10 きっとあなた振り返る

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強い高井は、とうとう、 GMになった。 高井はやっぱり分かっていた、 単独行動は、この関西まで、 自分に止めを刺しに来た、 鷹狩の鷹として送り込まれた、 佐藤に、自分の動きを、 何も、気づかせないため。 そして、高井は… 佐藤の事を分かっている。 茉由の事も分かっている。 自分が、 このマンションギャラリーから 離れている間に、 二人が、していた事も。 家族ぐるみで、 活き活きと、 楽しい生活を送っていた、 佐藤と茉由、 そんな生活は、たった、 数か月程で、 高井が、終わらせた。 けっして、この二人の事を認めない。 佐藤から、茉由を引き離す。 「ままごとはもう終わりだ、        戻ってこい!」 高井は、本社の、最上階の次のfloor、 営業本部の、営業本部長の席から、 茉由に電話した。 高井は、自分を堕としたGMを、 賢い、妻の亜弥を使って、つぶした。 今回は、 これが一番早いと思った。 本社から離れたところに居る、 高井は、 関西の居場所から、自分一人で、 事を起こしても、「弱い」 本社で「事」を起こさなければ、 と、考えた。 高井は、 一匹狼でも、抜かりなく、本社に、 ちゃんと、亜弥を送り込んでいた。 自分が自由に動けるように… 自分の為に動く者を本社に、入れておく。 その者は、自分を裏切らない者、 それは、自分のパートナー、妻… だから、 亜弥を本社広報部へ入れるために、 先ずは、力を使った。 そして、 亜弥の人事異動があった、 その事の後で、この様な時の為に、 使える、役に立つ、亜弥を妻にした。 亜弥が、もし、 本社勤務に、ならなければ、 高井は、亜弥を、妻には…… 女性が、社会の中で、 「力」を 持つようになったのは、 有り難い、事、 ちゃんと、使える 「もの」になった…… それを、 有効的に使うために、 妻にする。 亜弥を本社に入れた、後で、 「事」が起きたのは、 高井の、悪運の強さ、 からなのか…、 高井にとっては、すでに、 こうした準備が整っていて、 その後に起こった、 今回の、事は、 じつは、 GMの方から事を起こしてくれて、 高井には、手間が、一つ、省けただけ。 ここでは、当然、 男として、この会社で、 身を立てるのならば、 やるか、やられるか…… NumberⅡに成った時に、 この様な事が必要と考えていた、 自分が、ここで、 「一所懸命」 仕事をしている処で…、 高井は、そんな男… 高井は、 簡単じゃない。 それは、 茉由にも分かっている。 そう もう一つ、 これは、早く、 やらなければ… 茉由から、 離さなければならない。 前GMの、鷹狩の、 鷹の佐藤は、 関西へ、そのまま残される。 ……その、佐藤は、 自分の後ろ盾の前GMを失脚させた、 そして、自分から茉由を取り上げた、 GM の高井を許せない…。 また、高井に振り回される形で、 茉由は、半年前に、夫から逃げ出した、 関東に戻ることになる。 「如何しよう…… でも ……」 茉由が「夫から逃げ出した」事を知らない、 関西に一緒に来ていた茉由の家族は、 これが、 会社の人事異動だと納得したし、 弟は、この事で、 学校生活が忙しくて、関東の家に戻っていた 大好きなお兄ちゃんと、もう、離れなくてす む事に、ホッとした。 お兄ちゃんも、弟が寂しがっていた事を知っ ていたので、安心した。 だが、佐藤は、もう、すっかり、茉由の家族 と馴染んでしまっていて、この関西の生活が、 高井によって壊される事に、憤った気持ちが 収まらない。 こんな佐藤の気持ちは、傍にいる茉由が、 一番、分かっている。この数か月で、茉由の 気持ちも、すっかり変わっていたのに、 そんな佐藤が、気の毒で、それが重すぎて…、 茉由は、やるせない、そのせいか…、 なんだか、体調まで、悪くなる。 このところ、親知らずの歯が痛い。そういえ ば、まだ、抜いていない歯があった。鏡をの ぞくと、顎が少し腫れている。茉由は小顔だ から、これは目立つ。それに…朝からダルイ。 「なんで…、もう、暑い季節なのに…」 茉由は、接客の仕事なので、仕事中に痛み止 めの薬を飲むと、眠くなったり、ろれつが回 らなくなったりするのも困る。 だから、薬が飲めないので、接客が無い時間、 バックヤードの事務所に控えている時、頬に、 冷却剤ジェルシートを貼っていた。少し多め に、事務所の冷蔵庫にも入れておいた…。 「茉由、どうした?」 佐藤はその様子に気づき、茉由を心配した。 「大丈夫です。親知らず、だから…」 「大丈夫じゃないぞ、歯医者に往けよ!」 「大丈夫です!」 せっかく心配してくれた佐藤の言葉に、 茉由は少し、強く、言い返した。 「おまえ…、どうした?」 「大丈夫です。私の歯の事は、  翔太には、いえ、  佐藤エリマネには、  ゼンゼン、  関係のない、事、でしょ!」 茉由は、何も悪くない、佐藤に突っかかった。 関東に戻らなければならなくなった茉由は、 今、佐藤の優しさに甘えるのは、 辛い、心が苦しい。 佐藤に向かってしまうと、茉由は、胸が痛く、 どうしようもなく、申し訳、なく、思ってし まう。けれど、その気持ちは、不器用すぎて、 たぶん、さすがに、佐藤には、伝わらない。 佐藤は、茉由の突き放すような言いぐさに、 茉由が急に、自分から離れてしまう事だけが、 よけいに、大きく感じ、辛い、堪える。 「茉由?俺は、  おまえを、守る、って  言ったじゃないか…、  だから、安心しろ、  離れて、も、  俺の気持ちは変わらない。」 佐藤は、自分の心も、確かめる様に云った。 「お兄ちゃんが、  忙しくなって…  先に、関東に戻ったのは、  知っている。だから…  おまえが、関東に戻るのも、  今回の人事異動が無くても、  当然だと、思っている。」 「茉由?俺は、おまえには、  そのままで、良いと、  言っただろ?」 こんなに……、 佐藤の優しさが、茉由には、苦しいし、 胸が痛い。自分が弱くて、強い者に、 高井に、つい、従ってしまう事が、 茉由自身、情けない。 自分が弱くて、強い夫から逃げ出したくて、 この関西に来てしまったけれど、 また、強い高井に命令されて、 逃げ出した関東に戻るのが、もどかしい。 何でこうなってしまうのか…、 でも、自分には、変えられない、 なにも、できない、そんな、 「力」が無い、ことだけは、 分かってしまう。 自分でも情けなくて、つい、佐藤に、キツク、 八つ当たりの、言葉を、言ってしまったのか、 茉由は、ただ情けない。よけいに、歯が痛い。 「ゴメンナサイ…」 それでも、不器用に、 茉由は、これだけしか、言えない。 でも……、 佐藤も傷ついているはずなのに、 こんな時でも、大きな佐藤は、優しかった。 茉由に再び、優しい言葉を掛ける。  「茉由? 忘れたか?俺、   前にも、同じ事、   おまえに、言っただろ…」 ― 「俺は、本気で想う人を、  その人に、  俺のことで、  辛い思いもさせたくはない。  だから、茉由は、  茉由のままで良いんだ、  そのままで!」     ― この言葉までも、佐藤自身、そう、今のこの 佐藤にも、自分に、言い聞かせる言葉だった。 けれど…、 佐藤は、朝から、茉由にベッタリだった。今 までは、ちゃんと、エリアマネージャーのそ の立場、管理職としては、ケジメをつけて、 就業中は、愛おしい茉由に対しても、キチン としたビジネスモードの態度をとってきたが、 今日は、さすがに、ショックが大きすぎて、 その、建前通りにはいかない。休憩時間も 仕事中も、大きな身体をそのままに、 茉由にベッタリとくっ付いている。 今日は、平日の、週の中日、このマンション ギャラリーには来場者が無く、予約客の予定 もなかった。けれど、ここのスタッフ達の仕 事は忙しく、皆、新規獲得に外に出っ放しだ った。今日は誰も戻ってこない、NRばかり… 茉由は、事務仕事が有るので、今日も忙しい。 届いたばかりで、未開き状態のダンボール箱 に入れられたままの、カタログを、新しい物 と、旧い物との入れ替えに、備品庫へ、向か った。 マンションギャラリーの、バックヤードには 備品庫も在る。営業活動の為には、DMの発 送もあるし、ここ、マンションギャラリーに 出して、お客様へ見て頂く、各種カタログ、 各種色見本、キャンペーン期間中の、ディス プレー用の展示物など、さまざまな物が入っ ている場所。 茉由だって、今日、気分が落ち込んでいるが、 ここでは、営業事務仕事は、茉由一人で担当 していたので、ヤラナケレバならないことは イッパイだった。 こんな日にだって、佐藤にだけ、向かう事は できなかった…。 バックヤードの端っこに在る備品庫に入った 茉由は、ここまで、佐藤がくっ付いてきても、 時間に追われ、佐藤に、なにもできずに、 佐藤の気持ちを思うと、とても、辛いのだけ れど、如何することもできないままに、無言 で、ただ、作業の手を動かす。 ここでの作業は力仕事、カタログの束は、50 部、100部の束になるとかなり、重い。その 出し入れの作業は、女性の茉由にはキツイ、 佐藤は、こんな時にでも、やっぱり、優しい。 この程度の力仕事なんて、佐藤には何でもな い。茉由が作業に苦戦すると、傍にいる佐藤 は、当然、その作業に、自分の手を貸す。 佐藤は、学生時代、水球に熱中していて、 その身体は逞しい。 その動かす両腕も、逞しい。 今、茉由の目の前には、佐藤の逞しい厚い胸 板と、太い両腕が動いている。佐藤の男らし さは、全開に出ていた。 けれど、そんな、爽やかな、スポーツマンの 佐藤でも、こんな日には、それどころじゃな く、意外な一面、「弱さ」を、見せてしまう。 佐藤は、一瞬、「魔」、が、さした。 さっきは、男として、大きな器で、茉由に優 しい言葉をかけたが、自分の、この気持ち、 この、「茉由と離れたくない」気持ち、 これが、抑えきれない。 佐藤は、茉由への気持ちが大きいからこそ、 よけいに、平常心、で、いられない、 言葉遣いは変わらなくても、 表情に出さなくても、 理性が、働かない。 ……そうして、錯乱状態の佐藤は、 作業を続ける茉由から、二三歩、そっと離れ ると、自分だけ、静かに、備品庫から出た。 ただ、無表情のまま、 「バタン!」と、 備品庫のドアを閉めた。 「えっ?」 茉由は一瞬の出来事で、 気づけなかった。 間に合わなかった。 茉由は閉じ込められた。 備品庫の、密室に。 今は、初夏、 ここにエアコンはない。 窓もない。 佐藤は、無意識に、そのドアに着けられてい た、無断持ち出し防止のための南京錠を確り と掛けた。そして、無表情のまま力なく、 事務所に一人で戻って往った。 今日、この日、この、マンションギャラリー には、この二人以外、誰も居ない。外に出た スタッフ達は、今日は戻らない。 茉由は、独りぼっちで、閉じ込められたまま になる。かなり暑い、居心地が悪い空間に。 閉じ込められた茉由は、「怖かった」、この、 備品庫には、今日は、誰も来ない。それに、 今日の佐藤は、いつもの佐藤じゃない。いつ もの翔太じゃない。違う人、ただの、男、怖 い大男…。 茉由は、怖くても騒げない。大声を出すこと も、暴れて、このドアを、蹴ることも、でき ない。怖いけれど、茉由は止まってしまう。 茉由は、独りぼっちで、 どうなるのかも、分からない不安から、 怖い、とても…、 ここは、 息苦しい、重い、熱い空気が漂っている。 せっかく貼っていた頬の冷却剤ジェルシート は、熱さで、スグに剥がれた。 閉められた、ドアの方を見つめたまま、 ただ、床にシャガミこみ、まるで、 動けない人形の様だった、 「腰かけた、お人形のよう…、  違和感、の、あるところ、  怖い、大男…、」 茉由は、一瞬、微かに、 頭の後ろ、奥の方に、 こことは違う、 光景が出でくる。 病室での出来事。それも…、 二つ、の、 茉由、が、 閉じ込められた、 少し前の事と、ずっと前の… 二つ、の 病室、で、の 出来事… 一つ目、は…、遠い昔…、 微かに記憶に残っていた? ずっと、忘れていた?… …… 夏休みになる前の、    あの時も、こんな、         暑い日だった…… ― ハナミズキの大木が、道に沿って…、          ……そして、 「静かに」、車が止められると、 茉由は横に座っていた男に、力尽 くで、車から降ろされ、そのまま、 引きずられるように、両側につい た男に腕を引っ張られ、 何も告げられぬまま、全く知らな い、怖い人相の男三人に囲まれた まま、 見知らぬ「病院」の入院病棟の、 3階の、一室に放り込まれた。 茉由には「違和感」があった。 茉由だって、今までに何度かは病 院へ往ったことがあるが、ここは、 「変」だった。 この病院は、不思議と「静か」 茉由たちが勝手に進んで行っても、 誰にも擦違わない。 白衣を着た医師も、看護師たちも 居ない。 廃墟ではないはずなのに、不思議 な空間だった。 もしかしたら、こうした輩の、 「たまり場」で、大人たちも、 関わらないようにしていたのかも しれない。 この病室の隣の物音も聞こえない。 廊下にも、誰も居ない。 茉由が投げ込まれたそこは、 ベッドが6つ置いてある部屋。 でも、そのベッドの「一つ」しか 使われていない。 だから、個室よりも広い病室に、 頭と、左腕を包帯で覆われた、 「大男?が一人」、上半身を起こして ベッドに居た。 茉由がこの病室へ投げ込まれても、 皆、冷ややかな目で、ここに居る、 誰もが、30人?くらいの輩の、 誰も、何も喋らない。 茉由は強い力で押されたので、 病室の床に倒れ込む。 その大男は、口元が微かに動いた が、茉由を蛇のような眼差しで、 品定めをするように、ジットリと 睨みつけていた。 この病室には、作業着?上下を身 に着けた大勢の男たちが、病室の 中で、直立不動で、動かない。 男たちの一人が、呆然と動けな い茉由を引きずり、その大男が横 になっているベッドの上に、 茉由を勢いよく、押し倒す。 茉由は、口を噤んだまま、うつ伏 せの状態で、ベッドに上がってい る。 「怖い!」でも、「動けない」 今、うつ伏せの、茉由の目の前は、 病院用のベッドに敷かれた真っ白 いカバーの布団だけしか見えない。 視界の全てが、 ただ、「真っ白い」だけ。 茉由は、自分がどのような体勢に なっているのかも分からない。 投げ出されたまま、飛ばされたま ま。落ちない様に、確りと布団に 「しがみつき」、震えていただけ。 その茉由を、 大男は、使える右腕だけで、 簡単に、仰向けにひっくり返す、 茉由には、一瞬、病室の何もない 天井が見え、 すぐに、茉由の頭は、その大男の のびた膝の上にのせられ、仰向け に寝かされたまま、 その大男の「顔」を、「下」から 拝むような体勢になった。 茉由には、その、大きな下顎と、 太すぎる頸筋と、その大きく前に 突き出した「喉仏」、 「喉頭隆起」だけしか、目に入ら  ない。 抑えつけられてもいないのに、 そのままの体勢で、仰向けのまま、 グッタリと、 しばらく、いつまで経っても、 動けない茉由は、瞬きもできずに、 ずっと、その動かない、 大きな「喉仏」を下から観ていた。 その、仰向けのまま、横になって いる躰の胸の上で、「祈る」様に 手を合わせている茉由の姿が、 まるで、『ラッコ』の様な、 可愛らしい様子が、 よほど可笑しかったのか、 「フッ…」 この、大男は、少しだけ優しく、 茉由を、使える右腕だけで、 ベッドの上の、自分の横に腰かけ させ、 茉由の楽な体勢にしてあげた。 大男は、茉由の体勢を整えてあげ ると、その茉由の表情を無表情の まま覗き込み、確認している、 沈黙を続けたまま、 茉由が、「泣き出さないか」と、 様子を暫くうかがう。 ここまでの時間。この大男は、 何も喋らなかった。 茉由にも何も、聴くこともない。 けれど、もう、この大男の品定め は終わったのか、 それは、 突然、ここでのいつもの 光景なのか、 この周りの者、 全員に訊かせるように、 ここは病院なのに、 迷惑など考え ない大声で、 「おい!お前ら、  コイツが、『ガキ』だって  分かって連れて来たのか!」 と、怒鳴りつけた。 茉由が大声にビック!っと、 しながらも、我に還り、 けれど、声を出せないまま、自分 が座らせられたベッドの周囲を見 渡すと、 病室の壁、その全てに、ずらっと、 怖い男たちが壁に張り付き、 仲間?の誰とも目を合わせない様 に、静かに並んでいた。 怒鳴りつけられても、 誰も声を発しない、男たち。 やはり、30人くらい? 全部の壁に、怖い男たちが並んで こちらを視ている。 この時、茉由は、ベッドに置かれ た、腰かけたお人形のよう。 大男は、取り巻きの輩に強く指示 を出す。 「いいかお前ら!絶対に、コイツ  を恐がらせないようにしろ!」 従順な舎弟たちに、茉由を、必ず 「無事」に、家まで送らせるよう に指示を出した。 恐怖の中にいる茉由は、最後まで、 何も、自分からは、しなかった、 茉由が、誰だかは、分からない、 この、強い大男は「18歳の高井」 腕っぷしが良いチームリーダーの 高井は、この時は、 対抗するチームとの殴り合いの 死闘の末の入院だった。 結局、大騒ぎにしたくないとの、 高井の冷静な判断から、茉由に何 もしない、誰にも、なにも、 させないで、還してくれた、 ― ― でも……     「人をさらえば、これは、      たとえ無事に還しても、            罪となる」                                      「人を閉じ込めても、  そう、その上、鍵を閉めたら、  さらに、罪となる」 「俺が、守る」は、       制限、束縛、監理、管理、       支配、監禁、強要、隔離… どうして……       あの時、 「閉じ込められた私を  あの、大男は…  そのまま何もせずに、  出してくれた、でも、今回は…」 「翔太、ここ…、暑い、よぉ…、」 「翔太は、 『俺は、直接、茉由に何もしない  けれど、おまえの事は守るよ』     って言ったじゃない……」 「なんで、私……  閉じ込められちゃうの……」 頭の中は、何とか、動いてる、けれど、 茉由は、暑さで段々と、目の前が、 ぼんやりとしてきた、意識が遠のく……、 熱い空気が肺に入ってくるのが分かる。 今、何時だろう?ゆっくりと腕だけを動かし、 ポケットからスマホを捕りだした。「16:40」 だった。「暑いけれど、もう少しで、日が傾け ば、涼しくなるのかな…」などと考えてみる。 「あと、20分で、17時、    あと、20分で…」 茉由は不可解だ…、スマホが有るのならば、 母に連絡が取れるのに…、 でも、 「翔太は、今、傷ついているから…」 茉由は、そんな事、したら、 事務所に居るのは、翔太、一人だけ、 だから、こんな状況を知った、 茉由の母は、逆上し、翔太を、 きっと、強く責めるかもしれない、 などと、考えてしまう。 「早く、暗くなる時間に    なれば良いのに…」 茉由は、床に座り込んだまま、ただ…、 …願った…。 翔太のこと、嫌いじゃないけれど、 これは…、キツイなぁ… 「あぁ~、だるく…、なって、きた……」 ここは、蒸し風呂状態、スーツを着ているの に、最悪な状態。 でも…、 ボォ~としながらも、 頭の中では、何かを探ろうとしている、 そう…、 それに…、病室に、 閉じ込められたのは…、          一度だけじゃない…、 ―   「良いわね、一週間の、      検査入院ですって」 夫と母は、茉由の事を決めていた。 茉由は、この夫の命令に、なにも、 言い返さない。 茉由は、自覚症状が無いのに、 ある日、 突然、医者である夫から、病を告 知された。茉由は、衝撃が大きす ぎて、告知自体は全く疑うことな く、素直に聞き入れ、自分の体を、 自分で確かめることよりも、 家族を想う気持ちが大きくて、 すぐに、病と闘う決意をする。 茉由は、5年間、ただ、その事だ けを考えていた。 茉由の夫は、有名な私立の大学病 院に勤務する、外科の准教授、 医師だった。この病院で、 自分が確り管理できる病院で、 茉由の病気治療をしていた。 けれど、 茉由は、最近、その必要な検査を 受けてはいなかった。 その事は、茉由も、いつ、夫は気 づくのか、気づいたらどうするの かと、考えてはいたが、 やはり、夫は、 黙ったままではいなかった。 それに、 夫は、また、茉由の後ろにある、 男の影を見つけてしまったようだ。 茉由の、ドレッサーの 引き出しの中にある、 男物のボールペン。 高井の名が刻まれたペンを、 夫は、見つけてしまっていた。 それを手にした夫は、 その場にしゃがみ込み、 考えだした。 「最近、アイツは、病院に来なく  なった、何故だ?」夫は考えた。 「来ないのなら、来させたら善い」 夫は、リビングに戻った。 茉由の母に向かい、芝居をする。 茉由が最近、病院へ検診に来なく なって自分が心配していること、 検診を受けなければ、病気の早期 発見ができないこと。 早期発見ができなければ、再発、 転移の時に手遅れになること、を、 妻を心配する夫、 そして、医師として伝えた。 「子供たちの為にも、茉由さんを、  病院へ来るように説得して下さい。  お母さん」、夫は、辛そうに、  茉由の母に訴えた。 この原因になったボールペン。 高井の名が、刻まれている。 ― こうやって、 他の人たちよりも、ずっと、ゆっ くりとしたスピードで、並んで歩 いていると、二人だけの、ここの、 周囲の人たちとは、違う空気を吸 っているようで、地元の、慣れて しまった港の空気も、今日は、 違うと、茉由は感じた。 高井と腕を組んでいなくても、 二人は、くっ付いている。 背の高い茉由よりも、 もっと背の高い、高井の肩の位置 が、ちょうど良くて、好き、 右側に顔を向けると、高井の堂々 とした、 前に向かって胸を張る姿勢の、 上着の胸のポケットに入っている、 銀のボールペンが目に入り、茉由 は、なぜか、それが、欲しくなる。 ここの景色よりも、ずっと、そこ から目が離せない。今、欲しいの は、綺麗な夜景じゃなくて、この ボールペンだった。 ちょっと、いたずらっ子の様に、 何も言わないで、そっと、ポケッ トからボールペンを抜いてみる。 上手にできたみたい。 それを高井は気づかない。 ペンには高井の名が刻まれていた。 それを、嬉しそうに両手で持って、 目の前まで持ち上げたところで、 高井はようやく、気がついた。 「どうした?嬉しそうな顔をして、  その、ペンが、そんなに、  気になるのか?あ~?それが、         欲しいのか?」 高井は、いつもよりも、口数が多 かった。 でも、茉由の気持ちも分かって いた。 茉由は黙ったまま肯く。少し、 すがるような目をしてみる。 高井は茉由から、ペンをゆっく り取り上げると、 茉由と向かい合い、 茉由のスーツの胸ポケットに ゆっくりと差し込んだ。 そして、そのまま、茉由の肩を引 き寄せ、優しくキスをした。 山下公園から出た、横断歩道の 信号待ちの間、二人の唇はずっと 離れなかった。 ―  「あれ?いけない」 茉由は着替えを急ぐため、寝室へ 入ると、スーツの胸ポケットに あるボールペンを思い出した。 「あ~、落としたら大変!」 せっかく、 オネダリシテ、手に入れたペン。 高井とのkissも、思い出した。 「一人」なのに、嬉しそう、 微笑みながら、ペンに、もう一度、 軽くkissをする。そこには、 高井の名が刻まれている、 茉由は自分のkissを消すように、 その名を小指でなぞってから、 寝室のドレッサーの引き出しに、 ペンをそっと入れた。 高井の名が刻まれたペンは、 茉由の寝室にある。   ― ― 茉由も高井も、 この夫の事を、 考えなさすぎた。 茉由のことを、強く管理する夫の 事を忘れるなんて、茉由は、愚か にも程がある。 5年以上も、あんなに、夫からの 制裁に苦しんでいるのに。 ― 茉由はすぐに、「一人ぼっち」の、 寂しさ、怖さ、の、ネガティブな 気持ちは大きくなってきた。 一人ぼっちでは、ここで、 「何かあって」も、誰にも気づい てもらえない。 助けてもらえないかもしれない。 などと考えてしまう。 病院なのに、助けてもらえない なんて、考えるのはおかしいのか もしれないが、茉由は、夫に強い 不信感を抱いていたから、そんな、 「事」、を、考えてしまう。 夫との夫婦関係を、ちゃんと築い てこなかったのは茉由にだって 責任はある。 この夫婦には、全くの信頼関係な んてものはない。子供が居るから、 家族で居るだけの、形だけの、 関係でしかない。 「茉由の病気」 これは、医者である夫が、妻の不 貞を疑い、その制裁に、病気と信 じ込ませ、要らない手術や薬の投 与を施し、 白血球数が平均値の1/10になる ようにし、これで、抵抗力が弱っ ているとのことを茉由に自覚させ、 「信じ込めせ、行動を制限する」 「怖い」 茉由は入院してから、どんどん、 不安が大きくなっていた。 ここでは、ちっとも休まらない。 茉由の恐怖心は、病気に対するも のではない。 「医者である、夫に、対するもの」 茉由は、そんな強い不安を、 誰にも言えない。 ここは、設備が整った、大学病院。 ここでは、常に24時間体制で 茉由は管理される。 夫だけではなく、夫からの指示で 動く、看護師さんたちも、夫側の 人たち。 茉由はそこに、 ポツンと一人で居る。 夫の怖さは、高井の怖さとは違う。 茉由の動きも、とめられた。 茉由はまだ、この時に夫が、茉由 の後ろの男の影を疑って、茉由を 病院に閉じ込めた事は知らない。 病気の予後の検診ならば、入院の 必要はない。 入院させてまで、茉由の夫は、 24時間監視体制を敷いていた。 夫は、茉由の外の世界は、 職場だけ、と考えている。5年前 から行動を制限した茉由には、 職場と家との往復しかなく、その 他には、茉由の居場所はないから。 だから、夫は、茉由の後ろの男は、 職場の人間だと考えている。 夫は、茉由が入院している間に、 その男の事を、ハッキリと、 その姿を、確認しようとしたのだ った。 そんな茉由から離れている高井は、 茉由が入院した時、それが、人間 ドックだと聴かされたので、何も 心配はしていなかった。 茉由が以前から、夫からの制裁を 受けていることも、高井は知らな い。 茉由のところへ貌を出した。 茉由の夫が24時間管理体制 を敷いている病室に、自分の目的 のためだけに。 自分はなにも、臆することはない と、堂々と現れる。 あの、真紅のリボンで纏められた、 今日に合わせて作り直した花束を 握りしめて。 この花束は、花嫁が手にする ブーケのような、真っ白なレース に包まれ、鮮やかな真紅のリボン で纏められた、上品なものだった。 ― 茉由は一人ぼっちで不安を抱えて いたので、高井の登場には、心か ら喜びを表現した。夫の事など、 気にしてはいなかった。 自分の家族よりも、高井が来てく れた方が、安心した。 そんな茉由の表情を見ると、高井 は、離れているのが切なくなった。 自分の創った、マンションギャラ リーから、茉由が出てしまったこ とに、高井は、胸にポッカリと 穴が開いたように感じてもいた。 だから、今、二人は、 お互いを求めている。 高井は、茉由に、花束を渡した。 それを受け取った茉由は 辛そうだった。 その姿を見た高井は、切ない。 茉由は口を開いたが声が出せない。 何も言えない。上手く、言えない。 夫の、茉由に対する制裁の事も、 今まで口に出したことが無いのに、 ここでのことだけ言っても、 きっと、分かってもらえない。 茉由は、混乱している。 目の前に居るのが高井では無かっ たら、 この花束のリボンを観なかったら、 こんなになってはいなかった。 茉由が恐れているのは、夫から、 なにか を されること。 この真紅のリボンは、 この時の茉由には、 茉由の躰の「血管」を連想させる。 医師ならば、夜中にも対応できる のだから、人の目が少なくなって から、「される」のかもしれない。 そう考えたら、茉由は眠ることも できない。眠るのが怖い。 こんなこと、上手く説明できない。 「 帰りたい 」 そう言うのが、精一杯だった。 茉由はひどく、落ち込んでいる。 高井は、茉由の入院は、何も問題 のない、人間ドックと聞かされて いたので、この茉由の沈み様には 驚いたが、 ここが、茉由の夫の勤める病院で あるのならば、なにか、夫が関係して いるのかと考えをおよばす。 茉由の顔を覗き込み探ろうとする。 「ダンナの事が怖いのか?」 茉由は、高井から離れ、強張った 顔を伏せて黙っている。 「答えられないのなら、      それが答えか」 高井はそう判断する。 「分かった。退院できるのか?」 高井の優しさが、茉由の躰を温め る。たとえ、ここで、二人、抱き 合わなくても。 高井は、ほんの少しの会話の後に、 再び、ベッドの上で小さく丸まっ てしまった茉由が、 また、顔を上げられるまで、 ベッドの横に腰かけていた。 高井は、わざと、少し、 距離をあける。 そうすれば、自分に縋りたい 茉由は、身体を起こすだろうと 考えたからだ。 そのとおりに、茉由はしばらく すると、落ち着きを取り戻し、 ベッドの上で身体を起こした。 「スミマセン、私、どうかしてる」 茉由は、ひとり言のように目線を 落として呟いた。 でも、その目線は ゆっくりと動き、 高井の逞しい腕を探している。 その腕に縋りつきたい。 けれど、茉由は自分で落ちつこう とした。茉由は、亜弥の名が、 変った事を知らされていたから。 それだって、ほんの少し前まで、 何も気にならなかったことだった のに、 今はそれが、茉由の動きを 留めるものになる。 茉由は動かずに、ゆっくり目を閉 じてみる。 高井はその様子を見守っていたが、 自分の気持ちも抑えられなくなっ てきた。 「茉由が欲しい」 ここから出して、連れて行きたい。 だが、自分は、亜弥を、妻にした ばかりだった。 今日は、茉由にその事を伝えよう と思っていた。 茉由が苦しむように。 けれど、もう、その事は高井でも 云えない。この、弱っている茉由 には。 これ以上、苦しみを与えられなく なっていた。 ― 「もう、大丈夫です」 茉由は落ちついたみたいだった。 「俺は、毎日、来るからな!」 高井は茉由に云い聞かせる。 「大丈夫です」 「リーダーは、ご結婚されたと  聴きました」 「誰から聴いたんだ!        …いや、いい」 高井は、もう、その事は訊きたく はなかった。 「おまえが、大丈夫ならば、良い」 高井は、距離を置いた、まま。 二人は、動かない。 茉由は、黙って肯く。 茉由の目線は、高井から離れ、 窓の方を向いていた。 結婚したことを、否定しなかった、 今、高井を、見たくない。 ベッドに入ったまま、高井に背を 向ける。 「...マタクル」 高井は茉由の背中に向けて呟いた。 茉由は振り返り、それを断ろうと したが、高井は、もういなかった。 茉由は、また、一人だった。 ― なんでこんな時に、 高井GMが頭の中に出て くるのだろう...、 閉じ込められて、一人になると… いろいろな事を、考えてしまう… ヘンだけど、今、時間が、イッパイある…、 怖いだけじゃない…。 「高井GMは、悪い人じゃない...」 「あの人の、『おい!』が、 耳に残っている…、あの聲、聴きたい…」 茉由は、今、 こんなに怖い時にも、 怖い時だからこそ、こんなこと、 思い出したのかもしれない…。 茉由も、今日は、平常心じゃなかった、 「私が、悪いのかなぁ...、  なんで、こうなっちゃうのかなぁ…」 なぜ?こんなこと?か…、 茉由は、 過去に、2度、閉じ込められたと 思っているが、2度だけじゃない 夫は、何度も病室に茉由を閉じ込めるし、 高井だって、 女性だけのマンションギャラリーに、 茉由を閉じ込めたし、 今回だって...、        相手を、「閉じ込める」           その行動心理は…… 茉由は、佐藤に、こんな目に合わされても、 憤りは感じない。佐藤が、可愛そうに思える。 自分だけの、報われない気持ちは、茉由にも 分かるから……、 …この時、下のfloorでは…、 今、佐藤は、事務所で独りぼっち。時間は、 ゆっくり進んでいるように感じた。なぜか、 ぼんやりとしていて、自分が茉由に何をした のかも、分かって、いない様子、 のんきにも…、 ここでの、楽しかったことを思い出していた。 ……楽しかったよなぁ……、 ずっと、思い続けていた、 茉由との生活が、ここには、あった…。 ―  「おはようございます、          皆さん!」 爽やかな、朝の挨拶だった。 「エリアマネージャーの佐藤です。  高井リーダーの御指示で、私が、  ここを任されることになりまし  た。リーダーは、建設用地の確  保に、外に出られることも多く  なります。  これから、皆さんの事は、私が  決めていく事になります。  宜しくお願いします!」 ここでの茉由は、 高井の お気に入り⇒佐藤の steadyに変わった? 佐藤は、 茉由を愛しているだけじゃない。 関西で、一人で頑張る、 「母としての茉由」を、  そして、  茉由だけじゃなく、 「茉由の家族を守りたい」。   ― 佐藤の行動は、早かった、 ― 「あ~、まぁ、任せろ!今日、    おまえを送って行った時に、   『お母さん』にも、挨拶しとくな!」 「えっ? なんで!」    ― ― そんな事よりも、   茉由は、今日も、帰宅すると、 『茉由の家での儀式』を行う。 「ただいまぁ~!子供たちィ~、  お母さん、帰ったわよぉ~!」 ワザと大声で、茉由は玄関で叫ぶ。 すると、人懐っこい弟は駆け寄っ てくる。 「おかあさぁ~ん!」 「カァワイィ~!」 茉由は大満足! 茉由は、6年越しの、念願だった、 「子供を抱きしめる!」こと、が、 やっと、やっと、 できるようになっていた! 茉由も、子供たちも、今は、 それが、最高の、楽しみ! 茉由は、「ムギュ~ッ」と、弟を 抱きしめると、その「ほっぺ」に、 「チュッ!」 「チュッ!」 何度もkissをする!「チュッ!」 「やだぁ~、汚いよぉ~、」 弟はデレデレに照れながら、身体 を反らす。でも、茉由は絶対に、 離さない。 「ムギュ~ッ」と、抱きしめたま ま、家の中に入り、 次の「獲物」の、 お兄ちゃんを探す。 お兄ちゃんは、母の大声は聴こえ たが、すました顔で、ゲームをし ている。でも…… いつも、チャンと、リビングで、 母を待っていた。茉由は、離れよ うとしない弟を、そのまま、抱き しめたまま引きずるように進み、 お兄ちゃんの処まで、やっと、 たどり着くと、ここで、また、 ワザと倒れる様に、 ドォ~ッンと、覆いかぶさる! 弟と、茉由に、「乗っかられた」 お兄ちゃんは、相当な重さに圧し 掛かられているのに、それを避け ることもなく、 確りと、二人を受け止めた。 お兄ちゃんは、お帰りの挨拶は返 さないが、ハニカンダ笑顔が、 嬉しそうだ。 これが、茉由の「我が家の日課」 その様子を、肯きながら、満面の 笑みで、とても満足そうに、佐藤 は眺めている。 佐藤は、初めて訪れた茉由の家な のに、いつの間にか静かに上がり 込み、確りと、リビングに居た。 それに、気づいた茉由の母は、 あれ?ヒョウ柄のブラウスを着て いた。 「失礼ですが、どちら様?」 茉由の母は、佐藤を見つけると 警戒モード全開で、もう一度、 繰り返す、 「茉由ちゃん?こちら、       どちら様!」 っと、茉由たち母子と佐藤の間に 入ってきた。その声に、お兄ちゃ んも反応し、 「誰!コイツ!」 っと、急に、険しい顔で、佐藤の 方へ向かってきた。お兄ちゃんは 勇ましい。 「やぁ!今晩はぁ、お母さんの  上司の佐藤です。君が、  お兄ちゃんかぁ?   ヨロシク頼むナ!   一緒にお母さんを守ろうナ!」   「えっ?」茉由はキョトンとし、 「エッ?」お兄ちゃんも、 「ハイ?」茉由の母もキョトン顔。 「ねぇ~、この人、ダ~レ?  おかあぁ~さん?」 佐藤の躰が、大きいはずのお兄ち ゃんよりも、もっと、大きかった ので、お兄ちゃんの後ろに隠れる と、弟は顔だけヒョッコリと出す。 きっと、 小さな弟から見たら、 「桃太郎お兄ちゃんと、鬼の佐藤」 茉由の家族は、初対面の、この、 「オジサン」が、あまりにも、 馴れ馴れしいので驚いた? 佐藤は営業職なので、初対面の人 にでも、すぐに打ち解ける自信は ある。どんな方々でも、初めてお 邪魔したお家でも。 「茉由ちゃんの、会社の方         ですか?」 母は、分かっても、もう一度、 聞いてみる。 「はい!関東から異動になって  きました。佐藤と申します!  これから、こちらで、茉由さん  と一緒に仕事をします。今日は、  着任のご挨拶に、お邪魔しまし  た。お母さん!」 「はい?お母さんだなんて...」 「茉由さんの、お母さんじゃない  ですか!何て、御呼びしたらい  いんですか?」 「えぇ~?まぁ~、そうですねー」 「ほら!『お母さん』で、  善いじゃないですかぁ!       ハハハハハ…」 余りにも佐藤が豪快に笑うので、 佐藤に向かっていった、お兄ちゃ んも、まだキョトンとしているし。 「何がおかしいの?」っと、 茉由には分からないけれど、 さっきは、警戒モードだったのに、 この大きな笑い声に、どれだけ効 果があったのか分からないが、 あまりにも佐藤が、爽やかすぎて、 一瞬で、茉由の家族たちは、 警戒モード「解除」になったよう、 この、豪快な スポーツマンの爽やかさは無敵だ。 やっぱり、 佐藤が仕事でも優秀なのが分かる。 「宜しくなっ!お兄ちゃん!」 「ハイ…」 母がいきなり連れて来た男だけど、 「体と、笑い声が大きな男」 「逞しくて、優しそうな男」 茉由の家族は、佐藤を気に入った 様子だった。 でも、茉由だけが、首を傾げる。 「なんか変?これは?ナニ?」 それでも……いつの間にか、 気づくと佐藤は、ダイニングテー ブルで、茉由の母が創った夕食を、 子供たちと一緒に、食べていた。 まるで、一家団欒?夫だって、 こんな事、したことないのに。 子供と一緒に食事をしたのは、 これも驚くことに、茉由の家では、 佐藤が初めての、男かもしれない。 なんだか、男三人で楽しそうに、 ワイワイ、ガヤガヤ、している。 茉由は帰宅して、まだ、一時間? も経っていないのに、佐藤は、 すっかり、茉由の家族に馴染んで いた。 「不思議……」 お兄ちゃんは、自分がこの家の 「長」だと自負していたのに、 なんだか、「子供に戻ったように」 よく笑っている。 佐藤も、初めて茉由の母の手料理 を食べているのに、気持ち良いほ どにガッツキ、早食いを披露する。 「お母さん! 美味しいです!  これ!『おかわり』、        良いですか!」 来客用の空っぽのご飯茶碗を、 茉由の母に突きだす。それを観て いた、お兄ちゃんも、弟も、それ をマネする。 「バーバ! おかわり」 「俺も!」 「フッ…」 何処に居ても、食事の時間は楽し い方が善い、茉由もウキウキして きた、着替えを済ませ、合流した。 せっかく茉由もダイニングテーブ ルまでたどり着けたのに、 「いただきます!」 「あら? 茉由ちゃん遅いわよ、  もう、ご飯ないもの!」 「えぇ~!」 「ふふふふふ…」 「ハハハハハ…」 「ハハハハハ…」 「ハハハハハ…」 佐藤はもう、すっかり、茉由の家 族と仲良しになっている。 茉由は、嬉しかった。こんなに、 子供たちが嬉しそうなのが。 子供を抱きしめられる様になった のも、関西に来てからが初めて! 家に、楽しいお客様が来てくれた のも、関西が初めて! これ、これ! 思い切って関西に来て良かった! こんな、どこにでもある、普通の 事でも、茉由には、嬉しかった。 きっと、お兄ちゃんも弟も、茉由 の母も、皆、同じことを思って いる。 茉由は、泣き笑いになった。 「うぅ~ん!」 「如何した? 茉由?   飯が無いのが悲しいのか?」 佐藤は、ワザとらしく、もう空っ ぽになった自分のご飯茶碗を茉由 に、見せびらかした。 「もぉ~、ヒドイ! ここ、私の         家なのよぉ~!」 茉由は、すねて見せた。 「お母さんが遅いからいけないん            だよぉ~」 人懐っこい弟は、もう、佐藤贔屓 になっている 佐藤は、子供たちとの、仲間意識 を強める。 「そうだよねー、お母さんが遅い          んだよね~!」 「そう、そう」茉由の母も肯く。 「そうだな…」あの、お兄ちゃん  まで、佐藤側に加わっている。 「茉由ちゃん、サラダは有るわよ」 「えぇ~、サラダだけ~!」 「そうだよねー」佐藤が、 「そうだな」 お兄ちゃんが、 「そう、そう!」 弟が、 揃って繰り返す。 「えぇ~、」 茉由も漸く、テーブルに着いた。 「翔太、有り難う…」    ― 佐藤は思い出しながら、確かめる。 「そうだろ…、  俺は、ちゃんと、  上手くやったじゃないか…」 ― 「茉由のけなげな姿は、愛おしい…」 自分も、独りじゃなかった。 笑い声が賑やかなダイニング テーブル、美味しい手作りの暖か い夕食が食べられた。      ― 「そう、あの時の、  茉由の、顔も、オカシカッタ」 佐藤は力なく微笑む。 ―  「なぁ、茉由、リップ持ってる?     俺、唇ガサガサして痛いから!」 「はぁ~? リップクリーム?  コンビニで売ってますけど?」 「持ってるだろ?  チョット貸して!」 「ありません!」 「あっても貸しません!」 貸さないでしょ、普通に、 考えたって! どうしちゃったの?翔太、 ドンドン、 変な人になってきてる。 「佐藤エリマネ?大丈夫ですか、  本当に、リップクリームなんて、  人に貸しませんよ!唇が痛いの  ならば、私が、買いに行ってき  ますけど、如何しますか?」 「う~ん、まぁ~、いいや、    じゃあぁ、我慢する~」 貴方は子供? ナニ?どう、しちゃったの翔太? ナニヲ?考えているんだろう、 「この距離感」が分からない。 リップクリームを貸し借りする、 「男の同期」っているの?  茉由は、不可思議だった。 ― 「面白かったよなぁ~」 佐藤は…、段々落ち着いてきた…、 ―  それからの、    関西での、茉由たちの、        生活は変わった。 朝は、佐藤が車で茉由の家に寄り、 茉由と、お兄ちゃんと、弟を車に 乗せて、先ずは弟を、小学校へ、 お兄ちゃんを最寄り駅まで送り、 駅のロータリーで、佐藤と茉由は 揃ってお兄ちゃんに手を振って見 送ると、 二人一緒に、マンションギャラリ ーへ出勤し、帰りは、茉由の母か ら頼まれた買い物をしてから、 茉由の家へ、二人は帰った。 兄弟と佐藤は一緒に風呂に入り、 佐藤はそのまま、夕食も食べて、 食後は、子供たちが寝るまでの時 間も一緒に過ごした。 子供たちがベッドに入ると、弟が 寝るまで、佐藤は添い寝をして、 夜遅くに、帰宅していった。 ほぼ、毎日、ここでは、茉由たち 家族と佐藤には、そんな暮らし方 が続いていた。       ― ……ここでの、生活は、楽しかった。 「幸せだった……」 自分が、茉由を守っただけじゃなく、 自分も、幸せを、茉由の家族から与えられた、 それを、確りと、「受け取る」ことができた。 そ・れ・な・のに…、 今日の俺は、自分がこれを壊す事をしている。 「そうだよなぁ…」 最後に、やっと、佐藤は思い出す。 ― 「俺は、本気で想う人を、    その人に、    俺のことで、    辛い思いもさせたくはない。    だから、茉由は、    茉由のままで良いんだ、         そのままで!」 ― 「……だな、良いじゃないかぁ…、  この気持ちは嘘じゃない。  ずっと、茉由を、想い続けるサ」 佐藤は、ようやく…、 やっと、頭を冷やし、 マンションギャラリーの 閉館時間、 18:00になると…… たった、独りで、 バタバタと走り回る。 急いでギャラリーを、クローズさせ、 閉じ込めた、茉由の処に駆け足で戻り、 そっと、備品庫のドアを開け、 ぐったりとした茉由を静かに、支え、 そっと、外に出した。 「ゴメン...」 佐藤は、何も言わないままの茉由を素早く 抱きかかえ、優しく、ゆっくりと運ぶ。 茉由は、やっと、安心したのか、 気が遠くなり、佐藤に身体を任せる。 佐藤は、クーラーの効いた事務所の長椅子に、 暫く茉由を寝かせると、急いで、来客用の冷 たいおしぼりを冷蔵庫からいくつか持ち出し て、茉由の、額、首、胸元、両腕、両脚、肌 が出ているところ全部にのせた。 気が焦り、慌てていて、その冷蔵庫に茉由が 今朝、入れておいた、冷却剤ジェルシートに は、気づけなかった。 そのまま、忙しく帰り支度を済ませ、 茉由の頬に手のひらを当てて、 もう、熱くないのを確かめると、さらに、冷 たい水で濡らしたタオルで茉由の頭を包むと、 ハイヒールを脱がせた。 そして、また、優しく、茉由に気づかせぬよ うに、ゆっくりと、再び抱きかかえ、そっと、 大事、に、大事、に、車に乗せ… 茉由の処に到着すると、茉由の部屋まで 運ぶ間も、確りと茉由の様子を何度も確認し ながら、大切に、抱きかかえたまま、茉由に 一歩も、歩かせることなく、送り届けた。 茉由は、部屋に運ばれるために、 再び抱き上げられたところで気が付いたが、 なにも、佐藤に、話しかけなかった。 ただ、何も知らない母に心配は掛けたくなか ったので、玄関ドアの手前で、気丈にも、佐 藤の手を借りずに踏ん張り、 今日は一人で、 何事もなかったかのように入っていった。 佐藤と、会話が無くても、 今日のこの出来事は、 佐藤が、混乱していた精神状態の中で、 強い何かに、惑わされた事だと、 分かるから。自分の躰の事よりも、 茉由は、佐藤の方が、大事だった。 ……そして、 二人は、ここ、 関西のマンションギャラリーでの、 残り少ない時を、静かに、過ごす。 数週間後、 佐藤は、茉由の引っ越しの手伝いをした。 茉由をちゃんと、送り出す。 佐藤は、この関西に残るが、 それで良かったのかもしれない。 今すぐに、関東へ戻っても、 GMになった高井の、 その、スグ下で働くのには、 近すぎて、抵抗があるだろうし… それならば、ここで、 高井との距離が保てるここで、 確りと、結果を出し、 また、正々堂々と、 高井と闘った方が善いだろう。 もう、ウラの仕事、ヨゴレ仕事で、 人に使われる事もなく、 そんな事で、認められる事もなく、 それで初めて、佐藤の、 本当の良さが、優秀さが、 ちゃんと出せるのだから。 ……茉由の引っ越しは終わった ほどなく、 高井のデスクから、茉由に電話があった、 「おい、引っ越しは、終わったのか?」 「はい」 「そうか、おまえ、駅を間違えるなよ、    本社は田町じゃないぞ、品川だぞ」 「はい、研修や、会議で、  何度も往っていますから、大丈夫です」 「そうか、なら、良い…」 茉由は切ない…… 「貴方と、もっと早く、  そう、出会った時に、  ……気持ちが、  通い合っていたら……」         茉由が想う、その         相手は…… 高井は、亜弥と茉由を、 全く、「違うもの」として、 扱う。それは……
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