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スチールキャビネットの影で、何かがごそりと動く気配を感じたが、僕は気付かなかった事にした。だいたいお化けだの幽霊だの妖怪だのもののけといった類いのものは、実在しないのだ。実在しないからこそ、そういうものが出てくる小説や映画はたくさん作られる。自分が見たことがない未知のものに対して、見たい、知りたいといった欲求が──
「ひとつ、人ならざるものは……」
「ひぃいっ!」
突如、どこからともなく聞こえてきた女性の声に、僕は情けない悲鳴を上げてしまった。
いやいやいやいや。気のせいだ。この世に幽霊など──
「ふたつ、不思議な広小路
みっつ、見目良い神の子の
よっつ、夜明けを奪いたもう」
なんだなんだなんだ……数え唄?
もしや、この歌詞のなかに、久我亮衛失踪に関するヒントが……?
それより、歌声が怖い。すごく怖い。八つ墓村か。犬神家か。貞子か。貞子が歌ってるのか。
いやいやいやいやいや。怖いと思うから怖いのだ。ここはひとまず冷静に、歌の意味を推理しようじゃないか。
「この歌は私のオリジナルだ」
「ヒ━━━━ッ!!」
スチールキャビネットの影から半身を覗かせた貞子が、隈に縁取られたぎょろりとした目で僕をじっと睨み付けていた。
「オリジナルなので、久我亮衛の失踪とは何の関係もない、微塵も」
「ヒッ……ヒィッ………」
声が出ない。きっと金縛りだ。
「宮本悠真だな?」
名前を知られている、呪われる!!
「あなたの祖父の父親の妹の三男の従兄弟から、あなたを紹介してもらった」
呪いのディテールが細かい!!
「久我亮衛を知っているな?」
………あ。
そうだ、僕は失踪したとかいう遠い遠い親戚の久我亮衛を探す為に、ここに来たのだ。訳の解らない幽霊に呪われている場合ではない。
すうっと音もなく、貞子(仮)がキャビネットの影から全身を現した。白いワンピースでないのが、今や逆に残念だ。残念だと言ってやる。
「私の名前は明智梨果。貞子ではない」
「えっ……」
「呪いをかける事も出来ない。残念だったな」
い、いえ、あの………。
「とりあえず今回の件を説明しよう。適当に座ってくれ」
貞──じゃなくて、明智さんは、2つずつ向かい合っている事務机のうちのひとつに、これまた音もなく座った。僕は、明智さんの斜め前の席に、飛び出しそうな心臓をなだめながら、そっと腰をおろした。
⇒https://estar.jp/novels/25650637/viewer?page=5
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