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日曜日の午後二時。無事契約の手続きを終え、速人はテーブルを挟んで対面している女性に、鍵二本を両手で渡した。
「ご契約ありがとうございました。なにか困ったことなどございましたら、いつでもご連絡ください」
軽く頭を下げる。
「わかりました。ありがとうございます」
女性が嬉しそうに笑って、席を立った。速人もそれに倣って立ち上がり、一礼する。
彼女が自動ドアから出て行くところを見届けたあと、速人はホッと息を吐いて椅子に座ろうとしたが、やめる。椅子に手を置いたまま前方を見た。
店外に男が立っていた。ガラスの外壁一面に貼られた物件を眺めている。
速人はカウンターテーブルから出て、自動ドアに向かった。
今は十一月下旬。不動産のオフシーズンだ。テーブルで待っているだけでは、貴重な客を逃してしまう。
外に出て、張り紙をじっと見ている男に声をかける。
「気になる物件がございましたか?」
押しつけがましくならないように、少し距離を置き、速人は相手の男を見上げた。とたん、口の中で「えっ」と呟いていた。
男が速人の方に顔を向け、不思議そうな目つきで「何?」と聞いてくる。
「あ、いえ」
速人は慌てて下を向く。急いで表情をニュートラルに戻した。
――ただの、似ている人だ。
だが、首筋には嫌な汗が浮いている。
速人はこめかみを軽く押さえた。思い出してしまった面影を無理やり振り切る。
「この物件、気になるんだけど」
頭上に声が降ってきて、速人は気を取り直して、顔を上げる。
男が指を指しているのは、『ブルーム月島』――築二年の1SLDK。家賃は管理費込みで二十一万。
「『ブルーム月島』は最近空いた部屋なんですよ。ぜひ、詳細を店内でお話しさせてください」
営業スマイルを作って、速人は男を店内に促した。これで契約が決まれば、今月のノルマは達成だ。
カウンターテーブルに着席してから、速人は男に名刺を渡した。
『ファーストリビング月島 営業部 観月速人』
俺が営業職に就くなんてな――と、名刺を見るたびに不思議な気分になる。
――俺には一番向かない職種だと思ったんだけど。
入社して一年と九か月が経ったが、ノルマ達成で苦しんだことがあまりなかった。案外自分は、営業に向いているのかもしれない。
ノートパソコンのマウスを操作し、素早く『ブルーム月島』のページを表示させる。白黒印刷の間取り図よりも、ネットで部屋の画像を見せた方が分かりやすい。
「築二年の物件ですので、部屋は非常に綺麗です」
向かい側に座る男に、笑顔を絶やさずに説明をする。うっかり彼の顔をしっかり見てしまい、速人はさりげなく目を逸らした。
――やっぱり似ている。
短い黒髪、浅黒い肌、切れ長の鋭い目、上がり気味の口角。
――カイトにそっくりだ。
紘一と別れたと同時に、消滅したカイトに。
間取り図とパソコンの画面を交互に見ながら、男が「今からここ、内見できる?」
と聞いてくる。
「もちろんできます。鍵を取ってきますので少々お待ちください」
速人は席を立ち、パーテーションの向こう側にあるバックヤードまで歩く。
そこには、女性の事務員が一人、端の席に座って仕事をこなしている。営業社員の席には速人の同僚が二人座っていて、コーヒーを飲みながら談笑している。彼らに「内見に行ってきます」と声をかけ、数あるキーボックスのうち、『ブルーム月島』を選び、暗証番号を押して中から鍵を取り出す。102号室と、306号室のカードキーだ。
「『ブルーム月島』かあ。成約したらお前、今月のノルマ達成だなあ」
五歳年上の内城が、嫌味っぽい声で速人に声をかけてくる。
「顔が良い奴は得だな。ろくなトークしなくても契約まで持って行けるからな」
もう一人の同僚、久保坂も絡んでくる。
「お客さん、男ですよ」
ウンザリしながら速人は言い返したが、「お前は男も女も関係ないだろ」と、下卑た笑い声を立てて、二人は接客スペースに戻っていく。
「気にしない方が良いですよ」
事務員の牧田が、慰めの言葉を掛けてくれる。
「気にしてないよ」
いちいち気にしていたら、やっていられない。この一年半、彼らに嫉妬されているだけ、と自分に言い聞かせて仕事を続けてきた。
カードキーを持って、速人も接客スペースに戻る。と、客の男が椅子から立って、速人を待っていた。急いでいるのかもしれない。
それにしても、ガタイの良い男だ。服を着ていても、体が筋肉で覆われているのが分かる。身長も百八十は優にある。
――本当にそっくりだ。
本当に、彼は実在するのだろうか。また自分は病んでいるんじゃないか――そんな不安が一瞬過る。
「お待たせしました」
カウンターの外側に出て、速人は先に自動ドアへと向かう。後ろを振り返りながら、「お名前を聞いてもよろしいですか?」と尋ねる。
「黒木です」
「黒木さん」
試しに呼んでみると、黒木が初めて表情を崩した。
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