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おにいちゃんは惚れっぽい
おにいちゃんは惚れっぽくて困る。
わたしと二人で「なんでも屋」という仕事をしているのだけど、この前も墓参りの仕事を引き受けて代理で霊園に行ってお花を供えてお線香をあげてくるという、まあまあ簡単なお仕事をしてきたんだけど、そこで美少女に会って一発でまいっちゃったらしい。
いつもは私が行くんだけど、この時は私でないと無理な仕事が1つ入っちゃってて墓参りくらいなら、おにいちゃんでもいってこれると思って頼んだのが間違いだったかも。
だって、ちょっとお墓の周りを掃除してお花とお線香をあげて帰ってくるだけじゃない?私のほうは、メイクや着付けの仕事だったから、とてもじゃないけど、おにいちゃんには任せられないし、だいたい無理。
だからお墓に行ってもらったんだけど、まさか、そんなところで少女漫画みたいに出会い頭にぶつかって恋が始まるなんて思いもよらないじゃない。平日の昼間の霊園で、そんなことが起こるなんてありえないよね。
でも、そのありえないことが起こったらしい・・・
あの日、僕は妹に言われて大春山霊園に行った。天気も良くて墓参り日和っていうのは変だが、お盆でもお彼岸でもない、ただの平日の昼間だから人もいない。
空にはトンビが鳴きながら輪を描いているのどかな日だった。
僕はあんまり人づきあいや人と話すのが得意じゃないので、こういう仕事は割と気楽にできる。別に時間が決まっているわけでもないし。待ち合わせでもないから、時間を気にしなくてもいい。車を駐車場に止めて、依頼のお墓にたどり着くのに、あちこちさまよったけど、そんなことは言わなきゃわからないし、お墓の主だって怒ったりしないだろう。駐車場の隅っこにある水くみ場にある桶を借りて水を入れ、霊園に来る途中で買ってきたお花をもって、掃除道具や草が生えてたら抜くための道具や軍手の入ったかばんも持った。
大春山霊園は、とにかく広い。見渡す限りがお墓といってもいい。あんまり広いので、番地のように区画のナンバーが割り振られている。その区画に近い駐車場にある区画地図をみて見当を付けて歩いた。それでも山というか、なだらかな丘の続くところなので上ったり下りたりしながら10分くらいはかかって、やっと目指す区画についた。
それから依頼主のお墓をなんとか探し当て、お花を供えたりお線香をあげたり、もちろん掃除もした。お墓の写真も撮って、これでOKだな。そう思いながらぼちぼち歩いて、駐車場の隅っこにある水場に桶を返しにいくところだった。突然左手のほうから自転車が突っ込んできた。すんでのところで自転車がブレーキをかけてギリギリをかすめた感じだったけど、とっさに後ろに下がった拍子にバランスを崩してしりもちをついたのは僕のほうだった。桶が手から離れてがらんごろんと転がりながら残っていた水をぶちまけていく。
「あっ」
手をついた拍子に、落ちてた小石かなんかで手のひらを切って血が流れた。
自転車に乗っていたのはフリルたっぷりの真っ黒なドレスのようなのを着ていた女の子。なんとかハンドルを切って斜めになりながらも転んだりはしなかった。ブレーキの軋むキー――っという音と革靴と自転車のタイヤが地面をこする、ずざー――っていう音がやけに大きく聞こえた。
「だ、大丈夫ですか?」
しりもちをついた僕からは逆光で顔が良く見えないけど、自転車のスタンドを立てて駆け寄ってきた。差し出された手を握ろうとして、はっとひっこめた。血が流れているのに気が付いたからというのもあるけど、女の子に起こされるなんてみっともないじゃないか。
「あの、お怪我は・・・」
ちょっとかすれたようなハスキーボイスで声で心配そうに言われて、ぼーーっとしていた僕も慌てて立ち上がった。
「あ、だ、大丈夫です。」
そういって手を振った。ケガした方の手を何で振るんだ。わざわざ見せびらかしてんのか。自分で自分をののしりつつ、手を隠す。
「手から血が・・・、あの、すみませんっ。よく見てなくて。急いでいたものですからっっ。」
「だ、大丈夫ですから。こんな傷、たいしたことないです。なめておけば治ります。平気ですから。」
実際、血が出ている割には大したことはなさそうだった。ちょっとジンジンするのは気のせいだ。
「だめです。そこで傷を洗わないとばい菌が入って化膿しますから。」
女の子に手首をつかまれてぐいぐい引っ張られるように、桶のおいてある水くみ場に連れていかれてそこの水道で手の平をざーっと水で流した。女の子に手を引っ張られるなんて前代未聞。妹が見てたらビックリするに違いない。
「あ・・・っ」
思ったより、水が強く当たったせいか思わず声を出してしまった。うわ、恥ずかしい。こんな傷くらいで声上げるなんて。しかもこんなかわいい女の子の前で。
「しみます?」
心配そうにのぞき込んでくる女の子の長いまつ毛のうるんだような瞳に見つめられるなんて、今までにあったろうか。どぎまぎしてしまって、声がでない。
「ちょっと待ってくださいね。」
女の子がななめ掛けしていた黒いバッグから白いハンカチを出して、それで僕の手のひらをぎゅっと縛った。
「これでいいと思いますけど、いま傷テープの持ち合わせがないので後でちゃんと消毒してください。ごめんなさい、急いでいるんでこれで失礼します。」
そういって、ぺこっと頭を下げたと思ったら再び自転車に乗ってあっという間に走り去っていってしまった。
そのあと、自分も自動車に乗って家に戻ったが、先に帰っていた妹が目ざとく手に縛ってあるハンカチを見て、あれこれ聞いてきた。最初はごまかすつもりだったが、だんだんごまかしきれなくなって洗いざらい話してしまった。
こちらもひと仕事終わって、ちょっと一服しているころに家に帰ってきたおにいちゃんが「また」いつもの誰かに惚れちゃった状態で戻ってきたから、すぐわかった。しかもご丁寧に手が白いハンカチで縛ってあって、大事そうにしているし。最初はなかなか口を割らなかったんだけど、ご飯を食べて一緒にビールを飲んでガードが甘くなったところで、鎌をかけてやったらすぐ白状したし。
え?どんな鎌をかけたかって?
「どんな女の子?」
それだけ。
「え、いや、美人でカワイイ・・・」
「ふーーん。その女の子にハンカチ借りたのねー。」
「なんだよ、にやにやして。気持ち悪いなあ。」
「どうせ名前も知らないんでしょ。」
「名前は・・・しらとりれい」
「お、珍しい。おにいちゃんが女の子の名前を覚えるとは。」
「馬鹿にすんなよ。ま、俺だってやるときゃやるんだよ。」
「へーー。明日雨にならなきゃいいよねー。おにいちゃんが女の子に名前を聞くなんて。」
「あー・・・別に聞いたわけじゃなくてカバンにイニシャルっていうかローマ字で書いてあったから。」
「えー、今どきなかなか危険なことをする女の子だね。」
「なんで危険なんだよ。」
「そりゃー自分の名前を見ず知らずに知られるわけじゃん」
さすがに『おにいちゃんみたいなやつに』とは妹の口からは言えなかったけど。普通はやらないから、それってひょっとしたら本名じゃないかも・・・っていうのも、お兄ちゃんの幸せな妄想を邪魔するのも忍びなくてほっておくことにした。どうせまた会うことなんてないだろうし。
あとは、おにいちゃんのほうからベラベラと墓参りの顛末を聞かされたってわけ。ゴスロリなんていう言葉をおにいちゃんが知ってるわけもなく、私が教えてあげた。髪型も「おかっぱ」じゃなくて「ボブ」って言ってねって、くどいくらい念を押した。ネットで拾ったゴスロリ衣装の画像をみせてみたら、こんな服だったっていうから。それにしても、あんなところにゴスロリを着て自転車で走る女の子なんて、まさかね。まさかと思うんだけど・・・
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