第113話

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第113話

 待ちに待って待ち遠した旅行当日。  それはもうとにかく人混みがすごかった。新幹線で京都に向かうのだが、駅内は人で溢れかえっていた。  みんな考えることは同じだよね。  行くだけで大変だなあ、と思っていると、まさかの樹くんが何も言わずに手を繋いでくれた。 「はぐれないでね」  それだけで三秒くらい意識を失ったかもしれない。だって普段外で手を繋ぐことはほとんどない。     それこそこういう時くらいか。  しかもこちらを振り返ったときの顔が美しすぎた。  握られている手が熱くなるのを感じながら、何とか新幹線に乗り込んだ。指定の座席に座り、車内で景色を見ながらお弁当を食べる。  樹くんとの旅行と人生初の京都に、朝からテンションは最高潮だ。  一日目は京都にある水族館に行く。結婚してから動物園や植物園、水族館といった場所に行くのは今日が初めてである。    駅のロッカーに荷物を預けてバスに乗り、水族館に向かう。  窓際に座ったので、ぼうっと景色を眺めていると、ふいに窓ガラスに反射して樹くんの横顔が見え、思わず目を逸らす。  緩む口元を手で隠しながら、必死で全神経を顔に集中させる。  予想だにしないところで見る樹くんの破壊力は相変わらず凄まじい。というか、ガラスに映った顔がきれいってどんだけイケメンなんだよ。  ……顔見よ。  ちらりと隣の本物の横顔を見ると、とんでもなく美しい彫刻にしか見えず、変な声が出そうになった。 「どうしたの?」 「あ、何かやっぱり街並みが違うなあと思って」 「そうだね」  何とか誤魔化せたか。それにしても気を抜くとふいに樹くんの顔が見えるというのは大変なことである。  右も左も見ることができず、目的地に着くまですべての思考を停止させて自分の膝を眺め続けることにした。 「うわ、見てみて! すっごい可愛い!」  水族館に到着後、チケットを購入し二人で館内に入る。と、もう私のテンションは上がりまくり。  水槽にへばり付くようにして、泳いでいる魚を眺める。こうして見ると魚って色々な種類がいて本当に面白い。  せっかくなのでスマホで写真を撮ったり、動画を撮ったりする。  色の綺麗な魚もいいけれど、サイズか大きい魚もいい。あ、あの魚なんて口が飛び出ていてちょっと面白い。 「ねえ、樹くん、あの魚の顔おもしろ……」  と、振り返ると樹くんの姿がなかった。  あれ、やばい。もしかしてはぐれた!? テンション上がりすぎて、水槽にを見るのに夢中になってしまった。  せっかく二人で来たのに樹くんのことを置いていくなんて、何という失態……とにかくLINEしないと!  慌ててスマホで連絡をしようとしたころで、後ろから人の気配を感じた。 「一人で行ったら危ないよ」  振り返ると樹くんが真後ろに立っていて、危うく水槽に頭を突っ込むところだった。 「ごめんなさい! ついテンション上がって……」 「いいよ。はしゃいでる悠ちゃん見てるの楽しいし」  そんなに目に見えてはしゃいでいましたか。いや、たしかにはしゃいでいたけれども。  それからはできる限り落ち着いて、樹くんと館内を見回った。薄暗い館内で美しい青色の水槽を眺める樹くんが絵画にしか見えなくて、魚を撮るフリをして盗撮したことは言うまでもない。  しばらくのんびりと歩いていたが、私のテンションを再び引き上げるイベントがはじまるとのことだった。 「これからイルカショーだって」  イルカショー? って、あのイルカ? 本当に!? 「行く?」 「うん! 行きたい!」  落ち着いて考えるフリをするのも忘れ、全力で頷いた。  イルカショーを最前列見たい気持ちはあったが、濡れる可能性があるので真ん中あたりの席に座ることにした。  ショーが始まると、可愛いイルカが泳いだり飛んだりしていて、見ているだけでも癒される。 「可愛い」  と、無意識に終始連呼していた。  おまけに途中でペンギンが登場し、会場内はさらに盛り上がる。  あのペンギン、何か樹くんっぽいな。体は大きいのに顔は可愛いし。あ、でもあっちの方が似てるかな。などと一人で考えながら、イルカショーを全力で楽しんだ。 「楽しかったー! イルカもペンギンも可愛かったね」  水族館をで出たあとは、近くのカフェでのんびりとお茶をする。 「ショー、すごかったね」  やはり旅行とはいいものだ。普段見られないものが見られるし、一緒にいるのは樹くんという天使だし。  ついでに館内のお土産コーナーでお揃いのペンギンのキーホルダーを買った。つけるところないけど、飾っておこうと思う。 「もう少ししたら旅館に行こうか」  私がプレゼントした腕時計を見ながら樹くんが言う。 「そうだね。旅館も楽しみ」  今回の旅行で最も私が期待しているイベントは明日なので、今日は何も問題ない。  これだけ水族館ではしゃいでおいて、こういうのもなんだが、旅行の楽しみの八割を明日に詰め込んだと言ってもいい。  だから、今日は大丈夫。  と、思っていたのだが、今日は今日で大変なことになるのであった。主に私の頭が。
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