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第121話
白川くんはたしか私たちが結婚する少し前に退職したと聞いていた。だからあの映画デートのとき以来会っていない。
しかしまさか今日来ているとは思わなかったし、人が多すぎて来ていることにも気が付かなかった。
「本当に桧原と結婚したんだ」
約一年半ぶりに見た白川くんは少し痩せたように見える。痩せたというか、痩せこけたというべきか。
職場が変わったからだろうか。うまく言えないけど、痩せただけでなく雰囲気も何だか以前と違う。大人しくなったというか、元気がなくなったというか。
「うん。そうだよ。一年以上前にね」
「そっか」
白川くんは自嘲的な笑みを浮かべている。一年でこんなに人は変わるのか。
あ、でも樹くんも日々美しさを更新しているしな。
「俺、本当あいつには勝てないな」
「え?」
「いや、その……俺、仕事でもあいつに勝てたことなくて……合コンで一目惚れした人も取られたし」
そういえば合コンのときに白川くんが、樹くんのことをライバルだとか言っていたのを思い出す。
「べつに誰かと勝負しなくたっていいじゃない」
「え?」
「きっとちゃんと白川くんを見てくれる人がいるよ」
仕事でも恋愛でもね。私を見てくれるの人がちゃんといたように。
「……ありがとう」
女の子を無理やりホテルに連れ込もうとはするのはダメだけど、もし性格も少し変わっているなら、いつか白川くんをちゃんと見てくれる人と出会えるんじゃないかと思う。
「でも、俺は……やっぱり常盤さんのことが……」
白川くんが真っ直ぐこちらを見てくるので、私もちゃんと彼の目を見ることにした。
「私にとって世界一大切なのは、樹くんだから。じゃあね」
これ以上話すことはないし、きっともう会うこともないだろう。
だって、私は樹くん以外の男の人には一切興味がないんだもの。
これだけはたとえ白川くんに何を言われても変わらない。その自信はある。だからもう話すことはない。
白川くんに背を向けて会場に向かって歩き出した瞬間、誰かに手を引かれた。
「うわ!?」
強引に手を引かれたかと思うと、あっという間に壁に追いやられ、そして目の前には……
「樹くん!? どうして……」
「なかなか戻って来ないから、迷ったのかと思って来たんだよ」
あ、待って。嘘!? 背中には壁、目の前には樹くん。これってつまりアレだよね!?
ああ、もう! 近い、近い! しかも後ろは壁だから逃げ場がない。その服装でこれ以上近づかれたら沸騰するよ? 私。
「白川に何もされてない?」
樹くんが一瞬だけトイレの方に視線を向けた。きっと私を探しに来たら白川くんがいたから心配してくれたのだろう。
何て優しくて可愛くて美しいのだろう。
「うん。何もされてないよ」
私がそう言うと安心したのか、ほんの少しだけ樹くんの目が優しくなった。
「ごめんね、来るのが遅くなって」
樹くんの手がすっと伸びてくる。白くて長い手が、私の頬に触れる。
「大丈夫だよ。それにちゃんと言っておいたから」
「ちゃんと?」
「私にとって世界一大切なのは樹くんだからって」
私がそう言うと、樹くんが、
「俺も世界で一番悠ちゃんが大切だよ」
と言ったので、パーティードレスを着たまま、全血管が破裂するかと思った。
でもなんだろう。この感じ。何か引っかかる。引っかかるというか、前にも誰かが同じことを言っていた気がする。
これがデジャヴというやつか。
いや、気のせいだよね。私に対してそんなことを言う人は、この世界でたった一人しかいないのだから。
「悠ちゃん?」
「ん、ああ、ごめん。行こっか」
二人で会場に戻ると酔っ払った相田さんがまた泣いていて、部下の多崎くんが顔を真っ赤にしながら歌を歌っていた。
おかけでさっきまでの引っかかりは一瞬消え去ってしまった。
樹くんはというと、何事もなかったかのように席について、グラスに入ったノンアルコールカクテルを飲んでいた。
二次会には参加せずに、夜の九時半ごろにタクシーで帰宅した。
二時間半ほどの披露宴だったが、ずっと気を張っていたせいかやけに疲れた。
「悠ちゃん」
家に入ってすぐ着替えようと思ったが、なぜか樹くんに腕を掴まれ、そのままリビングの壁に追いやられた。
え、何……? 何がどうしたの!? ってか、さっきもこんなことあったな!?
とんでもなく美しい顔が近くにあって、一気に頭が混乱する。
今日の披露宴でお酒は飲んでいないから、この行動は酔った勢いではない。
……酔ってないのになぜこうなった?
よくわからないけど、とにかく今にも心臓が飛び出しそうなほどうるさくて、さっきまでの疲れはどこかに消えた。
「い……樹くん?」
至近距離で、しかも正面から見るのは心臓に悪いが、気になって視線を上げると……
「やっと二人になれたね」
そう言った樹くんの口角が少し上がっていて、あ、これはやばいかも、と思ったのであった。
ーー俺も世界で一番悠ちゃんが大切だよ
その日の夜、夢の中で誰かがずっとそう言っていた。
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