2人が本棚に入れています
本棚に追加
その昔
その昔、とある村でのことじゃった。男も女も二十歳になると、儀式に参加する。今でいう、「成人式」のようなものじゃな。だが、形は「成人式」でも意味は全く違うてたな。
それはな、村では二十歳になった男女から、ある一人を選ばなくてはならないという「掟」があったんじゃ。
ある一人を選ぶとは、どういう事か。
わしにとって、それは重くて悲しいことの始まりじゃった。
年によって二十歳になる男女が十人を超えるときもあれば、二人とか、またたった一人の時もあった。二十歳の者が一人もいない時もあった。この方がほとんどだったかもしれん。「選ぶ」には、五人以上の男女が成人を迎える時、という暗黙のルールがあった。公平を保つためだろうと思うかね?
それは違うんじゃ。あまりに人数が少なすぎると「選ぶ」とは言えないからじゃ。後付けの話じゃがな。
村で行われる「儀式」は、二十歳を迎える男女の中から村の今後の安寧を願って「代表」を選ぶのじゃ。いや、そう信じ込まされていた。
その「代表」は一生を村で終えなければならない。若き村長のような存在になって、村を見守るのじゃ。でもな、一生を村で過ごさなければならんことが「絶対」ということもなかったな。
というのは、毎年のように二十歳を迎える者が複数いたとすれば毎年「代表」が選ばれるわけじゃ。とすると、その前年の「代表」は新たな「代表」にその役目を引き継ぐことになる。そうすると、もう「代表」の役目はおしまい。ずっとそのまま、村にいてもよし、村から出ていくのもよし。自由となる。
本来、人は何処へ住もうと何処に行こうと自由であるのじゃが、この村では「儀式」が踏襲されてきたのじゃ。二十歳の者が複数いると分かったら、二十歳になる前にこっそり村を出ていく者が出てくるようになった。それは、誰にも止めれんことじゃった。そこまで強制することはできん、ということ。なんか中途半端な村の「掟」じゃな。
そんなんで、やがて村には「儀式」を執り行うことが出来んようになったんじゃろうなあ。
その昔は「掟」に従っていても不自由は感じんかったんじゃろう。もう、その昔は存在しなくなっていた。
なのに、わしは気づくことが出来んかった。
で、最後に選ばれたのがわしじゃ。さっきも言ったように、その時は最後だと思ってなかった。なんでわしが選ばれたんじゃろうと単純に思うていた。不細工で、要領が悪い人間やったしな。それでも、なんか役目が与えられたように思うて、嬉しかった。次の「村長」が選ばれるまでの中継ぎじゃったとしても二十歳のわしは舞い上がってたんじゃ。
わしの代から儀式が出来んようになるやろうと、わし以外の同期の者はみんな知っとったようじゃった。だから、いろいろ結託して、なんも知らんわしを選ぶようにしたのじゃろう。選ぶのは、神のお告げとか言うて、村の年配者が選ばれた印の紙を持ってくる。それも、今から思えば、怪しすぎるな。適当に、犠牲者の名前を書いて「村長」になったと祭り上げてるだけに違いないじゃろう。だが、世間知らずの一家に育ったわしは、素直に受け取ってたんやなあ。
その後、妻となるおなごは見つからんかった。そう、なんの取り得のないわしには、自力で見つけるには荷が重すぎた。「村長」やからといって、だれも妻にはなりたがらんし、仲介してくれる者もいなかった。つれない村の掟じゃのう。選ぶときは、持ち上げといて、後は知らんとな。
だから家族なしの独りもんじゃ。子供は当然におらん。わしの両親が亡くなってからは本当にひとりぼっちじゃ。そうそう、わしには兄弟もおらんかったしな。
もう、村にはほとんど人も残っておらん。過疎化が激しいてのう。いずれ村は無くなってしまうじゃろうなあ。
選ばれたのは運の尽き。それからやる気もなんも失せてしもうた。生きていくのに、必要なものはなんでも村で整えてくれた。将来の伴侶以外はな。仕事は村の「象徴」として生きること。それだけじゃったが…。
そんな「手当」もそろそろ尽きたようじゃ。人が余りおらんから仕方ないとも言えるが…。これからわしはどう生きていけばいいかのう。考える気力は少しは残っているみたいじゃな。
現代から取り残されたわしの人生。悲しくて、空しい。選ばれたが故の切なさじゃ。思えば村を無くすための「儀式」じゃなかろうか。穿ってみても遅いじゃろうが。
長々と書いてしもうたな。
わしの手紙、何処へ出そうかのう。
誰か読んでくれまいか…。
最初のコメントを投稿しよう!