第120話

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第120話

 時刻は夜の七時前。  それはそれは大きな会場に数えきれないほどの人が集まっている。  そんな中でも樹くんは一際光り輝いていて、今日も今日とてイケメンだなあと思……  いや、今日はちょっとやばいかも。 「大きな会場だね」 「本当、すごいね」  今日は樹くんの元上司である橋倉さんの披露宴に来ていた。  私たちの披露宴にも出席してくれた人だ。もともとうちの近くに住んでいたので、結婚して半年ほどは私も交流があった。  その後、人事異動により樹くんの上司を外れ、ついでに引っ越して行ったので、それ以来会っていない。  それにしても樹くんが眩しすぎる。今日はネイビーのスーツに中は薄いシルバーのベストを着ている。  一見するとビジネススーツとほとんど同じだが、中に着ているベストの色が違うだけで雰囲気が全然違うし、髪もセットしているのでそれはもう何というか……好きだ。    ちなみに私は同窓会のときとはまた別のパーティードレスを着ている。 「お、桧原。あ、奥さんも。こんばんは」 「こんばんは。いつも主人がお世話になっています」  現上司である相田さんや、ほかにも数人だが見覚えのある人たちがいる。  とにかく人が多い。全員で百人近くはいるらしい。さすが大企業のサラリーマンの披露宴だけはある。  その百人が入れる会場なだけあって、とんでもなく広い。これ、トイレに行くだけで迷いそうだな。というか、行けたとしても帰って来れなさそう。 「悠ちゃん、迷わないようにね」  私の心を見透かすように樹くんが言う。エスパーかな?  しかし問題なのはそこではない。今、一番問題なのは、樹くんが輝きすぎていて朝からずっと私の頭の中は大変なことなっていることだ。  でもあくまでここは披露宴会場なのだから、主任の妻として恥ずかしくないようにきちんとしておかないといけない。  とにかく半分くらい思考を停止させておいたほうがいいかな。あと表情筋に全神経を集中させておこう。それがいい。  あらかじめ用意されている席につき、しばらくして披露宴がはじまった。  新郎新婦が入場し、わっと歓声があがる。  新郎の橋倉さんの部下の男性が司会として披露宴を進めていく。  ちなみに新郎側の主賓によるスピーチは相田さんだったのだが、はじまったばかりだというのに、話しながら泣いていた。  そういえば、相田さんって私たちの披露宴のときも、 ーーあの桧原が結婚するなんて、夢にも思いませんでした……今日まで退職しなくてよかったです と、ハンカチで涙を拭きながら言ってたっけ。  ほかの参列者の人たちも、相田さんその言葉に対し、笑うどころか何度も頷いていたのをよく覚えている。  当の本人はたとえ上司が泣こうが、周りから結婚について驚かれようが、いつもの通りだったけど。  ちなみに私の会社からは杏花さんが代表してスピーチをしてくれたんだけど、杏花さんも相田さんと同じく、 ーーあの常盤さんが結婚するなんて、明日からは嵐かもしれません。みなさん、天気予報はあてにしないで下さい  なんて言っていた。まったく失礼な話である。 「それではケーキ入刀です」  白くて大きなウェディングケーキが運ばれてきた。新郎新婦が二人でケーキをカットし、拍手が起きる。  すごく幸せそうに笑っていて、こっちまで思わず笑ってしまう。  私は披露宴で最も緊張したのがケーキ入刀だったと言っても過言ではない。だからたぶん、あんな風には笑っていなかったかもしれない。  何しろケーキをカットしたあとに、お互い一口ずつ食べさせるのだ。そりゃもう緊張して変な汗が出まくった。  樹くんに食べさせてもらうだけでも緊張と喜びで大変だったのに、それが大勢の人の前だと思うと恥ずかしくて倒れそうだった。   「それでは皆様、これよりしばらくの間、ご歓談をお楽しみください」  前半は何とかニヤつくことなくやり過ごせた。  よし、今のうちにトイレに行くか。 「樹くん、ちょっとトイレに行ってくるね」 「うん。わかった」  樹くんは相田さんや他の会社の人たちに声をかけられていたので、私は一人で席を立った。  帰りがわからなくなったら、その辺にいるスタッフの人に聞けばいいだろう。  何とかトイレにたどり着つくと、当たり前だがパーティードレスを着た人で溢れかえっていた。  トイレを済ませて手を洗って出ると、案の定帰り道がわからなくなった。何しろ同じビルの中にあるべつの会場でも、他の夫婦の披露宴が行われているのだ。ドレスを着た人たちに着いていけば、戻れると言うわけではない。  しかし迷っている場合ではない。早く戻られないと、樹くんが心配する。  と、少し足速に歩き始めたところで、誰かにぶつかった。 「うわっ! す、すみせん!」 「あ、いえ。こちらこそ、すみせん……って」  ぶつかった相手は見知った顔だった。  まさかここで会うとは思わなかった。いや、でもそうか。この人も元は樹くんと同じ会社で働いてたんだもんね。 「白川くん……」
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