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「安心してください。あなたの同類ですよ」
こちらに当てていた光を自分に向け暗視ゴーグルを外して男が顔を見せる。暗闇で自分の顔にライトを当てるのは普通怖がらせる場合だが一応安心させようとしているらしい。顔も見られた以上このまま逃げるよりも話を聞いたほうがいいだろう。
「あの、同類って」
「あなたも桜を見に来たんでしょ? 僕は夜桜管理組合のものです」
「管理組合?」
「組合と言ってももちろん公式なものじゃないですよ。あなたと同じように忍び込んだ身です」
「だとしたらそのライトは消したほうがいいんじゃないですか」
「大丈夫ですよ。この時間は警備員も来ませんし」
どうやら私よりもずっと内情に詳しいようだ。さっき見かけた男もそうだがどうやら忍び込みの常連がいるらしい。
「それでその、管理組合の人が何の用ですか?」
「あなたも桜を見に来たんでしょ?」
単刀直入に聞かれて少し怯むが他に応えようもないのでこくりとうなずく。
「毎年この時期になると深夜に忍び込んで夜桜の下で花見をしようとする人が沢山いましてね。僕たちはそういう人たちがうっかり警備員に見つかったりしないようにこうして回っているんです」
「はぁ」
だとすると私と同じような考えの人が相当数いるということか。自分で言うのもなんだが日本人の倫理観が心配だ。
「入口については誰かからお聞きになったのですか?」
「え? あ、いや。たまたま入りやすそうな場所を見つけて、先に入っていく人がいたからその真似をしただけです」
「そうですか。ネットとかに書かれていたら変更しないといけなかったのでそれはよかったです」
「じゃあもう行ってもいいですか? 警備員もいないということですし」
「それがですね。御苑の夜桜は大変人気でして、僕たちは場所取りの方の管理もさせていただいているんです」
「……場所取りってのはあのブルーシートを引くっていう」
「そうですそうです。まぁそんなの堂々とやられたら見つかっちゃいますから、僕たち組合が予約制で管理しているんです」
確かに人が多ければ場所取りが発生するのも当然か。
「……じゃあ一人で夜桜を楽しむのは難しということですか」
こんなことを考えるのは自分だけだと思っていた。これでは当初の目的が達成できない。
「あ、それは大丈夫です。というかあんまりワイワイやられても困るので指定されたいくつかの木のみで一組だけに提供しているんです」
御苑にはそこらじゅうに桜が咲いている。だから桜を見るだけならどこでも出来る。しかし厳しく管理された庭園なので昼間でも酒を飲んでの乱痴気騒ぎなど許されていない。純粋花見の場所なのだ。
「あのー、大きい広場みたいなとこにある傘みたいになってて中で花見が出来る桜はそこに含まれていますか?」
「福禄寿ですかね」
「そうですそうです」
「あれは大変人気の木でして、最短でも4年後になってしまいますが」
「4年!?」
思わず大きい声が出る。
「桜の季節は短いですからね。年間長くてもひと月ほどですからから。咲く前や散った後なら今年でも見れますけどそれじゃあ見てもしょうがないでしょ?」
「それはまぁそうですけど……でも4年って」
「それだけ魅力のある桜だということですよ。どうしても今すぐ見たいというならお金とかで予約者と交渉してみてはどうですか。仲介しますよ」
お金「とか」か。非公式なだけあって随分と明け透けなこと。
「……遠くから見る分には自由ですよね」
「そうですね。ただ予約者の視界に入らないくらいの距離でお願いしますよ。ここでは個人個人のマナーが大事ですから」
「分かりました。じゃあそうします」
「あ、今のうちに出口と深夜花見の注意点だけ伝えておきますね。この前堂々と門から出ていこうとした馬鹿がいましてね」
嫌味な笑顔を見せながら男が説明を始める。しかしその内容は私にとってはわりともうどうでもよくなっていた。
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