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第129話
翌日は桧原夫婦ではじめてカラオケに行った。そりゃもう朝からテンションは上がりまくりなわけだが、樹くんが歌は得意ではないと言うので、カラオケは一時間とあらかじめ決めていた。
私としては五時間でも十時間でもいたいが、こればかりは仕方ない。
お昼に家でご飯を食べたのち、車で近くのカラオケに向かった。
一時間とはいえ、狭い個室の中で樹くんの歌を聞けるわけだ。考えただけでウッキウキである。
ーー悠ちゃんのためにこの歌を贈るよ
なんて言われたりして。
そんなことあったら三日間くらい熱出そうだな。やばい。考え出したら止まらない。
「悠ちゃん、大丈夫?」
「あ、うん。ごめん。大丈夫」
受付で妄想を繰り広げるあまり、店員さんの話を何も聞いていなかった。まあ、どうせ機種の話だろうし、いいか。
ニヤニヤを必死で抑えながら受付を終えて、部屋に案内された。
「それではごゆっくりどうぞ」
店員さんはニコニコの笑顔と少しの申し訳なさそうな表情を残して去って行った。
……え? 待って……?
「広くない!?」
案内された部屋はあきらかに二人用ではなかった。
「パーティールームだからね」
「プァ?」
パーティールーム? なぜ? 二人しかいないのにどうしてこんな十人以上も入れるような部屋なわけ!? こんなに広いと座るところに迷うじゃない!
案の定、テーブルを挟んで向かい合わせに座ると、樹くんとかなり距離がある。そりゃ、こんなだだっ広い部屋で密着してるのは不自然だけど、至近距離で歌を聞けると思っていたのでこれはちょっと寂しい。
当の樹くんはいつも通り無表情だけど。
「悠ちゃんから歌って」
と、言われたのでデンモクを使って曲を入れる。
「よし、じゃあこれで」
曲を入れるとすぐにはじまった。
しかしこの距離感で歌うのは恥ずかしいな。自分から言い出したのだから仕方ないけど。
何とか一曲歌いきったものの、テレビから視線をズラすと、樹くんがじっとこちらを見ていて、恥ずかしさのあまり顔から火が出るかと思った。
「悠ちゃん、歌うまいね」
「え? 本当?」
予想外の言葉に思わず口元が緩む。樹くんに褒めれちゃったよ。もうこれだけ今日一日幸せを感じていられる。
「じゃあ、次は俺ね」
ということで、樹くんが曲を入れた。歌うイメージがないので、どんな曲を入れるのだろうと見ていると、画面には私も知っている曲名が出た。
え、これってわりとロックなやつじゃない? 勝手にバラードを歌いそうだなあと思っていたので驚きだった。
「恥ずかしいからあんまりこっち見ないでね」
前奏中にそう言われたが、そんなことできるはずもなく、私は樹くんが歌っている間中、ずっと目をガン開いてその姿を見つめていた。
そして曲が終わるころには、乾燥のあまり……じゃなくて、感動のあまり私の右目から一筋の涙がこぼれ、思わず立ち上がって拍手をした。スタンディングオベーションである。
「……どうしたの?」
「最っ高でした!!!」
何が歌うまくないだよ。何が恥ずかしいから見ないでだよ。
とんでもなくうまいしかっこいいじゃないですか!!
いつも無表情で静かな樹くんは、歌っているときも無表情だったけれど、普段は出さないような声が出ていて、それはもう色気が半端じゃなかった。
この生歌をこんな近くでしかもあと五十分近くも聞けるってすごくない? そんなことあってもいいの?
これ私の心臓保つかな?
「歌、めちゃくちゃうまいし、涙が出るくらい感動したよ!」
樹くんが芸能界に入らなくてよかったよ。顔も良くて性格も良くて、背が高くて歌うまくてスポーツできるこの超人が、一般人で本当によかったよ。
それから私は樹くんが歌うたびに、感動で涙が溢れ、心の中ではノリノリでタンバリンを叩いていた。
カラオケを出るのは寂しかったけど、樹くんの素晴らしい歌が聞けて、それはもう大満足だった。飛び出そうなる心臓を抑えるのは大変だったけど。
カラオケのあとは晩御飯の食材やお菓子を買うために、よく行くショッピングセンターに向かった。
「あ、見て。あそこ新しいケーキ屋さんオープンしたみたい」
半年前からリニューアル中になっていたテナントが、ケーキ屋としてオープンしていた。
すごい行列が出来ていて、近寄ってみてもどんなケーキが並んでいるのかよく見えない。
「悠ちゃんはどんなケーキ食べたい?」
「え、あ、ケーキはいらないよ。さっきシュークリーム買ったし」
よく買うシュークリームのお店が珍しく全品十パーセントオフのキャンペーンをしていたので、勢い余って四つも買ったのだ。さらにケーキなんてさすがに食べられない。
「そうじゃなくて誕生日。明後日でしょ」
「……たん、じょび?」
樹くんに言われて、思い出した。
そうだ。私、明後日誕生日じゃん!
「あ、忘れてた」
「食べたいのあったら言ってね。仕事帰りに買って来るから」
「ありがとう」
そっか。私の誕生日って明後日か。思い返してみると、ずいぶん早い一年だったな。
今年も樹くんと一緒だから、それだけで、もう最高の誕生日なのは確定だね。
「悠?」
買い物を済ませ、ショッピングモールから出ようとしたときだった。
ふと後ろから名前を呼ばれた気がして振り返ってみたが、そこには誰もいなかった。
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