズナと仲良くなる事が出来たのだ、と。
「……ただ。その『信用』も、俺がこの手で壊しちまった。
……ナズナを、守る事が、出来なかった」
まるで放心したように、うずくまる。そんな一輝の身体を、雅人は大きく揺すった。
「そんな事はない。ナズナは、とても幸せだった。
俺も、おまえに逢えて、本当に幸せだと思っている。
だから……頼む……! 馬鹿な事は、やめてくれ!」
雅人の必死な声は、聴こえてはいた。……けれど、本当の意味では、まるで聴こえてなどいなかった。
一輝の頭の中は、今、『これから』の事でいっぱいだった。
ナズナが死んでから、一輝は、その犯人を殺す事のみを目的とし、生きてきた。
働きながら、その隙間時間を縫い、合法的に、時には非合法的に、犯人の居場所を捜した。
ある程度金が貯まった頃、一輝はすっぱりと会社を辞め、そのあとは、毎日毎日、犯人を追いかけた。
そして――ようやく、見つけたのだ。
「……当時、ナズナと同じ大学に通っていた男だ。今も、この近くに住んでいて、のうのうと生きている」
「……やめろ」
「殺す方法は、何にしようか、って、ずっと考えていたんだけどな。やっぱり、同じ苦しみを味わわせてやるのが、1番いいだろ。だから、初めて銃を買った」
「やめろ……一輝っ!」
雅人が、大声を出す。そのまま、捲し立てるように、張り上げた。
「さっき、自分で言っていただろう! ナズナを殺した犯人は、本当に『人間』なのかよ、って!
もしおまえが罪を犯したら、それこそ、おまえも『そっち側』になるって事になるんだぞ!
おまえは、『人間』だ! ナズナも、俺も、そんな事して欲しいなんて望んでいない!」
息を切らしながら叫ぶ雅人の声が、一輝の頭の中で反響する。
やがて、一輝は――静かに、『笑った』。
「……なあ、雅人。おまえ最近、ネットで、大きな買い物をしただろ。
『ずっと欲しかったもの』を、買ったんじゃないのか?」
その言葉に、雅人は、面食らったように、動きを停止させた。おそらく、いきなりのその質問の意味が、分からなかったのだろう。
ただ、思考を巡らせるように、目を動かして――やがて雅人は、「……、まさか」と目を見開いた。
「……あれは、一輝が、『売った』のか……?」
動揺している雅人に、一輝は、ゆるくうなずいた。
――一輝は、もうすぐ、罪を犯す。
そして、その『罪』こそ、一輝がこの1年間ずっと目指してきたものであり、終着駅であり、生きる意味だった。
その先は、『ない』。
だから一輝は、身の回りのものを全て捨て、そして最後に、『今もっとも幸せになって欲しい相手』に、『もう自分にはいらなくなった、けれどその相手にとってはとても大切で、必要なもの』を売ったのだ。
全ての想いを、乗せて。
「……雅人」
友人の名を呼ぶ。
そして、「『人権』があれば、きっと、少しは生きやすくなるはずだから」と続け、もう1度、笑って見せた。
――一輝はこれから、人間を殺す。
けれど、倫理観も、道徳心も。一輝にはもう、必要なくなった。
なぜなら、一輝は。
所詮、『人間』ではないのだから。
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