前編 1.序章(五月視点)

3/10
1564人が本棚に入れています
本棚に追加
/810ページ
 辛い寝起きを乗り越え、駅近だけが取り柄のオンボロアパートを後にする。電車に揺られ約1時間が経過すれば、その先に待っているのが職場、「学校」だった。  名前はあまり重要じゃないので言わないが、都心にしては結構なマンモス校。運のいいことに俺は、一昨昨年の春からそちらの現代文教師として働いている。  学歴が飛び抜けているわけでもなく、とりたててアピールポイントがあるわけでもない。そんな自分を採用してくれただけでも、恩に着ねばならない学校だった。  いやしかし、そもそも教師になるつもりなど毛頭なかった。本当にどうして自分が通ったのか謎である。教授の知り合いに紹介されるがまま、流される感じで向かった試験だったが、なんと履歴書提出と先任現文教師たちとの面接のみで採用されてしまった。  現代文の教師が不足していたのだろうか。分からない。大きな違和感はあったが、如何なる理由にせよ採用は採用である。強調性も社交性もなかったので、案外〝教師〟という一匹狼的な職を選んでおいて正解だったのかもしれない。  と、最近ではそんなふうに思えるようになっていた。  実際、現代文教師の職は自分にとって都合が良かった。  なんと言っても、科目教員業務というのは至極事務的。試験作成や課題チェックなど……こう、一人で黙々と机に向かうような作業が多い。現代文だけに集中していれば、ほとんど人とのコミュニケーションを必要としない役職であった。だから人付き合いが苦手な俺でもやっていけた。  そしてさらに。授業に関しても問題はなかった。というかそもそも、俺の授業を真面目に聞いている奴はいなかった。現代文という科目柄、加えて塾などで既に学んでいる生徒が多いのか。質問しに来る生徒も限りなく0に近く、9割方生徒と話す機会がなかった。  初めは少し焦った。やはり教師たるもの、生徒との言葉のキャッチボールが必要なのかと。が、しかし。課題はほぼ全員こなしてくれるし、試験の出来は良いし。それが分かってからはあまり気にしなくなった。  決まった時間内に授業をこなし、生徒との会話はほとんど無し。教員室に戻り、裏方の仕事を片付けて帰宅。稀に、本当にごく稀に誘われる飲み会などは、一応参加し早めに切りあげる。  こんなに協調性のない人間が教師をやっていて大丈夫なのか。複雑な気持ちだったが、特に困ることもなかったので気負わないようにしていた。  クラス担任に振り分けられていたらきっと地獄だった。しかし、それはまだ3年目とそこそこ新米の自分には回って来得ない役目だった。
/810ページ

最初のコメントを投稿しよう!