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プロローグ
「ふう……」
少しだけ開いた妹の夏芽の部屋を覗いた。ベッドに腰掛けた彼女はぼんやりと二階の窓から見える風景を眺めている。明日は結婚式だと言うのに……。
寂しいはずだ。二十九年間も過ごしたこの部屋から出てゆくのだから……。
「よお! 荷物、全部詰めたのか?」
「……うん、詰めた……」
「忘れ物……すんなよ……荷物、宅配便、三時くらいにくるそうだから……」
「……うん、大丈夫……」
いつもなら、「変態っ」という言葉とともにクッションや枕が飛んできたのだが、今日は彼女のため息が聞こえてくるだけだ。
彼女の部屋に入る。
こんなに堂々と妹の部屋に入るなんて中一の夏までだったような気がする。
部屋を見渡す。
ぬいぐるみとクッションでピンク一色だった彼女の部屋には、もう荷造りの段ボール箱がところ狭しと積まれて、殺風景な部屋に変わっていた。
涙雨と言うのだろうか、一月の終わりだと言うのに雨が続いている。妹の複雑な心を表しているようだ。室内の暖房のせいで窓ガラスにできた露が涙のように滑り落ちた。
扉の右下の土壁が凹んでいる。夏芽が中三の頃、夏芽と喧嘩した時の俺のつま先の跡だ。あの後、つま先が痛いのを我慢していたら足の親指にヒビが入って、松葉杖の生活が続いた。俺の苦い思い出だ。
「なあ、夏芽……」
声が出なかった。いや、出なかったというよりなんと声をかけていいのか分からなかった。
「何……?」
ぼそっと夏芽が答えた。
「いや…………後でメールするよ……」
妹にメールするなんて、生まれて初めての事だ。
「口で言えば……?」
夏芽は表情も変えず、少し面倒くさそうに言った。本当は俺もそうしたかったけど……。
「うん…………後で……」
俺は左右に首を振って、夏芽の部屋を出た。
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