第二話 魔女の遺跡

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第二話 魔女の遺跡

     野菜売りのレグ・ミナが、息子ファバの件で女占い師ゲルエイ・ドゥに相談を持ち掛けた日より、遡ること一週間。  宴の月の第二十七、大地の日の夕方。  騎士学院の校舎から、似たような格好の若者たちが、たくさん吐き出されてきた。学院での一日が終わり、家に帰るところなのだ。  学生である彼らは、まだ一人前の騎士ではないが、一応、鎧と剣を身につけている。正式な騎士鎧と比べたら貧弱な装備だが、それでも、誰が見ても「将来は立派な騎士として活躍するはずの若者」とわかるような外見をしていた。  ファバ・ミナも、そんな鎧姿の少年たちの一人だったが……。騎士学院の建物を出たところで、後ろからの声に呼び止められた。 「よう、ファバ! そんなに急いで、どこへ行く?」  聞き慣れた声だ。あまり気が進まないが、無視するわけにもいかず、ファバは振り返る。 「やあ、みんな」  適当な言葉を口にするファバ。彼を呼び止めたのは、三人の級友だった。  がっしりとした体つきのリーダー格と、これで騎士になれるのかというくらいヒョロリと痩せた仲間と、体つきは中肉中背だが性格的に腰巾着な子分。  フィリウス・ラテスと、グラーチ・シーンと、ブラン・ディーリ。  声から予想した通りの三人だった。それを確認してから、ファバは、先ほどの質問に答える。 「僕は、普通に家へ帰るところだよ。特に用事がないなら、まっすぐ帰るべきだから……」  そう言いながらも、ファバは思う。  この三人につかまったということは、どうせ素直に帰らせてはもらえないのだろうな、と。  ファバも含めた四人は、仲良し四人組として、周りの目には映っているかもしれない。だが、それは事実とは異なっており、むしろファバは、フィリウスたち三人を苦手にしているくらいだった。  そもそもファバは、野菜売りの家に生まれた庶民であり、厳しい入学試験を経て騎士学院に入ってきた一般組だ。一方、フィリウスとグラーチとブランの三人は、他の多くの学生たちと同様に騎士階級の人間であり、その身分ゆえに入学を許された者たちだった。  四人一緒に行動している時でも、ファバは生まれも育ちも違うということで、他の三人から見下(みくだ)されることが多い。一般組が騎士の子弟と行動を共にすれば、ある意味、自然な話だろう。だから一般組の生徒たちは、一般組同士で固まることが多いのだが……。  クラスの中でファバは、他の一般組とも馴染めないでいた。自分は一般組の生徒たちともどこか違う、という感覚が常に心の中にあったのだ。  ファバだって、他の一般組と同じく、実技も筆記も優秀だ。だが、何かが足りない……。最初はわからなかったが、しばらく騎士学院で過ごすうちに、彼は気づいた。自分には強靭な意志というものが欠けているのだ、と。  最近のファバは「騎士に必要なのは、剣の腕前でも明晰な頭脳でもなく、強い精神力ではないだろうか」と考えるようになっていた。そして、それこそが自分に足りないポイントだと、はっきり自覚していた。  父親の願望に従って騎士学院に入ってきたファバとは違い、他の一般組は「絶対に騎士になりたい!」という強い気持ちを持っている。だから、たとえ騎士の家柄の者から馬鹿にされようが虐げられようが、一向に意に介さないように見えた。何かあっても、彼らは「あんな連中に構っている暇はない」と言わんばかりに、ひたすら勉学に励むのだった。  その点、ファバは違う。良く言えばおとなしい、悪く言えば弱気な性格のため、騎士階級の者から頼まれたり誘われたりしたら、なかなか断れない。そうこうしているうちに、いつのまにか、フィリウスたちと行動を共にするようになっていた。  そして今日も、帰り際に、いつもの三人に絡まれたわけで……。 「ああ、家に帰るのか。じゃあ早く帰れ」  フィリウスの口から飛び出したのは、ファバの予想とは全く逆の言葉だった。  だがフィリウスも、その後ろの二人も、何やら企んでいるようで、ニヤニヤしている。  本当に自分は、あっさり解放してもらえるのだろうか……。ファバが警戒していると、フィリウスが、まるでオマケのような軽い感じで、言葉を付け加えた。 「でも、その代わり……。今晩、俺たちに付き合えよ」  続いて、 「フィリウスが誘っているのだから、断ったりしないよな? 僕たちと遊ぶよな?」 「フィリウス様の話を断るなんて、そんな大それた真似、ファバには出来ないだろう?」  グラーチとブランも、念を押すようなことを言い出す。  しかし二人の言葉は、ファバの耳には入っていなかった。フィリウスの「今晩、付き合えよ」という台詞を聞いた途端、ファバは色々と考えてしまったからだ。「楽しいところへ連れていってもらえるかもしれない」という想像で、ファバの頭の中はバラ色になっていたのだ。  ファバが以前にフィリウス自身から聞かされた話と、級友たちの噂話とを合わせると……。  フィリウスの家は、サウザの街で代々続く騎士の名門らしい。そのため、父親から「騎士は日頃から騎士として恥ずかしくない生活をするべきだ」と厳しく育てられてきた。そして家庭で窮屈な思いをしているせいか、フィリウスは、騎士学院で憂さ晴らしをしていた。弱い立場の者を虐げる、問題児だったのだ。もちろん、大きな問題を起こして家庭に報告されれば、厳重に叱責されることになるから、そうならない程度に加減もしているようだった。  そんなフィリウスが、弱い者いじめとは別に、少し前から始めた息抜きがある。  夜遊びだった。  それも、子供の夜遊びではない。大人の夜遊びだ。まだ騎士学院の学生という身分でありながら、大人が通うような夜の店に、頻繁に出入りしているのだ。  普通ならば子供が入ったら相手にされず、むしろ追い出されるような店でも、フィリウスは「騎士の名門の家柄」というステータスのおかげで、一人前の大人と同じように扱ってもらえる――遊ばせてもらえる――のだという。  この習慣を父親に知られた時、フィリウスは当然のように、こっぴどく叱られたのだが……。 「俺は、あなたの若い頃に倣っているだけです。俺が尊敬する騎士である、あなた自身の行動に」  そのようにフィリウスが反論したら、父親は黙ってしまったのだという。  フィリウスの父親アリカム・ラテスは現在、都市警備騎士団で隊長職をやっており、騎士団の中では真面目な堅物として通っている。しかし若い頃は『堅物』とは真逆(まぎゃく)であり、むしろプレイボーイと言われていたそうだ。  騎士学院に通っていた少年時代も、アリカムは、かなり遊び歩いていたが、それでも大人たちの受けは良かった。遊んで怠けているようには思われず、むしろ「学ぶときは学び、遊ぶときは遊ぶという、切り替えの出来る人間」と評価されていたのだ。  騎士団に入ってからもアリカムは、職場から離れたプライベートでは、女遊びが激しかったらしい。夜の酒場で知り合った若い娘を娶ることになったのも、その一例だろう。  フィリウスは、両親の年齢がかなり離れていることから色々と辿って、こうした事情をいくらか探り出している。それを持ち出すことでフィリウスは、自分の夜遊びを父親に黙認させたのだった。  この話を聞いて、ファバが最も興味を持ったのは、フィリウスの両親の出会いのエピソードだ。ファバは「夜の街には男女の出会いがある」というイメージを持ってしまったのだ。特に「夜の街で知り合うような女性が相手なら、騎士というだけでモテるのではないか」と考えてしまった。  おとなしいファバだが、思春期の少年なので、色恋には人並みの興味がある。もちろん騎士学院には、貴族の息子だけでなく娘も存在しているが、彼女たちは一般組の男なんて相手にするはずもなかった。また、一般組の女子たちは「男女交際なんて時間の無駄」という態度だから、これもファバと恋愛関係に発展する可能性は皆無だ。  そんな自分でも、夜の街ならば、騎士学院に通うというだけでアドバンテージになり、女の子が寄ってくるかもしれない……。ファバは、そんなふうに夢想することもあったので、フィリウスの夜遊びの話を、いつも羨ましく思いながら聞いていた。  そう。  まだファバは、フィリウスの夜遊びには、誘ってもらったことがなかったのだ。  これまでフィリウスは、一人で夜の店に出向くことや、グラーチとブランを連れて三人で行くことはあっても、庶民のファバを同行させることはなかった。  しかし。  今晩、ようやく連れていってもらえる……!  ファバは、思わず頬が緩むのを感じた。 「今晩……。うん、わかった。フィリウスが誘ってくれるなら、僕も行くよ。うちは夜寝るのが早いから、本当はダメなんだけど……」  あまり「喜んで!」と飛びつくような態度を見せるのも、少し照れくさい。だからファバは「気が進まないが」という感じを装った。ファバの家は、野菜売りで生計を立てているせいか、一般的な家庭よりも早寝早起きだ。それを口実として述べてみたのだった。 「いいじゃねえか、ファバ。親父が早く寝るなら、寝静まった後でこっそり抜け出すのも、かえって簡単だろう?」 「そうだね。フィリウスの言う通りかもしれない」  ファバの返事を聞いて、フィリウスも他の二人もニヤニヤしている。どう口で取り繕おうが、自分の本心は彼らに筒抜けらしい、とフィリウスは感じる。 「じゃあ、話は決まりだ。現地集合だぞ。今晩十時に『魔女の遺跡』に集まって……」 「えっ、現地集合?」  思わず聞き返すファバ。  そうした店には初めて行くのだから、ファバには、場所なんてわからないのだ。  これは困った。  いや、もしかすると、ここでファバが困惑する様子を見せたら、フィリウスたちの思う壺なのかもしれない。ファバだけ店に辿り着けずに迷子になる(さま)を笑おうという魂胆なのかもしれない……。  一瞬のうちに、ファバは、そんなことを考えた。  それに対して、フィリウスは、少し不思議そうな顔を見せる。 「あれ? ファバだって『魔女の遺跡』の場所くらい、知ってるよな? 有名な話だから」  いやいや、大人の世界では有名な店なのだとしても、そういうのに縁遠い自分には……。そこまで考えたところで、ファバは、ふと気がついた。確かに、先ほどのフィリウスの発言の中には、聞き覚えのある名前が出ていたことに。 「……え? 『魔女の遺跡』だって?」  聞き返すファバに対して、グラーチとブランが即座に答える。 「そう、あの『魔女の遺跡』だ。南の街外れにある廃墟だ」 「お前だって、耳にしたことくらいあるだろう。心霊スポットとして、有名な場所だ」  ファバは、ようやく理解した。  これはフィリウスの『大人の夜遊び』とは違う、ということを。  フィリウスたちが今晩やろうとしているのは、ただの肝試しだ、ということを。  落胆の色がファバの顔に出てしまったようで、ブランが指摘する。 「ファバ、もしかして……。フィリウス様の馴染みの店に連れていってもらえる、とでも思っていたのか?」  肯定も否定も出来ないファバを見て。  三人は「もう我慢できない」という態度でゲラゲラと笑いだす。  どうやら、最初からファバが誤解することも想定した上で、持ちかけた話だったようだ。 ――――――――――――  夜。  言われた通りに、こっそりファバは家を抜け出して、約束した場所へと向かう。  通称『魔女の遺跡』。  街の南端にある、半壊した屋敷の跡地だ。  この『魔女の遺跡』に関する逸話を、ファバは、グラーチから何度か聞かされていた。  グラーチもフィリウスのように騎士階級の人間だが、グラーチの父親ポリトゥスは騎士団ではなく、街の行政府で働いている。街の政治に関する仕事であるため、グラーチは「僕の父は騎士団よりも偉い!」と思っているらしい。  そんな父親の仕事の関係上、グラーチは四人の中で一番『魔女の遺跡』にも詳しいのだった。  かつて、そこには、魔法使いの女が一人で住んでいた。彼女はサウザの都市行政府から委託されて、自宅で魔法研究に打ち込んでいた。近くに他の家も店もないような街外れに居を構えていたのも、研究所という側面があったかららしい。  ほとんど自室にこもりきりで研究に打ち込む彼女には、近寄りがたい雰囲気もあったため、街の人々からは『魔女』という通り名で呼ばれていた。『魔女』が家を出る時は、食料品などの生活必需品を買いに行く時と、研究報告のために行政府へ出向く時だけだったのだが……。  ある年の春。  その『研究報告』の頻度が、以前とは比較にならないレベルに跳ね上がった。  行政府に出入りする人々は、彼女について色々と噂する。 「なんだか、大変な研究が一つ、完成間近なようだぞ」 「いや、そうでもないらしい。研究自体は難しく、頻繁な報告の内容は、毎回あまり変化ないという話だ」 「では、なぜ、あんなに足繁く通うようになったのだ?」 「どうやら、目当ての男性がいるらしいぞ。その男性の顔を見たい一心で、通いつめているという噂だ」 「おいおい、あの『魔女』が色恋沙汰か? 今まで、そんな話とは無縁だったのに……」 「三十を大きく超えた今頃になって、ようやく色気づいたのだろう。しょせん『魔女』も女だったのさ」 「じゃあ『魔女』の研究成果も、あいつが独占するのかなあ」  その『魔女』の相手として噂された男性は、まだ二十代の、将来有望な若手役人だった。人当たりも良く、年上からも年下からも好かれる男だ。女性から告白されることもあったし、それで付き合うこともあったが、なぜか長続きしない。しかも、付き合う相手は年上ばかりのため、同僚からは『年上フェチ』と呼ばれることもあった。  今回、彼の名前が『魔女』の相手として挙がったのも、そんな彼の年上好みな恋愛遍歴が、一因だったのかもしれない。  ある時、酒の席で、同僚の一人が尋ねてみた。 「なあ、お前……。『魔女』ってどう思う?」 「はあ?」 「ほら、最近、噂になってるだろ? あの『魔女』が、お前を……」 「ああ、あの話なら……」  聞かれた『年上フェチ』は、少し嫌そうに答える。 「俺も最近『魔女』から熱い視線を感じるから、まんざら根も葉もない噂ってわけじゃなさそうだが……。でも、いくら俺が年上好きでも、さすがに『魔女』は相手したくないな」  彼に言わせると。  彼女の容姿に関しては、問題ない。今まで付き合った女たちの中には、ぽっちゃり女もいたし、スレンダーなタイプもいたが、それぞれに良さがあった。顔のルックスだって『魔女』は、特に可愛いわけではないが、別に不快な点もないから、十分に及第点だ。どうせ、どんな女でも、ベッドの中では、それなりに色っぽくなるのだから。女なんて、しょせん、そんなものだ。 「お前……」  彼の女性観に対して、同僚は少し呆れてしまうが、気づかずに『年上フェチ』は続ける。 「でも『魔女』はダメだな。あの性格というか、雰囲気というか……。ジメジメした暗い感じが、生理的に受け付けない。あれが相手では、さすがの俺でも、身も心も萎えてしまう」  人当たりの良い人物として通っているはずの『年上フェチ』の、思わぬ本音を聞いてしまった気がして、同僚は少し恐ろしくなった。酒の席での話として、全部、忘れようとも思った。  ところが、しばらくして。  また『魔女』の様子が変わった。行政府を訪れる頻度は変わらないのだが、見るからに「私は今、幸せです!」というオーラを身に纏うようになったのだ。  一方、相手とされていた『年上フェチ』の方には、特に変わった様子も見当たらない。人々は、では噂は間違っていたのか、『魔女』の相手は別人だったのか、などと思ったが……。  同僚が、また『年上フェチ』と飲みながら、酒の力を借りて直撃してみた。 「なあ、あの『魔女』の変化って何なんだ? 結局、お前、彼女の気持ちを受け入れたのか?」 「ああ、うん……」  最初は口ごもっていた『年上フェチ』だが、何杯も酒を重ねるうちに、逆に口は軽くなったらしい。 「まあ結局『食わず嫌いは良くない』ってことだ。『食ってみたら案外イケる』なんてもんじゃない。ありゃあ、今まで抱いた女の中でも、かなりの上物だよ」  ストレートな言い方だった。  だが同僚も、以前の会話があっただけに、今度は驚いたり呆れたりはしない。黙って耳を傾ける。 「あいつ、本当に今まで研究一筋だったみたいで、あの年齢まで男を知らなかったんだ。若い生娘のような初々しさと、よく熟れた果実のような年増女の魅力……。両方を兼ね備えた、最高の抱き心地だったぜ」 「じゃあ、お前、あの『魔女』と真剣な付き合いを……」 「そんなわけあるか」  それまではニヤけた顔をしていたのに、『年上フェチ』は表情を一変させて、言い切った。 「あくまでも、ベッドの中だけの付き合いだ。しかも俺、あいつを抱いた直後、いつも賢者タイムになるからなあ」 「賢者タイム……?」 「そう。ほら、ああいう行為の直後って、急に気持ちが冷める瞬間があるだろう? シャワーを浴びながら、いつも思うんだ。なんで俺『魔女』なんか抱いているんだろう、って」  それから、さも一般論であるかのように、付け加える。 「こんな感じで直後に冷めてしまうのか、あるいは逆に、あたたかい気持ちで心が満たされるのか……。行為の後の気持ちって、相手に対する愛情の有無を示す、一番の物差しだよな」  同意を求められても、同僚には理解できない感情だった。残念ながら、まだ彼には、女性経験がなかったのだから。  それでも、わからないながらに心配になって、彼は『年上フェチ』に対して忠告する。 「大丈夫なのか? だいたい『魔女』に限らず、お前の相手は年上ばかりなのだから……。あんまり軽い気持ちで相手していると、いつか刺されるぞ。それこそ年増女なら、将来も考えた真剣な付き合いが必要だろう」 「おいおい、心配するなよ。さすがの俺も、シャワーからベッドに戻ったら、気持ちは切り替えるさ。あいつには俺の思ったことなんて見せないどころか、俺自体が本当に気分一新。場合によっては、シャワー中の考えなんて早くも頭から消えて、二回戦に突入することもあるくらいだぜ」 「いやいや、そんな話じゃなくて、真剣に将来を……」 「それも平気さ。どうせ『魔女』の方だって、今は男を知ったばかりで、快楽に溺れているだけだろう。それが恋愛感情とは違うことくらい、そのうち理解できるはずだ。ああ見えて『魔女』だって、大人の女性だからな」  そう言って笑う『年上フェチ』だったが……。  それから二ヶ月の後。  ある朝『魔女』が、行政府に魔法通信を送りつけてきた。研究成果を実演してみせるから、なるべく多くの人を集めて欲しい、とのことだった。行政府まで直接『魔女』が報告に出向くのではなく、屋敷からの魔法通信という形になったのも、実演のための準備を彼女の屋敷で整えたからだという。  そして。  彼女の要望通り、大会議室に、多くの人々が集まった。その中には、彼女と噂になった『年上フェチ』や、彼を心配する同僚の姿もあった。  大会議室に設置された魔法通信装置を通して、リアルタイムで『魔女』の屋敷から映像が送られてきて、正面の大スクリーンに映し出される。  映像の中の『魔女』は、白装束で身を固めていた。黒っぽい服装を好む彼女にしては、珍しい格好だ。違和感を覚える人々もいる中で、まず彼女は形式的な挨拶をしてから、今回の研究課題に関して、こう切り出した。 「私が開発したのは、魔術を応用した呪術です。恨みを増幅して相手を呪い殺すような、新しい魔法です」  会議室の面々がざわつく。行政府に委託されて研究するようなテーマではないからだ。『魔女』が私的に研究した魔法だろうし、わざわざ行政府に報告するような内容でもないと思われた。  人々の動揺は無視するかのように、彼女のプレゼンテーションは続く。 「まず、人形を用意します。呪うべき相手の代替品です」  そう言って彼女が持ち出したのは、木彫りの人形。土産物屋でも売っているような、ありふれた代物(シロモノ)だ。 「ここに、強い恨みを込めます。具体例として、今回の私の場合、一人の人間を思い浮かべます。私の心の純情と体の純潔を踏みにじり、私を単なる遊び相手として捨てた男……。この人形が彼だと思って、強く恨み、呪います」  その場の人々の視線が、ついつい『年上フェチ』に向いてしまう。彼は、なんとも居心地の悪そうな表情になっていた。 「この呪いを強くイメージしながら、次のように唱えます」  映像の中で『魔女』は、ひとつ大きく深呼吸してから、呪文のような文言を口にし始めた。 「私はあなたを呪います……。呪い殺してやります……。ウト・マレディチェーレ・ティービー……。エゴ・テ・ネコ……。アルデント・イーニェ・フォルティシマム……」  行政府には魔法を扱える者もいたし、自身は魔法を発動できなくても、魔法研究に間接的に携わる者もいた。だから会議室に集まった人々の中には、『魔女』の言葉の最後の部分「アルデント・イーニェ・フォルティシマム」が、超炎魔法カリディガの呪文詠唱であることに気づいた者も、結構いたらしい。  しかし、それがわかっても、何らかの対応をするには、間に合わなかった。  映像の中の『魔女』が、全身から火を吹いたのだ。たちまち火達磨となる『魔女』は、最期の言葉を告げる。 「さあ! これで呪いは完成した! 私がこの身を天に捧げることで、あなたも亡くなることが決まったのです! あと三日です! 三日のうちに、あなたも、きっと……」  魔法通信で『魔女』は、自身の焼身自殺を見せつける形になったのだ。当然、会議室は大騒ぎとなる。  映像の中で燃え盛る業火の音と、会議室に満ちた悲鳴に紛れて。  死に際の『魔女』の言葉をはっきり聞き取れた者は、少なかったという。  いくら『魔女』が「新しい魔法だ、呪いだ」と言い張っても、その『呪い』の成果が発揮されるまでは、誰も信じようとはしなかった。  失恋で頭のおかしくなった彼女が、人々の見守る中で焼身自殺を図り、見事成功した……。人々は最初、そう認識していた。  ところが。  彼女の自殺事件の二日後、呪いの標的とされている『年上フェチ』が、突然の心臓発作で急死した。  さらに。  その後、亡くなった『魔女』の屋敷を(おとず)れた者たちが――事情があって(たず)ねた場合であれ単なる野次馬根性で赴いた場合であれ――、事故や怪我といった災難に見舞われる、という事態が頻発した。  これも『魔女』の呪いなのではないか。死に際の怨念が屋敷に強く残っているために、最初に呪いの対象だった男だけではなく、そこに足を踏み入れただけでも、呪いが感染してしまうのではないか……。そんな噂が出回るまで、それほど時間はかからなかった。  こうして。  彼女の屋敷は『魔女の遺跡』と呼ばれるようになり、彼女の焼身自殺に伴って焼け落ちた部分もそのままに、今でも朽ちかけた姿を保っているのだった。    
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